変態注意報

なんやかんやあってシカマル君とお付き合いが始まったが、だからと言ってこれまでの生活の何が劇的に変わるわけでもなく、あれー?こんなもんか。なんて過ごしていた矢先のこと。


「リン、お前に対してここで出来ることはもう何も無い。…今日で退院だ。」


いつもの回診に来てくれた綱手様に突然そう言い渡され、私はベッドの上でぽかんと口を開いた。


「え…記憶全然戻ってないのに?」

「そもそも元に戻るかどうかなんてわからない代物だと言っていただろ。お前も…シカマルも、ここからはもう気持ちを切り替えろ。」

「…どういうことっすか?」

「…思い出すための努力はもう十分だろう。次は…今のままでも不自由なく暮らすための努力を始めるんだ。」


つまり記憶を取り戻すのはもう諦めろということだろうか。
記憶が戻る前提で生きるのではなく、戻らない前提で再スタートしろと。

まぁ仕方のないことだ。これまでシカマル君やたくさんの友人たちがいろいろ協力してくれたのに、ほとんど進展はなかったのだから。
今後何かの拍子に戻ればラッキー、ぐらいの気持ちで生きていく方がいいに決まってる。

ショックな告知には違いないが、そりゃそうだよなと割とすんなり受け入れることは出来た。
だけど困った。
隣のシカマル君の顔を見ることが出来ない。



変態注意報 side リン



シカマル君に荷物持ちを手伝ってもらって、私は初めての家路へ着く。
私が生まれてからずっと住んでいた家は私が記憶をなくす少し前に火事で焼け落ちてしまい、今はアパートで一人暮らしらしい。

病院生活は正直とても快適だった。
何もしなくてもごはんが出てくるし周りの人たちが何かと世話を焼いてくれるし掃除なんかもしなくていいし。
何よりシカマル君がいつもそばにいてくれたし。
だけどこれからはそうじゃないんだな。
ちょっと…いや、かなり憂鬱だ。

なんとなく空気は重く、会話のない道のり。
あれからシカマル君の方も私と目を合わせてくれなくなった。
記憶がなくてもいいと言った私をあれだけ怒った彼に、今どんな声をかけたらいいかわからない。


「ほら、ついたぞ」


最悪な空気のまま、いつの間にか我が家に辿り着いてしまったらしい。
しかしどう見ても目の前にあるのはご立派な邸宅で、想像していた単身アパートとはかけ離れていた。
しかもよく見ると門柱には『奈良』の表札。

ははーん、なるほどここはシカマル君の家ね。
なにかおうちに寄りたい理由があったのかな?


「じゃあ私ここで待ってるね」

「お前も入るんだよ」


ん?
何故?まさか、このタイミングでご両親にご挨拶しろとか…!?性急すぎない?一応付き合ってるとはいえ私たちまだ何も進んでないのに?お付き合いのテンポわからなすぎマンか??


「いやいやいやいや、さすがにそれはまだちょっと…!」

「…お前が入院してる間、お前の荷物とか取るために、一時期お前のアパートに何回か俺が出入りしてただろ」

「ん?う、うん、その節はどうも…」

「その時にそこのアパートの大家に、家賃が支払われてないけどどうなってんだって食ってかかられたことがあって…」

「え!?」


初耳だった。言ってくれればいいのに…気を使ってくれたのかな。


「もちろん、今入院中だからって話はしたんだがめちゃめちゃごねられて、延滞料っつってその場で家賃の五倍ぐらいの額ふっかけられて」

「え、えええ…」


そりゃ私が悪いのはそうなんだけど、なんかあんまり仲良くはなれそうにない大家さんだな…
第一家族でもなんでもない彼にそんなごねるような真似しなくても、伝言さえ頼んでくれたらすぐにでも払ったのに…


「最終的に今すぐ金払うか今すぐ出てけってことになって」


うわ、もしかしてお金立て替えてくれたのかな?
言ってよー!ほんと申し訳ないじゃん!家賃の額知らないんだけど今手持ちの現金で払えるかな?いや、家賃の五倍はさすがに無理か。


「ごめん、そういうことなら先にお金下ろしに行ってもいい?たぶん足りない気がするから…」

「いや、払ってねーよ」

「…え?」

「ムカついたからその場で荷物全部引っ張り出して引き払ってやった」

「……………」


…え?

ええええ!?家主の意見抜きでそんなことありえる!?
てかそんなことしといてずっと私に黙ってたの!?まじかこいつ!何しれっとした顔してやがんだ!退院が決まってから私と目を合わせなくなったのはこれがバレるのが気まずかったからか!?そんで悩んだ末に開き直ってんのか!?まじか!!


「ちょ、え、じゃあ私今からどこに帰ればいいの!?ホームレスじゃん!てか私のその荷物ってどこいった!?」

「だからここに帰ってきたんだよ。荷物もここに置いてある」

「は…?」

「今日からここがお前の家。もともとはどっかもっとまともな大家のいるアパートでも借りといてやるつもりだったが…」


シカマル君はそこで口篭り、ぽりぽりと頬をかいた後、にやりとした笑みを携えたわるい顔でやっとこさまともに私の顔を見た。


「恋人同士なら別にひとつ屋根の下でも問題ねーだろ」


まじかお前ここでそのカードを使うのか。

ご両親に挨拶どころじゃないんだけど。
記憶喪失なんてめんどくせー女がいきなりこんな名家に乱入なんて、絶対嫁姑問題勃発どころの騒ぎじゃないんだけど。


「ほら、いつまでもここで突っ立ってねーで入るぞ」


そう言うとシカマル君は私を置いてたったかと敷地の中に入って行ってしまった。
そうか…もう仕方ないか…これが私たちのお付き合いの形なんだね…

ふふふ、早く新しい部屋見つけなきゃ。


「リンちゃん、おかえり。退院おめでとう!」

「え、あ、はい、ありがとうございます…」


家に入らせてもらった途端さっそく玄関でシカマル君のお母様らしき人に出迎えられ、流れるように荷物を引き取ってもらってしまった。
私がここに帰ってくることは事前に知っていたようだし、しかも意外にもかなりウェルカムな雰囲気だ。


「リンちゃんの部屋は前と同じとこね。荷物もそこに運んであるから」


ほら、と案内されたそこには当然、見慣れない部屋と見慣れない荷物があった。
前と同じ、とはどういうことだろう。

この感じ、少なくともお母様と私は初対面ではないみたいだ。
以前の私、変態でストーカーだったくせによくご家族にまで顔を合わせられたもんだな。
しかもおそらく少なからず気に入られている。悪質ストーカーのくせにやりよる。社交性の高いストーカーだったんだろうか。


「もう少しでご飯できるから、もうちょっと待っててね。ほらシカマル、ぼーっとしてないで荷解きでも手伝ってあげな!」

「へいへい」

「返事は一回!」


私にはやさしいお母様だけど、シカマル君には少し厳しい。
この分なら嫁姑問題は大丈夫かもしれない。


「私…前にもここに来たことがあるの?」

「小柳の屋敷が燃えて…お前がアパートに移るまでのしばらくの間、ここに住んでたんだ」

「ええ!?」


病院から持ち帰った荷物を広げながら何気なく尋ねると、思いもしなかった返事が返ってきた。
どういうこと?以前の私たちの関係はストーカー被害者と加害者のはずなのに?恋人同士でもなんでもなかったのに?ひとつ屋根の下?問題あるだろ問題!
第一それ他の家族はどう思ってたの?お母様は私をどういう存在として認識してるの?

シカマル君と出会ってからこれまで結構たくさん話をしてきたはずなのに、今日になって知らなかった話がわんさか出てくるしそれに伴う疑問も尽きない。
聞けば聞くほど記憶喪失前の私とシカマル君の関係って、謎だ。


「だからここで過ごすことも記憶探しの一環だ。今のままで生きてく努力も、記憶を見つける努力も、ここで同時にしてきゃいい。」

「!」


…なんだかんだと理由をつけてはいたが、シカマル君ははなからこのつもりだったのではないだろうか。
私の記憶が戻ることを、彼はまだ諦めてなんかいない。
そういう話を案外素直にはできない人なのだと、最近わかってきた。
なんだか少しにやけてしまう。


「そんで、リンはこれからどうするつもりだ?本当に忍として復帰はしないのか?」

「あー…うーん、悩んでる。忍者にならないといけない理由って別にないし。忍者やってる自分も全然想像できなくて、正直戻れる自信ない。けどナルト君やサクラちゃんは待ってるって言ってくれてたし…なんか結構貯金はあったから、とりあえず体力が戻るように筋トレでもしながらしばらくのんびり考えるかなー…」

「…そうか」


前の私にはきっとあったのだろう。忍者をする理由。
でないと危険な割に高給取りなわけでも地位が高いわけでもない忍者なんかになるわけない。
ましてや私には養う家族も恩を返すべき家族なんかもいない。
明日を生きていく稼ぎさえあればバイト暮らしだってなんの問題もなかったはず。

そんな私が忍者だった理由…聞けば誰かは答えてくれるだろう。けれどそれはあえて聞いていない。
今の私に理由がなければ意味が無いと思うから。
信念もなしに務まる仕事ではないだろう。


「…私が復帰しなかったら責任感じる?」


復帰する理由があるとするならばそれぐらい。
シカマル君が復帰してほしいと言うならそうする。


「…多少はな。けど今のお前に忍になってほしいとは到底思わねぇ。必要も無いのに、わざわざ危険な道を選ぶこともねぇだろ。」

「そう…だよね。」


思ってた通りの回答だった。
シカマル君は私に危ないことなんてさせない。
きっとそれが愛されてる証拠なのに、少し寂しいと感じてしまう。
忍者として危険に赴く彼の隣には、私を必要とはしてくれないのだと。

なんてワガママで勝手なことだろう。
そんな実力もないのだから当然のことなのに。
自分の愚かな思考に辟易しながら、服を仕舞うべく箪笥の引き出しを開ける。
しかし小さな洋服箪笥かと思ったそれにはクナイや巻物などの、過去の私の仕事道具と思わしきものが詰まっていて、それらを見た瞬間思わず息を呑んだ。

本当に私、忍者だったんだ。


「でも、そうだなー…私って他にどんな仕事が向いてるかな?」


なんとなく気まずくて、引き出しをすぐに閉めた後にそう努めて明るく聞いてみた。
…これらの武器を使う自分はもう考えられない。
なら何か別のことが出来ないと。
貯蓄だって無限じゃないし、いつかは働かざるを得ないんだから。


「…お前は意外と料理が上手かったんだ。だからうちで母ちゃんと一緒にいろんな料理作ってたらいいんじゃねぇか」

「へー!私料理できるんだ、意外!…って、自分で言うのも変だけど。てかそれはそれでいいけど、仕事ではないじゃん」

「働くだけじゃなくて、そういう道もあるってこった」


意味がわからずに首を傾げる。
けれどシカマル君はそんな私に目をくれないまま、膝の上でちまちまと私の服を畳みながら続けた。


「お前一人養うぐらいの甲斐性なら、俺にだってある」

「…へ…」


言葉の意味を理解するのに軽く三十秒ぐらいかかった。

え、え、え、それってつまり、つまり、

結婚しよう今ここで
(ってことー!?)
(そうは言ってねぇ。)



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