変態注意報

緊急招集がかかったためおそらくしばらく里を出ることになると、シカマル君はそう言った。
家の前まで見送りに出て、彼の手をぎゅっと握る。


「気をつけてね。怪我しないようにね。絆創膏持った?水筒は?小腹がすいた時用のおやつは?」

「馬鹿、遠足に行くんじゃねーんだぞ」


私はいたって真剣だったけどシカマル君にはデコピンと共に叱られた。
けれどそれに文句を言う間もなく正面から抱きしめられる。
そのきつくて苦しい抱擁が私に与えるのはときめきではなく、波のような心のざわめきだった。


「必ず戻る。…信じて待ってろ」

「う、うん…」


シカマル君は耳元でそう囁き、私を抱きしめていた腕を離してからも名残惜しげに私の頬を撫で、眉間に皺を寄せたままの顔で小さく微笑んだ。
そして私が何かもっと気の利いた言葉を、と考えているうちに走り去ってしまった。
残された私は呆然と立ち尽くす。

彼は私が思っているよりずっと深刻な任務に赴いたのだろうか?
まるで覚悟を決めるような顔だった。

不安になったが、今更私にはどうしようもなかった。



変態注意報 side リン



あれから数日経って、シカマル君は多少怪我を負いながらも無事帰ってきてくれた。

しかし共に任務に出たアスマ先生は、今回の戦いで殉職した。


「葬儀は明日だ。リンも出るか?」

「そんなん当たり前だよ!」


わかった、と頷くシカマル君は目元に泣いた痕こそあれど、私の前で泣いたり取り乱したりする様子は一切なかった。

しかし結局、彼は葬儀に出なかった。


「わりぃ、先行っててくれ」


家を出てからここへ向かう途中にそう言われ、私一人で葬儀へ来たのだが、待てど暮らせど彼は来ない。
嗚咽と鼻をすする音がひたすら耳を刺す、むせ返るような空気の中、私はこの景色と空気感に覚えを感じていた。
きっと葬儀に出るのは初めてではない。こんな経験を私は今まで何度もしてきたんだろう。
最後の葬儀は誰だったか。思い出せないけれど、なんとなく…雨が降っていたような気がする。

墓地にはもう既にアスマ先生の名前が掘られた石碑があった。
昨日の今日で準備のいいことだ。…忍なんていつ死ぬかわからないもんだから、準備がよくて当然なのかも。

数えようなんて気にもならない、おびただしい数の石碑が墓地には並んでいる。
そうだ、今回はたまたまアスマ先生だったけど…ここに並ぶのが、シカマル君の名前でもおかしくはなかったんだ。

虚ろな目の紅先生が、アスマ先生の石碑に花を添える。
その光景に、ずくりとひどく胸が痛んだ。
あんなきれいな恋人を一人残して逝っちゃうなんて。あんな美人にあんな顔させるなんて。
ひどい人。

でもこれが、忍か。


「ねぇリン、シカマルは?一緒に家出たんでしょ?」


いのちゃんが怪訝な顔でこっそり尋ねてきた。
私は小さく首を横に振る。


「わかんない。…シカマル君はたぶん、今の私相手じゃ心を許してくれないんだ。」


今の私は忍じゃない。
それどころか、忍が危険な任務に向かう、その覚悟の重さすら量ることの出来ないぽんこつだ。
こんな時に力になれない、そんな女の何が恋人だか。


それからシカマル君が葬儀の間どこで何をしていたのかは結局わからないけど、夜になるといつの間にか家に帰ってきていた。


「シカマル君、晩御飯できたよ」


この家へやって来た翌日以降、私は毎日お母様の夕食の支度を手伝っている。
今日も同じように支度を整え、一人で濡れ縁に腰かけるシカマル君に声をかけたが、彼は私と目線を合わせることもなく、

「いいや、食欲がねぇんだ」

そう一言告げるだけだった。


「そう…わかった。お母様にも伝えておくね」


仕方がない。恩師を亡くした彼の悲しみなんて、記憶喪失の私には到底計り知れないものだろう。食事が喉を通らなくなったってなんの不思議もない。

だけど…それなのにまだ、私は彼の涙を見ていない。

夕食を終えても、さらに夜が更けても、シカマル君は濡れ縁の柱に体を預けて、ぼーっと庭先を眺め続けていた。


「隣…座ってもいい?」


これはただの自己満足かもしれない。
むしろ私がいるせいで、彼は感情を顕に出来ないのかもしれない。
だけどどうしても今の彼を一人にしたくなかった。少しでも目を離せば、ふらりと簡単に消えてしまいそうだと思った。


「好きにしろよ」


相変わらず目を合わせてはくれなかったけれどひとまず許可が降りたことに安堵し、彼の傍に腰掛けた。
かといってかける言葉なんて何もない。
ただただ沈黙が続くばかり。
アスマ先生は私の明るさがシカマル君を救うなんて言ってくれていたけど、こんな時にまで明るくできるほど肝は座ってないや。


「…わるいな、リン。もうしばらくしたら戻ると思うから」

「え…?」

「そのうちお前が馬鹿やるのにも今まで通り付き合えるようにするから…今だけは許してくれ」


そう言ってシカマル君が、床に置いた私の手を握る。
ずっと動きもせずにこんなところにいた彼の手は、思わずこちらがすくみ上がるぐらい冷えきっていた。


「へ、変なこと言わないでよ…!許す許さないじゃないじゃん、落ち込むの当たり前じゃん!無理しなくていい…私に気なんて使わなくていいから…シカマル君のしたいようにしてほしい…」


どうして私が守る対象でしかないのだろう。
抱え込んだ怒りも悲しみも全部ぶちまけて欲しいのに、私は彼のそんな相手にはなれない。
悔しくて仕方ないのに、どうすればいいのかわからない。
いつの間にか噛み締めていた唇から、うっすら血の味が広がった。

その時、すぐ側の茶の間の障子がすっと開いた。
蝋燭を一本灯しただけの薄暗い部屋に、お父様が立っている。


「シカマル…少し付き合え。リンちゃん、悪いけど息子は借りるぜ」


お父様は茶の間の真ん中においた将棋盤を顎で指す。
シカマル君は一旦は訝しげな顔をしたものの「もう寝ろ」と私の頭を撫でて立ち上がり、将棋盤の前に座った。
そして静かに再び障子が閉まる。

部屋に戻るべきか、悩んで結局私はその場に留まった。
障子の向こうからは微かにお父様とシカマル君の会話と、将棋を指す音が漏れ聞こえてくる。
親子の会話をこんな堂々と盗み聞きなんて、当然よくない。わかってる。
だけど…おい、いい加減にしろって怒られるまでは、いてもいいかな。


「暁か…やつら、強いか?」

「ああ」

「で?どうするんだ?…アスマほどの男が敵わないんなら、お前など歯が立たんか」


パチ、パチ、パチ。シカマル君の将棋の駒を置く音のペースが、私と指している時よりもずっと速い。
勝ち負けよりもとりあえず早くこの場を切り上げようとするような、そんな音。


「本当に良い奴だったな。将棋は弱かったが。」


正直お父様が何を考えているのか私には分からない。
ただ単に故人を偲んで将棋を打っているようには思えなかった。


「…それでいいのか」

「人の打ち筋にケチつけんなよ」

「ちがう、お前はどうしたいんだ」

「…………」

「まぁ、みすみす死にに行くほど馬鹿じゃないか。親としてもありがたいしな。…息子の葬式なんざごめんだ。」


なんだかお父様の言葉はシカマル君を煽っているみたいだ。
ありがたいなんて微塵も思っていない。今のシカマル君を否定しているような含みを感じる。


「お前はよくやってるよ、親としても鼻が高い。
頭も切れるし才能もある。木の葉の将来を担える器だ。」


将棋を指す音が止まった。


「だが、アスマは死んだ。」


お父様のその一言の後、がしゃん!と何かが盛大に崩れて障子にぶつかる音がした。
おそらくシカマル君が将棋盤を殴り飛ばしたのだ。


「何が言いたいんだよ!」


私が聞いたこともない、シカマル君の心からの怒りの叫びが空気を震わせる。
悲痛なその声に、私の手が、唇が震え出した。


「どうせ俺は役立たずの臆病者だ…!」

「いいや」


シカマル君の自暴自棄な台詞をお父様は力強く否定する。


「さらけ出しちまえ。悲しみも恐れも憤りも、何もかも腹の中全部、吐き出しちまえ。
…そして、それからだ。」

「っ…!」


それから私の背中越しに障子が開いて、再び閉まる音がした。
それと同時に、シカマル君の耳を劈く慟哭が闇夜に響く。
やっと吐き出せたんだね、なんて喜びはない。ただただその悲しい叫び声が、痛くて辛い。
気づけば私も泣いていた。

アスマ先生を助けられなかった、そんな自分がシカマル君はきっと許せない。仇をこのままにはしないだろう。
だって彼は役立たずでも臆病者でもないのだから。

怖い。彼の師でさえ勝てなかった相手に、彼は挑みに行くのだろうということが。
だけどそれが忍の道なのだろう。親が子にそうやって発破をかけるぐらいだ。今の私が踏み込める領域ではない。

だけど…


「うっ、うっ…うう…」

「…わるいなリンちゃん。もしあいつの骨を拾うことになったら、俺を恨んでくれて構わねぇからよ」


やっぱりわるいなんて思っていなさそうな、やさしくて残酷な言葉と共にお父様は私の肩に手を触れる。
言葉とは裏腹に、忍とはこういうものだと、受け入れろと、言外に言われているようだった。

泣いてほしいと、少しでも楽になってほしいと、さっきまでそう思っていたはずなのに、いざそうなればこんなにも辛い。
私はいつまで経っても覚悟が足りない。


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