変態注意報

私はとても無力だった。

上忍小柳リンを装ったところで跳べもしないし走れもしない。
シカマル君は中忍だから、上忍の私はきっとシカマル君よりも長けた何かが一応はあったんだろう。
記憶喪失なんかになっていなければ、シカマル君は戦力として私を連れて行ってくれたのかもしれない。
記憶喪失なんかになっていなければ、きっとシカマル君の役に立てたはず。


ほんと何してんだ、私。


私は記憶喪失前の私に嫉妬していた。
記憶が戻れば今の私はどうなるのかと、不安に思う気持ちもあった。
だけど今は失くした記憶がほしくてほしくて仕方がない。
シカマル君の隣で戦いたい。シカマル君のそばに居たい。
だったら今の私じゃ絶対だめだ。

あの日のシカマル君のふいうちキスで蘇った記憶の欠片を、頭の中で何度も何度もなぞった。
幼少期のあの時、なんでシカマル君は私にキスをしてくれたんだろう。あの時の私はそれで何を感じたんだろう。

全部を思い出したくて、ナルト君の修行が終わるのを待つ間も、サカナちゃんの背に乗ってシカマル君を追いかけだした後も、私はずっと考えていた。

想定よりも断然あっさりと、サクラちゃんが私の記憶が戻ったと勘違いをしてくれたおかげで第七班への合流はスムーズだった。
騙したのは悪いと思うけど、必ず近いうちに真実にするから許してもらいたい。
シカマル君に置いてかれた挙句にここでも置いてけぼりなんてやってられるか。


「そういやリンは水の性質変化ができるんだな!なぁなぁなぁ、ちなみに水の性質変化のコツってどんなんだ?」

「性質変化のコツ…?」


頭の中がシカマル君でいっぱいだった中、突然ナルト君にそんなことを聞かれて焦った。
水分身こそできるようにはなったものの、それだけだから。人にコツを伝授できるほど何も掴んじゃいない。
困ったな、どんなことを言えばそれっぽいんだろうか。


「うーん、おしっこダダ漏れのイメージかな。じわーって」

「おしっこダダ漏れ!?!?」

「もしやるなら最初はオムツ履いた方がいいかも」


結局めちゃくちゃ適当なことを言った。
しかもなんとなくそれはそれで受け入れられていた。なんともリスキーなことだ。

『お前は里でも随一の水遁遣いだった』

それは以前シカマル君が言っていた言葉だ。
そういう私になるために、私はおそらく相当な努力をしたんだろう。彼を想う私の気持ちは、私をそうまでさせるのだ。

だけどそれは今の私にもできる気がする。
ここで無事シカマル君を連れ帰れたら。がんばることでこれから彼の隣に立つ資格を得ることができるなら。
多分私は死に物狂いでがんばる。
この気持ちは以前の私と同じだろうか。

森を進むうちに激しい抗争の音が聞こえるようになってきた。
この音の中にシカマル君がいるのかと思うと手が震えた。
そして、おそらくそうではないとわかった時には、もはや指先は冷えきってなんの感覚もなかった。

奈良家の森の方から、前方の爆発音とは比べ物にならないほど小さいけど、確かに音がした。
シカマル君だ。シカマル君は一人で戦ってる。
確証はないのに確信していた。

どう転んでも危険なことにかわりはないとはいえ、まだ仲間と一緒であってほしかった。
信用がないとかそういうことではない。これは私が弱いからそう思うだけ。

不安でどうしようもなくて涙が出そうになるのを必死で堪えた。堪えたかった。
けど実際は涙が溢れて止まらなかった。
シカマル君が死んじゃったらどうしよう。いなくなっちゃったらどうしよう。

もうそんなの生きてけないよ。

目の前が真っ暗になりそうだった。
だからヘロヘロだけど、五体満足で無事なシカマル君を見た時は、早くも安心しちゃっておしっこ漏れちゃいそうだったよ。
その時作った水分身は会心の出来だったし、コツは案外間違ってなかったかも。



変態注意報 side リン



私がやって来た事をシカマル君はめちゃくちゃ怒った。
わかるよ、それだけ彼も私を好きってこと。
私と同じだ。

一度シカマル君に私の“好き”を否定された時は、彼をド変態呼ばわりまでして激怒したものだったが、彼がああ言った気持ちも今なら少しわかる。

私の本当の“好き”は確かにあんなもんじゃない。

生きていてほしいと願う気持ち。
彼のためならなんだってできるって気持ち。
生きる理由で生きる支え。
これぜーんぶ、私の“好き”だ。


「好き。好きだよ、シカマル君。もう私を置いてどこにも行かないで。強くなるから。あなたの隣に立てるぐらい。」


好きだ。好きで好きでどうしようもない。
彼を目の前にしてその温もりに安堵した途端、まるでこれまで抑え込まれてきたかのような好きの気持ちが爆発した。

まさしく今の私は映画のヒロインなのかも。
彼の目を見ているだけで情緒がめちゃくちゃになるし、胸がぎゅっと詰まって切なくて、くらくらと目眩までする。

そして“好き”への理解と共に溢れかえるのは、これまで私が育んできた“好き”の気持ちだった。
もうずっと前から、私はこの気持ちを大事に抱えて、この気持ちを指針に生きてきたんだと気がついた。

アカデミーの頃のあなたも、下忍の頃のあなたも、今のあなたも…ずっとずっと、大好きだった。
どうして忘れていたんだろう。

アカデミーの頃のシカマルはいつも少し不機嫌で眠そうで、あくびばっかりしてよく先生に怒られていた。
彼はとっても面倒くさがりだから、勉強も訓練も何もしたくなかったんだ。

そんな面倒くさがりの彼にとって、小柳リンは間違いなく相当面倒くさい女だっただろう。
だけどいつも、心底嫌そうな顔をしつつも私のわがままに耳を傾けてくれた。
怪我をすれば心配してくれたし、風邪を引けば看病してくれた。

面倒くさいからと言って、やさしさを放棄しない人だったのだ。
あの頃からこれまで、彼のそんなやさしさに何度救われてきたかわからない。
その度に私はさらに彼を好きになった。
一方通行でも、報われなくても、それでも好きだった。

そんな彼への気持ちを思い出せば出すほど、様々な記憶がその気持ちに繋がった。
彼を好きになったきっかけ、なぜ私が忍だったのか、なぜ記憶喪失に至ったか、

小柳リンは何者だったか。


「シカマル、私…!」


全部思い出した。
だけどいつまで経ってもぐちゃぐちゃの頭の中。たくさんの情報、映像、感情、思い出のすべてが飛び回る。
意識が遠くなりそうなのをなんとか堪えて踏ん張るしかない。


「リン…?」


ここだけ重力が増したんじゃないかってぐらい重い頭とぐるぐる揺れる視界。
だけど倒れてる場合じゃない。伝えなきゃ。シカマルに早く言わなきゃ。


「私ね……ずっと不思議だったの。変態でストーカーの小柳リンと“シカマル君”の関係が結局なんだったのか」

「は……?」

「恋人同士じゃないって…そんなそっけない返事だけじゃなくってさ、ちゃんと言ってくれたら良かったのに。『特別だけど好きじゃない』関係だったって」

「ー!リン、お前まさか…!」


シカマルの驚きの表情に頬が緩む。
待たせてごめんね、辛い思いをさせてごめんね、そう言って抱きしめたかった。
けれどその寸前、あの甘ったるくて忌々しい声が頭の中に響く。


「思い出したんだね、リン」

「!」


それはたしかにカツキさんの声だった。
しかし咄嗟に周りを見渡すも姿がない。
しかもシカマルには聞こえていなかったみたいで、私の異変に眉を顰めるだけだ。


「どうした…?」

「今、カツキさんの声が…ぁあああああ!」

「お、おい!リン!」


そんなつもりはないのに体が勝手に動いて、私はシカマルに背を向け、森を避けてまっしぐらに走り出していた。
まったくもって意味がわからないがこの感覚にはなんだか覚えがある。シカマルに影真似の術をかけられた時のような…自分の体なのに自由がきかず、無理やり誰かに動かされているこの感じ。


「よかった、ちゃんと思い出せて。さぁ行こう、僕たちには君が必要だ」


また頭の中にあの声が響いた。
なるほど間違いなくこれは彼の強硬手段らしい。
律儀に私が記憶を取り戻すのを待っていてくれたのか。

彼の指す“僕たち”が誰なのかはわからないし、これから私がどこに連れていかれるのかもわからない。
けれどこれっぽっちも恐怖はなかった。
むしろ今ならどんなことでもできそうな、無敵な気分。


「カツキさん、あなた私を舐めてますね」


木の葉でないと、シカマルの傍でないと、私の記憶が戻らないと踏んで今まで私を泳がせていたんだろうけど、舐めるのも大概にしてほしい。
記憶が戻って洗脳も解けている私が、根っからの現場主義で鍛えてきた私が、定時退社命の内勤もやし野郎に負けるわけないだろ、ばーか!


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