変態注意報

親父の言葉を皮切りに、堰を切ったように涙が溢れて止まらなかった。
声が枯れるんじゃねぇかってぐらいしばらく泣き叫んで、気がついたら泣き疲れて少しの間眠っていた。

それまで真っ暗だったはずの世界が既にほんのり明るい。
涙の張り付いた顔のままでぼうっと部屋の景色を眺める。そのうちに、自分の頭の位置が少し高いことにようやっと気がついた。

驚いてそのまま振り返る。
するとすぐ傍には正座のまま器用に眠るリンがいた。
どうやら俺はリンに膝枕されて寝ていたらしい。

いまいち状況が呑み込めなかったが、まぁもうなんでもいいやとそのままリンの膝の上から、俯くリンの顔を眺める。
影になっていてもわかるほどにリンの顔にもしっかり涙の跡があって、目元は赤く腫れていた。
…俺が泣かせたんだろうか。

少し待ったがリンは座ったその態勢のまま目を覚まさない。
仕方なくそっと畳の上に体を横たえさせてみる。
それでもリンは眠ったままだった。

親父と将棋を打っている間、リンが部屋の外で話を聞いていたのはもちろん知っている。
この涙も、疲れきった様子も、そうした盗み聞きの結果には違いない。
目を覚ました時、一体リンはなんと言うのだろう。

それから俺は自分が昨日ぶちまけた駒と将棋盤を拾って一人で将棋を打ち始めた。飛段と角都…あいつらを倒すための作戦を練るためだ。

そうして何局目かの将棋を打っていた頃、リンが目を覚ました。
怠慢な動きで何度かの瞬きをした後、俺を見た瞬間ハッとして勢いよく立ち上がる。
そして疲れた顔からは想像つかない元気な声で宣言した。


「シカマル君!私やっぱり忍に復帰する!」

「はあ?」

「だから次は絶対私も連れて行ってね!」


俺が寝ていた間にリンが到達したのはそういう答えらしい。
少々木登りしたぐらいで全力ゲロ吐いた女が何を言うんだか。

そんな俺の呆れた視線は想定の範囲内なのか、リンは痛々しい目元を細めてにんまり笑う。
そして堂々たる態度で水分身の術の印を組んだ。

お。と思ったがそれも一瞬。
ぼふん、と現れた一体の水分身は最初からドロドロにくたばっていた。


「あれー!?」


あれー?じゃねぇよ。
溶けたアイスのようなその分身の姿とそれに慌てまくるリンがおかしくて、俺は朝っぱらから腹を抱えて笑った。



変態注意報 side シカマル




俺が作戦を考えたり修行をしている間、リンはリンで忍術書を読んだり修行をしたりして忙しそうにしていた。
そのうち簡単な術なら少しはできるようになっていたが、所詮アカデミー生に毛が生えた程度。
上忍小柳リンの実力には程遠く、全盛期まで戻すのにはかなりの時間がかかりそうに見える。

何より忍術はまだしも、体術の方がからきしダメだ。
組手どころか走り方や跳び方にいたるまで、まるで体の使い方を覚えちゃいない。
病院の三階からの落下で死にかけた時から何も変わらない。
リンは何がなんでも俺に着いてくる気で修行をがんばっているみたいだが、どう考えたって連れて行けるはずもなかった。

リンに出立の日は伝えていない。
もしかしたら今生の別れになるかもしれないのに、卑怯だろうか。今俺だけが、今日が最後だとしても悔いがないようにと生きているのは。


「リン、今日の修行の成果は?」

「手裏剣まとめて二枚投げられるようになったよ!」

「そうか」


正直かなり次元の低い話だが、本人的には快挙のようで誇らしげだ。
そのレベルで連れて行って、お前を危険に晒すような男に見えるのかよ、俺は。


「なぁ…今からアスマの墓参りに行くつもりなんだが、着いてきてくれるか?」

「!…もちろん!」


葬儀をバックレてからというもの、アスマの墓にはこれまで顔を出せていなかった。
今日が最後かもしれないんだから、これもけじめだ。

夕暮れの景色のなか墓地へ向かう。
脈絡もなくリンと手を繋げば、黙ってそのまま握り返された。
戦前だというのに恐怖も高揚もなく、ひどく穏やかな心地だ。
このままずっとリンとこうして生きていけたら、とは思うが、その前にまず忍として男として、通すべき筋がある。

俺たちがそこに着いた時、アスマの石碑の前には二人の子どもがいた。どうやら花を供えてくれたらしい。


「ありがとうな」


そう自然と礼を口にしていた。
子どもたちが会釈をして走り去った後、俺も墓前にしゃがみこんで一本の煙草を供えた。
隣ではリンが目を瞑って静かに手を合わせている。


「顔出すの…遅れてすまねぇ。でももう迷うの、やめたよ」


褒められたことではないかもしれない。
リンのことなんて言えないぐらい、結局は無謀なのかもしれない。
けど、それでもやるよ。


「俺らすげぇ無茶なことしようとしてるかもしれねぇけど、見守っていてくれよな」


立ち上がって、もう一度リンの手を強く握った。
俺はひとりじゃない。チョウジもいのも、アスマも、リンもいる。
大丈夫だ。無茶でもなんでも、必ず生きて帰ってみせる。


「…ちゃんとその日には声掛けてよね?絶対だよ?」

「…ああ、わかってるよ」


わるいな、リン。今日なんだ。今日がその日だ。
けれどお前には言わない。お前が待ってくれていると、そう思えることだって十分俺の力になるのに、お前はそれでは納得しないから。
だから黙って出ていくよ。必ず帰ってくるから、その時には笑って許してくれ。


その日の深夜、俺は身支度を整えてから、足音を立てないよう細心の注意を払いながら玄関までたどり着いた。
いつもよりも念入りな忍具の準備と、ポケットにはアスマのライターと煙草。
黙って出て行って、リンのやつ相当怒るだろうな。
ぷんすか怒りまくるリンの姿を想像すると、無意識に微かな笑みがこぼれた。
思っていたよりも俺はなんだか大丈夫らしい。ちゃんとやれる。

チョウジたちとの待ち合わせにはまだ少し時間はあるが、万が一にもリンに気取られては面倒だと、早いうちに待ち合わせ場所へ向かうため玄関の扉を開いた。

そして次の瞬間俺の目に飛び込んできたのは、忍服を着て装備を身につけた、久しい姿のリンだった。


「うわ!」


俺は腰を抜かしそうになるほどいろんな意味で驚いたが、月明かりに照らされながら何をするでもなくそこに突っ立っているリンは、悲しげな目を細めて「やっぱり」と呟いた。


「声、かけてくれなかったね。嘘つき。」

「…バレてたのか」

「ううん。どうせ声掛けてくれないだろうなと思ってたから、最近毎晩ここに立ってた。」

「!…ったく…そこまでわかってんなら、待ち伏せなんかしたって意味無いってわかるだろ、馬鹿。」

「意味無くないよ!こうして会って話が出来るもん!」

「けど連れていかない。」

「足でまといにはならないようにする!絶対でしゃばらない!」

「戦力にならない。連れていく意味が無い。」


隙を見せないように、心を鬼にしてきつく言い切ると、ぐっと言葉に詰まった様子のリンの瞳にうっすら涙の膜が張った。

やれやれ。これが最後の会話かもしれないなんてな。

最後にするつもりなんかないはずなのに、そんな事をつい考えてしまう。
まだ到底俺の意思が揺らぐことなどないが、これ以上後ろ髪を引かれるのはごめんだと、黙って立ちすくむリンの隣を通り過ぎた。
その通り過ぎざまに「だけど!」とリンが声を張り上げ、俺の背中に縋り付く。


「だけど…!もしもの時は、あなたの盾になるぐらいのことはできるかもしれないから…!」

「…本当に救いようのない馬鹿だな、リン」


だからこそだろ。
そんなお前だから、絶対に連れて行けないんだ。

振り返って、幾筋もの涙で頬を濡らすリンを強く抱き締めた。


「馬鹿リン…考えてもみろ、お前を犠牲にして生きながらえることになんの意味があるんだ。」


俺の言葉に息を呑んだリン。けれど抱き締め返してくるどころか、震える手で俺を押し返すと胸ぐらを掴んで睨みつけてきた。


「でも、でももしそれで仇がとれるならいいじゃんか!そのために行くんでしょう!」

「…これは俺の筋を通すための戦いでもあるが、里の未来を守るための戦いでもある。」

「そんなの、だったらなおさら私だって…!」

「やむを得ない犠牲になったって仕方ないって?そりゃ立派な考えだ。随分忍らしくなったじゃねぇか」


里のために死ぬ覚悟なんて、今のリンにあるはずもないのに。
普段より血の気のない色をしたリンの頬にそっと手を触れる。流れる涙を拭っても、またすぐに新たな涙がこぼれ落ちた。


「けどな、俺はまだそこまで割り切れねぇよ。…仮にお前が死んで里の未来が守られたとしても…俺の未来は終わるんだ。」


リンは目を見開いて、震える唇を噛み締めていた。
俺の胸ぐらを掴んでいた腕がずるりと落ちる。そしてそれと同時に深く俯いて、そのまま膝を抱えるように座り込んでしまった。

やっと伝わったのかと、そう思った。
…のに、その直後にはリンのたいそう不満げな声が聞こえた。


「それでも私、引かないから。シカマル君だって私の未来だもん。」


何がなんでもついて行くという意志を見せつけるように、なんとその場で屈伸運動を始め出すリン。
ほんとこいつはやることなすこと何もかも予想外で、ちっとも俺の思い通りになんか動きやしない。
どうせ俺が本気で走り出したら追いつけないくせに、何してんだか。しかもここまで言っても引かねーかと、思わず少し笑ってしまう。

もしかしたら単純に追っかけてくる以外に何か策があるのかもしれないが、基本行き当たりばったり戦法のこいつに俺がしてやられるわけもない。
仕方がない。
勝手に先手を取るのはリンの専売特許だが、今日はそれも譲ってもらう。


「リン」


屈伸運動の最中、名前を呼べば「なに」と疑い深い目で俺を見上げるリン。
俺は屈んでそいつの頬を両手で包み込み、半開きの唇に口付けた。


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