変態注意報

「前にも言ったことはあるが今のお前は忘れてると思うから、ここで暮らす上でのルールを一応説明しておく」

「はい!」

「俺の部屋に入りたい時は戸を開ける前にまず外から声をかけろ。俺がいない時は勝手に入るな」

「はい」

「風呂は覗くな」

「…はい」

「ゴミ箱漁るのも部屋の空気を袋に詰めるのもなしだ。わかったな?」

「…………」


…ほんとシカマル君、よく私と一緒に住もうと思ったよね。物好きだな。



変態注意報 side リン



シカマル君のお父様も快く私を受け入れてくれて、退院祝いにとお母様はご馳走を振舞ってくださった。


「うちの大事な娘が無事帰ってきてくれてよかったよ」


はて。私はいつこの家の娘になったのだろうか。
そして彼らの記憶のない私は果たして無事と言えるのだろうか。

シカマル君によく似たシカマル君のお父様。
そんなお父様の優しい言葉には結局曖昧な返事しかできなかったが、奈良家の家族団欒の時間はとても心温かなものだった。
初めてだけど初めてではないのが私にもわかった。
私はこの温かさを知っていた。


夜、風呂を沸かしてもらって湯船に浸かった。
病院にはシャワーしかなかったから、湯船は私にとってこの日が初体験だったけれど、もちろん私は風呂の入り方を知っていた。
なんならこの家のシャンプーとコンディショナーのボトルはどっちがどっちかまで知っていた。

どうやら私は本当にここで暮らしていたらしいと、変なところで実感した。
覚えた記憶がないのに知っている。変な感覚だ。
私はこの風呂に入るシカマル君を覗いて、怒られていたんだろうか。
なぜシカマル君の風呂をわざわざ覗きたいと思うのか、ゴミ箱を漁りたいと思うのか、自分のことなのにまったくもってわからない。

だけど私はそれが好きだったんだろうし、どう考えても異常なのに、そんな私を引っ括めてシカマル君は好きだと言ってくれている。
…いや、むしろ彼が好いたのはそんな私の方。


「シカマルくーん、お風呂出たよ」

「ああ、わかった」


次に入るらしいシカマル君に、部屋の前で声をかける。
昨日までずっと病院生活だったのに、いきなりこんなことになって…なんだか変な感じ。
以前の私はこの日常をどういう風に過ごしていたんだろう。大好きな人とのこんな生活、さぞ幸せだっただろうな。
…変なの。そんな自分を想像すると少しもやもやしてしまう。


「ん?どうした?」

「…ううん、なんにもない」


着替えを抱えて部屋から出てきたシカマル君は、部屋の前で佇んだままだった私を見て不思議そうにしていたが、「風邪ひくからさっさと部屋戻れよ」とまだ濡れたままの私の髪をタオル越しに撫でるとそのまま風呂場へ向かってしまった。

…慣れてる。風呂上がりで髪も濡れて頬も火照ったままだろう女に、彼は慣れている。
存外照れ屋なはずの彼の手馴れた犯行に、慣れない私の方がキャパオーバーした。
急に頭がのぼせたような感覚と目眩動悸に襲われ、慌てて近くの濡れ縁に腰掛ける。
そのまま少しの間深呼吸を心がけると、夜風のおかげもあって幾分か落ち着いた。

しかしシカマル君のやつ…
手馴れてるということはきっと、いやほぼ間違いなく、あんなことを彼は以前の私にもしていたのだ。
部屋に入る前は声かけろだ風呂は覗くなだピュアぶってたくせに、とんでもねープレイボーイじゃねーか。

…あれに対してかつての私はどんな反応をしていたんだろう。
彼が慣れた男なら私もまた慣れた女だったのか。
恋人同士ではなかったとはいえ、そういう触れ合いが当たり前のようにある関係ではあったのか。
不純だ。不潔だ。不健全だ。しかもここ実家だぞ慎めよ。

…なんだ、この気持ち。
なんで私は過去の私とシカマル君に怒ったりもやもやしたりするんだろう。
なぜだか過去の私が疎ましくて、過去の私の幸せが悔しくて…過去の私の存在が少し怖い。

…これってもしかして…


「妬いてる…?」


私が私に?
そんな馬鹿な、いくらなんでも不毛すぎるだろ。

だけど、待って待って。
だとしたらそれって既に私、シカマル君に恋してるってことじゃない?
思い出したかったものとはなんか違うけど、ヤキモチ妬くのってそれすなわち恋だよね?
きっとここから始まるんじゃないの、私の好きの気持ち。


「おい、なんでまだこんなところにいんだ」

「ひゃあ!」


気がつくとシカマル君が私のすぐ側に座り込んでいた。
え?戻ってきた?いや、髪下ろしてるし、濡れてる。えっ、お風呂上がるの早過ぎない??私がいつの間にかそんな長い間ここにいただけ??

てか髪下ろしてるの色っぽ!!!!!!


「風邪ひくっつっただろうが。なんか俺に用か?」


焦る私には気が付かないのか、シカマル君は私の頭にタオルを被せるとがしがしと拭き始めた。
やだ、こんなことまでできちゃうのねあなた!!!

絶対顔が赤くなってる気がして、恥ずかしさから俯いた。


「…シカマル君、前にも私の髪拭いたことあるの?」

「あー…あったな、一度だけ」

「ふうん…」


そうだよね、これもなんだか慣れた手つきだものね…
…仲のいいことで…

いや、いやいやいやいやいやまじでやめろ私、私相手に嫉妬はまじで不毛にもほどがある。
なんか違うな、私が思ってた恋とやっぱちょっと違うな。
こんな黒くて浅ましい気持ちが恋なのか?本当に?


「…お前怪我して右腕首から吊ってんのに、どしゃぶりの雨のなか傘もささねーでぶらついてたことがあって」

「なにそれファンキー…」

「ファンキー…とはちょっと違うかもしれねぇが。まぁそんで、あん時も…風邪ひくぞ馬鹿がっつって家に帰して、ついでに頭も拭いてやったんだったかな」


それまじで私は何してんの?あえてずぶ濡れになってシカマル君の加護欲でも煽ってたの?
なんかむかつく。シカマル君もなんでそんな意味不明な女に惹かれるんだか…


「んあ゛あああああああああ!」

「!?な、なんだ!?」


だから私は!なんで自分に腹立てたりしてるんだ!意味ないから!まじで無駄!

気がつけば同じようなことばかり考えてしまう自分が嫌になって頭を抱えた。


「お、おいまじでどうしたんだよ…なんか不満でもあんのか?怒ってんのか?」


たじたじのシカマル君を思わず恨みがましい目で見てしまう。
そうだ、そもそもシカマル君が前の女(?)との匂わせみたいなことばっかりするのが悪いんだ。

家に連れて来たのも私が初めてじゃないし。いや、初めてもたぶん私なんだけど。
家族に紹介するのも私が初めてじゃないし。いや、その初めても私なんだけど。
恋人みたいな触れ方も…私が初めての恋人のくせに初めてじゃないし…いや、それも私だったんだけど…

…いや、ややこしいな今の私!!


「シカマル君って…今の私とキスできる?」

「は…はああ!?急にな、何言ってんだお前!」


一瞬で赤くなったシカマル君はそれを隠すように片手で顔を覆った。
お、どうやらさすがに以前の我々もキスまでは進んでいないらしい。
過去の女を上書きできそうなチャンスである。


「恋人同士なんだから、何もおかしなことじゃないでしょ」

「そ、そりゃそうかもしれねぇけど…」


勢いのままシカマル君に詰め寄ると、肩を掴んで押し返された。


「…だめ?」

「あ、あのなぁ…」

「私もシカマル君のことが好きって言っても?」

「!」


どきどきどきどき。
ありえないぐらい心臓うるさいし恥ずかしいけど、ちゃんと真剣さが伝わるようにと思って頑張ってまっすぐにシカマル君を見つめてそう言った。

きっとそう。これが私の好きって気持ち。
思ってたきらきらハッピー感とも、映画のような胸を焦がす想いとも違うけど、それでも。
浅ましさも愚かさもこの胸の高鳴りも、すべて恋の病ってやつでしょう!

だけどそう興奮する私とは対象的に、シカマル君は私の言葉に喜ぶどころか困ったように眉を寄せ、やさしく私の頭をぽんぽんと撫でた。


「俺に気ぃ使ってんのか?無理すんな。リンの“好き”がどんなのかなんて、俺が一番わかってるから。」


まるで子どもをあしらうように。
…えーと、つまり彼は、私が彼に気を使って、無理して好きだと嘘をついたと思っていると。

は?なにそれ。

何?リンの“好き”って。
お風呂を覗く努力をしないと好きじゃないの?
ゴミ箱漁って使用済みティッシュを集めないと好きとは言えないの?部屋の空気を袋に詰める私じゃないとだめなの?…いや、てか空気を袋に詰めるって何?なんで?

このままの私じゃ、私の“好き”はあなたには認められないの?


「やっぱりシカマル君が好きなのは前の私で、今の私じゃないんでしょう…!」


私はシカマル君の手を払い除けて、その黒い気持ちを吐き出した。
驚きに目を見開いたシカマル君と目が合ったのは一瞬のことで、私の視界はすぐに涙で歪んだ。

どうしてこんなにも前の自分が妬ましいのか。
とにかく私は今の私に自信が無いのだろう。

シカマル君も、お父様もお母様も、好いてくれているのは前の私で、今の私にやさしくしてくれるのは前の私が戻ってくると信じているから。
今の私が無条件に愛されるのは、前の私の存在が前提にある。
それは普通にならありがたい話のはずなのに、話に聞くその女はまるで私とは別人で、自分のこととは思えなくて、今の私の存在がまるでその知らない女のおまけのようで、苦しくて憎らしい。


「お、おいリン…」

「うっさい!変態からの愛され方しか知らないこのド変態め!死ね!あほ!」


ここが彼の実家だということも忘れて叫び散らかし、ばたばたと走って逃げた。
もう最悪だ。


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