リンが長い眠りから目を覚ましたあの日、診察や検査にずっと付き添う俺に何か思うところがあったのか、リンはおずおずと聞いてきた。
「ねぇねぇ、私たちってもしかして…恋人同士とか?」
俺は返事に詰まった。
俺はリンに好きだと伝えたし、リンも俺が好きだった。
だけど両思いを確認したのなんてあの一瞬だけで、付き合ったとかそういう事実は無い。
恋人同士だと言ってしまえば今後楽なのかもしれないが、リンの認識とは違う返答をすればいつかリンの記憶を戻す妨げになってしまう可能性も否定できない。
くそ、堂々と恋人だと言えるような状況じゃないことが歯がゆい。
しかしどうなんだ?
この何の記憶もないリンは、いざ俺が恋人だと聞かされたら一体どう思うんだろう。
こんな男が、とがっかりしやしないか。
…正直めちゃめちゃしそうだ。少なくとも喜びそうにはない。
「いや…違う」
俺は奥歯を噛み締めながら絞り出すように返答をしたが、リンは顔色ひとつ変えず、
「そっかー」
と答えるだけだった。
…そっちが聞いてきたくせにめちゃくちゃどうでもよさそうだ。
なんだこいつ。なんかすげーむかつくな。
この時俺は「恋人同士だ」なんて言わなくてよかったと心底思った。
変態注意報 side シカマルあれからというもの俺たちの関係はずっと『ただの同期』だ。
いや、それだけではないということはさすがのリンも気づいている。
けれどこの関係を明確に表現する言葉をお互い持たないままずるずる来た。
「リン、入るぞ」
通い慣れたその病室の前で声をかけるが、中から返事はなかった。
不思議に思いつつ扉を開く。朝食の時間が終わったばかりだというのに、リンはすやすやと眠っていた。
それもこの前サクラが持ってきた、記憶喪失前のリンが作ったシカマル人形を抱えて、なんとも幸せそうな顔で。
なんにも覚えちゃいないくせに、なぜだか大事にしてるらしい。こっちの気も知らないでいい気なもんだ。
「おいリン、起きろ。もうすぐリハビリの時間だ。」
「んー…おはよう、シカマル君。へへ、朝ごはん食べておなかいっぱいになったら眠くなっちゃった。起こしてくれてありがとう。」
「…ああ」
リンはまだ眠そうな目はしているものの、文句のひとつもなく起き上がる。
リンのこういう他人行儀には未だに慣れない。
むしろなぜだか俺とリンの距離感は日に日に開いていくような気さえする。
「…リン、今日のリハビリが終わったらさ」
「うん?」
「映画見に行かねぇか?」
「映画?私って映画も好きだったの?」
これまで毎日、少しずつだがリンに縁のある場所を巡ってきた。
リンの家だった場所、書庫、アカデミーの校舎、森の演習場、修練場、行きつけの八百屋に、好きだった甘味処。
だから映画もその一環だと思っているんだろう。
「…いや、たぶん映画館に行ったことはねぇ」
あの時の反応から推測するに、だが。
「行ったことないの?じゃあなんで…」
「二人で行くつもりだったのに、結局いろいろあって行けなかったんだ。…約束ずっと放置したまんまじゃ、気持ちわりぃだろ」
俺の言葉が意外だったのか、リンは急に目が冴えたような顔をしていた。
この誘いは気持ち悪いだろうか。もっとスマートな誘い方を考えた方がよかっただろうか。
リンの返事を聞くまでの一瞬の間にいやに手のひらが汗ばんだ。
「いいね、行こ!楽しみ!じゃあとっととリハビリ終わらせてくるよ!」
リンはそう言ってハツラツとした笑顔を残し、もうリハビリなんて必要なさそうな軽やかな足取りでパタパタと駆けていった。
俺はリンの姿が見えなくなってから、情けなくもほっと息をつく。
一度のデートに誘い出すだけのことが、こんなに緊張するもんだとは知らなかった。
◇◇◇
この日の映画館では四つの映画を上映していた。
その中からリンが選んだのは、タイトルもキャッチコピーも俺から見ればクソサムい恋愛映画だった。
女子向け恋愛小説の映画化作品で、めちゃくちゃときめくと病院の看護師たちがよく話題にしていたらしい。
正直俺はまったく興味がなかったが、目に見えてリンがウキウキしていたので水を差すようなことは言わないようにした。
「これ途中のアクションが超すごいらしいよ!どんなんだろうね?」
映画が始まる直前に、暗闇の中でワクワクを抑えきれないリンがひそひそとそう耳打ちしてきた。
…いやお前、それ絶対この映画の話じゃねーだろ!
この平々凡々ラブドラマに超すごいアクションが出てくるわけねーだろ!
そう言ってやりたい気持ちをぐっとこらえる。
「…どんなだろうな…」
こいつは馬鹿のようで実は馬鹿じゃないってふりしてるけど、やっぱり馬鹿は馬鹿なんだよな。
もうそれからは映画の内容というより、それを見るリンの反応が気になって仕方なかった。
出てくるはずもない超すごいアクションシーンを期待し続けて最終的にがっかりしやしないか。
そもそもこいつはこれを恋愛映画だってわかってんのか。というか記憶喪失なのに人の惚れた腫れたの話なんて楽しめんのか。
映画のストーリーは俺様イケメン貴族と平凡町娘の身分違いの恋を描いたもので、タイトルから予感した通り内容もやはりサムい。
これの何が面白いんだ?リンのやつ寝るんじゃねーか?
それまでの不安にそういう心配も合わさって、ちらちらと何度も横目でリンを伺い見たが、意外にもリンは楽しみにしていたポップコーンにも手もつけず、ずっと真剣な表情で画面を見ていた。
それから一時間ほどで映画はクライマックスを迎える。
男を思い、ヒロインが涙するシーンでは周囲からも鼻をすする音が聞こえた。
そしてリンもまた、周りの女子たちと同じようにさめざめと泣いていた。
…記憶のないお前はこの映画の何に共感するんだろうか。
涙する理由は周りと同じなんだろうか。
「お前はなんで泣いてたんだ?」
映画館を出た後で思わず尋ねると、リンは少し赤くなった目で驚いたように俺を見た。
「…いや、周りもみんな泣いてたじゃん。一緒だよ。むしろなんでシカマル君が泣いてないのか不思議なくらい。」
普通はあのヒロインの気持ちに共感して泣くんだろう。
それって記憶がなくても…誰かを好きになった気持ちを忘れていたとしても、共感できるもんなのか。
本当はそこまで聞きたかったが、妙に残酷なような気がしてやめた。
「あ!てかアクションシーンなかったくない?どういうこと?」
「…さぁな」
それからは適当な店で飯を食って、適当に商店街をぶらついた。
俺にとっては慣れた風景も、リンの目には新鮮に映るらしい。
キラキラした目で立ち並ぶ店を眺めては、あっちへふらふらこっちへふらふら。
「あ!」
「っおい、あぶねーな…」
そのうちリンがちょっとした段差につまづいたところを、咄嗟に手を取って引っ張った。
「あ、ありがとう」
体勢を立て直したリンは恥ずかしそうに小さく笑う。
そして自然に手が引っ込みかけたが、俺はそのままその手を握って歩き始めた。
「し、シカマル君…?」
「道も覚えてねーんだろ?ふらふらしてっと迷子になんぞ。あんまり俺から離れんな」
「う、うん…」
なんでもない顔を心がけているが内心心臓はばくばくだった。
顔が赤くなっていそうで、リンの方を向くことが出来ない。
しかもそれまで何かとぺらぺらしゃべっていたリンが急に口数少なくなった。
これが緊張や照れならいいが、気持ち悪がられてたらまずい。
勢いで手なんか繋いだものの、早計だったかと少し後悔した。
「ねぇねぇシカマル君…」
「なんだよ」
「今更だけど、今日はめちゃめちゃデートみたいだね」
まじで今更だなと呆れて思わず振り返った。
そして驚いて無意識に足が止まった。
少し俯き気味に視線をめちゃくちゃ泳がせてるリンは、確実に俺以上に真っ赤な顔をしていた。
さっきまで緊張でどうにかなりそうなのは俺の方だったのに、自分以上に緊張してる奴を見るとなぜか一気に落ち着いた。
リンには申し訳ないが、安堵からつい笑ってしまう。
「ばーか、どう考えたってデートだろ」
俺たちは現在恋人同士ではない。
今は完全に俺の片思い。
こっちの立場になって初めてこれまでのリンの苦労が身に染みる。
好きな相手が自分のことを好きじゃない、この状況は正直かなりきつい。
それでも恋人同士だとは言わなくてよかった。
片思いから始めてよかった。
片思いの痛みが増えるほど、お前が俺にかけてくれた愛情の深さを知り、お前への愛しさが増していく。
今度は俺がお前を口説き落とせばいいんだな。
多少時間がかかったっていい。
お前が俺にかけてくれた時間に比べたらきっと大したことない。
あの日の言葉通り、俺は今からお前を追いかけていける。
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