あの時リンが硬質ガラスを叩き割ったのは当然単純な腕力ではない。あれは無意識のうちにチャクラコントロールができていたということだ。
太ももに手を伸ばしたのも武器の所在を体が覚えていた証拠。
思い出した記憶は少ない割に、リンの体が覚えていることは多い。
それなのに…
「ちょ…この馬鹿!」
たかが三階の高さで背中から落下ってどういうことだよ。
しかも受け止めたリンの体は1ヶ月の寝たきり生活で筋肉が落ちているせいか、思っていたよりもずっと軽くて驚いた。
無意識で動けたところで、意識下で動けなきゃ意味が無い。
里の主力を担っていた、あの小柳リンはもういない。
「ねぇ私の何がだめだった?ちゃんと治すから教えてよ!何も言わずに出てくなんてひどいじゃん!私の事見捨てないで!」
それでも清々しいぐらい、リンがリンであることに変わりはなかった。
変態注意報 side シカマル「シカマル君って…私のこと好きなの?」
まるでその答えを期待するように、潤んだ目で見上げてくるリンを思わず抱きしめた。
「ああ…そうだよ」
半ばやけくそだった。
まさか俺が責任感だけで動いてるとかそんな思い込みをしてるとは思わなかった。
なんでそういう話になるんだ。やっぱ馬鹿だからか。考えて考えた末に結論が変なとこに飛ぶいつものやつか。
おかげで結局こんな中途半端な形で、まだ伝えるつもりのなかった気持ちを吐き出す羽目になった。
今のリンが俺のことを友人以上に思ってないことぐらい当然わかってる。
報われる気持ちじゃない。勢いで抱きしめてしまったものの、こんなのただのセクハラだ。
だから今だけ。今だけだから。
「…わるい、変な真似して」
微動だにしないリンに申し訳なくなり、抱きしめていた手を離して距離を取ろうと後ろに足を引く。
けれど下がりきる前にぐっとリンに服を掴まれた。
「あ、あのさ、その好きって、その…あくまで記憶喪失前の私が好きなんであって、今の私じゃない、よね…?」
不安げに覗き込んでそんなことを言われて、少し驚いた。
リンはどういう意味でそれに対して不安を感じているのかわからないが、俺はそんなことは考えたことすらなかった。
「…これはな、記憶があるとかないとかで割り切れるような気持ちじゃねーよ」
リンがどんな答えを欲してるかは知らない。
だけどもうこうなれば俺の正直な気持ちを伝えるより他にない。
「リンはリンだろ。間違いなく俺はお前が好きだ」
そう告げた瞬間、それまでうっすら紅潮していたリンの頬がさらに赤く染まった。
驚きに開かれた目は何度もしきりに瞬きを繰り返し、何かを発しようにも言葉にならないのか、口が開いてはもぐもぐと噤んでいく。
…少なくともキモがられるとかウザがられるとかのマイナスなリアクションには見えないが、何を考えているかも相変わらずわからない。
「安心しろよ…だからって別にお前に何も求めねぇから」
「…え…?」
「今は俺の片思いだってちゃんとわかってるからな。俺は勝手にゆっくり待ってるから、お前は何も気にすんな」
俺への返答に悩んでいるらしいリンを思って気を使ったつもりだったが、リンは不思議そうにゆっくりと首を傾けた。
「お付き合い始まったりしないの?」
「…は?」
「シカマル君は私とイチャイチャしたりあんなことやこーんなこと、したくないの?」
「な、何言ってんだ!?い、いや、俺は別に…!」
「したくないの!?」
「!?し、したい、です…」
リンのよくわからない圧に負けて適当に頷くと、そいつは満足そうににんまり笑った。
なんだ?なんなんだ?リンはお付き合いがしたいのか?まだほとんど記憶もないくせに?俺が好きなわけでもないのに?
「うれしい。シカマル君が私のことを想ってくれてたなんて。…じゃあ今日から私たちは恋人同士ということで!」
「は!?なんでそうなんだよ!俺に気を使ってるつもりなら…!」
「いやいや、そうじゃないよ。私がそうしたいだけ。だめ?」
混乱しすぎて脳が茹で上がりそうだった。
一手先の行動すら予測できない、俺の想定通りには何も動かない、リンのそういうところがいつもいつも腹立たしくもあり、おかしくもある。
「私、恋する気持ちを思い出してみたいの。そのためにはシカマル君と他人のままでいるより、恋人でいる方が効率良さそうだよね」
これまた思いもよらぬ方向からの切り口に、俺は馬鹿みたいに口を開けて固まるしかなかった。
効率…?いや…え…?効率…?
俺は道具かなんかか?
お前は記憶と一緒にデリカシーも喪失したのか?
いや、そんなものお前には元々無いに等しかったか…
「私…今のところ記憶喪失でもまじで困ってないし、なんにもわかんなすぎて、失った記憶に未練の湧きようもない感じなんだけど、だけど…」
服を引っ張られ、よろけてごく至近距離で視線がかち合う。
「シカマル君が大好きだった、恋していた、その事実だけは確実にわかるから…その気持ちを思い出せないことは本当に悲しいの。ずっと埋まらない何かを抱えてるみたい。とても大切なものを手放してしまった気がしてる。」
思わず一瞬息を呑んだ。
記憶に未練がないくせに、俺への気持ちには未練があるのか。
そうではないのに、なんだか熱烈な愛の言葉を聞いた気分になった。
そんな俺を見透かす様に、リンはふわりと笑ってトドメを指す。
「私もう一度、シカマル君を好きになりたい」
さっきとは逆で、今度は俺がリンに抱きしめられた。
けれど俺はこの申し出を素直に受けていいものか悩んで、抱き締め返すことができなかった。
もちろん俺としては願ってもない申し出ではある。だけど記憶のないリンを、過去への憧憬だけで俺へ縛り付けるような真似、本当にしてもいいのか?
いわば今のリンは恋に恋しているような状況だろ?あの恋愛映画に感化されてるだけかもしれない。
リンは効率がどうのと言ったが、別に思い出す努力は今までの関係だって続けられる。リンの記憶がないのをいいことに自由を奪うみたいで、正直なところ気が引ける。
「…シカマル君だって私に好かれたいんだよね?なんにも悪い話じゃないでしょ?」
俺の迷いに気づいたのか、リンは俺に抱きついたまま顔を上げ、不満そうに唇を尖らせる。
「それは…そうだけど…」
「そうだよね?何も問題ないよね?お前も俺を好きになってからじゃないと付き合えない、なんて言い出したらいつになるんだかわかったもんじゃないし嫌じゃない?」
言い方ムカつくな。
「ほら、決まりね!不束者ですがよろしくお願いします!」
そこまで言うならもうどうにでもなれって気持ちだが。
なんだか手放しには喜べない。
告白の結果が、なんかこんなに腑に落ちないってことあるか?
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