瞼を開くと真っ白な天井が視界に映った。
すぐ側の大きな窓からは明るい日差しが差し込んでいる。
顔を横に傾ける。
私はベッドに寝かされているようだ。
サイドテーブルの上にはたくさんのフルーツ。そして花瓶。花瓶の中には生き生きとした艶の良い花が数本。
どれだけ寝ていたのだろう。
体の節々が固まっていて動かしづらいことこの上ない。
なんとかぐっと上半身を起こすとずきりと頭が痛んだ。けれど頭部に包帯だのが巻かれている様子は無い。
ざっと確認したが、おそらく病室と思われるベッドで寝ている割に、一本の点滴が腕に刺さっている以外、他のどこにも外傷のようなものは見当たらなかった。
はて、ではなぜ私はここにいるのだろう。
えーと、私はこれまで一体何をしてたんだっけか。
えーと…
えーと…
…あれ?
ガラリ。ドサッ。
「リン…!?」
特に声掛けもノックも何も無く部屋の扉が開いたかと思うと、扉を開けた青年は私を見るなりひどく驚いた顔をして、手に持っていた紙袋を地面に落とした。
そして落とした荷物はそのままに、私に駆け寄るとその勢いのまま抱きしめてきた。
「目が覚めたんだな…!よかった、本当によかった…!」
とても強く抱きしめられて、少し息苦しいぐらいだ。
彼の反応からするに、やはり私は随分長いこと眠りについていたらしい。
だからか?眠りすぎたから、私はまだ寝ぼけているのか?
「心配かけやがって…!お前自分がどういう状況かわかってるか!?もう一ヶ月も眠りっぱなしだったんだぞ!このねぼすけ!」
「一ヶ月も…!?そうなんだ…なんか病気とか…?事故?」
「覚えてないのか?俺と話をしてる最中に、急に苦しみだして倒れたんだ」
「ふむ。なるほど…」
「…お前どこまでなら覚えてる?」
「え」
「最後の記憶はなんだ?」
「えーと…」
寝ぼけ頭はいつ治るんだろうか。
なんだか非常に申し訳ないな。
ただでさえ随分と心配をかけた様子なのに、余計に心配させてしまうんじゃないか。
「おい、リン。聞いてんのか?」
「あー…そのリンってのが、私の名前なのかな?」
「…は…?」
「ごめん!なーんも思い出せないの!ほんとにごめんね!あの、たぶん寝ぼけてるんだと思うの!だからそのうち思い出せると思うけど、一応あなたの名前、教えてもらってもいい…?」
顔の前で手を合わせて、てへ、と笑って誤魔化してみる。
だけどそんな呑気な場面では無いらしい。
この時の青年の愕然とした表情を、私はきっとこれから一生忘れない。
変態注意報 sideリン目を覚ましてからというもの数人のお医者さんらしき人がやってきて、色々話をしたり検査をしたりとひっきりなしだった。
てっきり盛大に寝ぼけているんだと思っていたがそうではなく、どうやら私は記憶喪失というやつらしい。
困ったことに、記憶が戻るかどうかはわからないと言われた。
しかし自分が何者かもわからないような状況に多少の不安はあれど、幸か不幸かあまりにも何もわからないせいで、記憶が無い悲しみや焦燥みたいなものはあまりない。
顔を合わせる誰も彼もがとても悲壮な顔をするのが申し訳ないので、できるだけ思い出したいなぁとは思うけど。
「とりあえず今日の検査は以上だ。辛いだろうがこればっかりは焦っても仕方がないからな。今日のところはゆっくり休め。」
「はーい、ありがとうございまーす」
「…余計な心配みたいだな」
綱手様という、この里の長らしき人がわざわざ私を診てくれていた。
もともと知り合いだったらしいが残念ながら彼女についても何も思い出せない。
「シカマル、しばらくお前は任務から外そう。…リンのそばにいてやれ。」
「…わかりました。」
小柳リン。それが私の名前。
そして今日一日ずっと私に付いていてくれたこの青年の名前は、奈良シカマルというらしい。
私も彼も忍者で、同期なんだそうだ。
状況から察するに私と彼はかなり親しい間柄のようなので、一度「私たちってもしかして恋人同士とか?」と尋ねたのだが、盛大に顔をしかめて「違う」と言われた。
けど今の綱手様の台詞といい、やはりただのお友達とも思えない。これはつまり…私は彼の片思い相手なのかもしれない。やだ、私ったら罪な女。
「…何か欲しいものとかあるか?」
最初こそねぼすけだなんだとキレられたが、その実シカマル君はとてもやさしい。
私が何を聞いても丁寧に答えてくれるし、喉が渇いたと言えば水だのジュースだのをたくさん買ってきてくれた。
今もこうして私以上に疲れきった顔をしながらも、私のことを気遣ってくれる。
「うーん、しばらく入院が続くなら、何か暇つぶしできるようなものがほしいかも。…私って何が好きだったかわかる?」
「何………本を読むこと、とか…?」
「へー。どんな本?」
「…どんな…?」
…親しい間柄だと思っていたけど、それぐらいのこともわからないならそこまでの関係でもないんだろうか。
難しい顔で考えあぐねてしまっているシカマル君を見ると、なんだか悪い事を聞いたような気がしてしまった。
「あー…じゃあなんでもいいや。シカマル君のおすすめでよろしく!」
「おすすめ…?」
これはこれで困ってしまうらしい。
もう、むずかしいな。
そして翌日、彼が持ってきてくれたものはというと…
「将棋?」
「指南書も何冊か持ってきた。」
なかなか渋いチョイスである。
見た目通りと言うべきか、見た目の割にというべきか、何しろじじくさい男だと思った。
けれど渡された教本を開いて気がついた。
私は将棋のルールを知っている。
きっとこれを見たことがある。
二冊目、三冊目、四冊目…どれも開いてみるとおぼろげな既視感を感じた。
おそらく記憶喪失前の私はこれらの本をすべて読んだのだ。
私は将棋が好きだったのか?いや。シカマル君はそうは言わなかった。
なら私はきっと、彼と将棋を指すために、これらの教本を読み漁ったのではないだろうか。
「…よし!じゃあ私が先手ね!」
「もういいのか?」
「うん。もう大体わかった。」
そうは言ってもちゃんとした細かなルールはわからない。
もともと知らなかったのか、今の私が思い出せないだけなのかは不明だ。
ただ順番に頭の中に棋譜が浮かんでくる。
その映像の通りに私は駒を動かすだけ。たまに、こっちはどうかな?なんてふと思い立ったところに置いてみちゃったりして。
シカマル君は淡々と駒を動かしながらも終始少し驚いたような、何か言いたそうな顔をしている。けれど私は正直この盤面で自分が優勢なのか劣勢なのかどうかもわからないので、もちろん彼のその顔の理由もわからなかった。
ぱち。ぱち。ぱち。ぱち。
静かな病室に駒を指す音だけが響く。
じじくさい趣味だとか思ったのに、なるほどどうしてなかなかわるくない。
まず将棋を指す彼の、長すぎず短すぎず、太すぎず細すぎずなその指がいい。
うつむき加減だからこそよく見える、おでこの生え際の形もとてもいい。
「…詰みだ」
「え?だれが?私が?」
「…俺が」
「まじ?ほんと?私の勝ちってこと?やったー!」
よくわからないが知らないうちに勝ったらしい!
王手とやらを指したら勝ちなんじゃなかったっけ?それ以外にも勝ち負けがあるのか?
まぁなんでもいっか!とりあえずうれしい!
「…自分で指したくせに勝敗もわかんねーのかよ」
呆れたようにシカマル君はそう言って笑ったが、負けたくせになんだか嬉しそうだった。
意外とM気質なのかもしれない。
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