変態注意報

それが何なのかはわからない。
ただ彼女の言葉がすべて疑いようのないもので、まるでそれ自体が俺の考えであるかのように錯覚した。
そしてリンによく似た彼女が、自分の想い人であるかのように思い込んだ。

それが何らかの言霊や思い込みを助長させるようなものであるとするならば、俺よりリンの方がそりゃ術にはかけやすいだろう。
あいつは思い込みの塊みたいなやつだ。
ぶっ飛んだ話も妄想で補って余りあるに違いない。
これまで何も分からなかった事の推移を一瞬にして身をもって体感した今、リンが今どういう状態なのかがよくわかった。
とりあえずリンのこともぶん殴ればいいんだな。




変態注意報 side シカマル




「シカマル君…ひどい、一体どうしたの。やめてよこんなこと」

「白々しい真似はよしてくれ。あんた今俺に何をした?いや、今に始まったことじゃねぇのか…一体いつからだ?」


俺があんたの都合のいいように考えさせられ、動かされてきたのは、どの時からだ?
違和感も不自然さもほとんどなく、じわりじわりと俺の足元を固めるように。俺がリンに近づかないように仕向けていたんだろう。


「何の話かわからない…ねぇシカマル君、ちょっと落ち着いて」

「まぁそう簡単に口は割らねぇか…カカシ先生すんません、あとこっち頼んでもいいスか。俺はリンのところに…」

「元カノのところなんか行ってどうするの?やめた方がいいよ。シカマル君が傷つくだけだももの」

「元カノ元カノうるせーな。あいつは元カノなんかじゃねーし、ましてやあんたは今カノでもなんでもねーだろ」

「っ!」


散々好き勝手してきてくれたが、それをただ横でため息ついて受け流すほどやさしくはもはやなれそうにもない。
リンがこいつらに何をされたのか。考えれば考えるほど怒りの感情に囚われそうになる。
かろうじて女だからぶん殴らないでいるが、もし目の前にいるのが男なら容赦しなかっただろう。

最上さんを拘束しようとカカシ先生が縄を取り出して近づく。
すると彼女は「触らないで!」と一際大きな声を上げた。


「勘違いしないで!兄も私も、別にあなたたちに捕えられるようなことは何もしていない!幻術なんてかけてないし呪印も施してないし薬も盛ってない!」


たしかに最上さんは忍ではない。忍術は扱えないはずだ。


「じゃあ一体…」

「…少しずるをして意中の相手を手に入れようとした…ただそれだけのことよ。」


彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
カカシ先生は拘束しようにも気が引けるのか、その傍でたじろいでいる。


「たしかに…今のところ、あんたらが術を使ったような証拠は無い。ならそれは、リンの目を覚まさせた後でゆっくり探すとするさ」

「…やめた方がいいわ」


空が曇って影が消えた。
影真似は解けたが、最上さんに逃げる素振りは無い。


「危険すぎる。もうあの人には関わらない方がいい」

「そりゃあのカツキが黙ってるわけもねーし、すんなり解決とはいかないだろうな…危険なんて承知の上だ」

「ちがう、シカマル君わかってない。危険にさらされるのはあなたじゃなくて…リンさんの方よ」

「…なに…?」

「もう戻れない。もうすべて遅いの。下手なことをすれば最悪リンさんが死ぬことになるわ」


脅しか?はったりか?
素直に聞き入れたくはなかったがどうにも咄嗟に出たはったりのようにも思えなかった。


「そっちの人に殴られて、シカマル君はたまたま戻ってこれた。けどそれも運が良かっただけ。殴られた衝撃以外で身体になにかおかしなことはなかった?」

「!」


俺はあの時の頭痛を思い出した。


「シカマル君はまだ‘’あれ”のかかりが甘かったから、大したことは無かったかもしれない。…けどリンさんは違う。もう随分時間も経ったし、そもそも彼女はシカマル君よりよっぽど‘’これ”にかかりやすいタイプだわ。もうどこまで記憶の改竄や捏造が進んでいるかわからない」

「は…?なんなんだ、一体。何が言いたい」

「‘’これ”はまやかしでもなんでもない。私たちの言葉をきっかけに、あなたたちの脳が勝手に自分の思考や記憶を塗り替えていくの。名前なんてないけれど、よくある呼び方をするなら洗脳や催眠術といった類かしら」


幻術でも呪印術でもなければ、忍術ですらない。
だからこそ誰にも解けなかったしそれにかかっていることにリン本人も俺も気がついていなかった。


「塗り替えた記憶を元に戻すのに明確な方法なんてない。もしシカマル君のように、何らかの衝撃でそれができてしまったとしたら…衝撃は記憶の混濁を引き起こし、脳に多大な負荷を与える。…最悪の場合、脳が壊れてしまうかもしれない。」

「な…そんなデタラメなこと…!」

「待てシカマル。デタラメとは言いきれない。本当にその洗脳が思考だけでなく記憶にまで及ぶようなものだとしたら、妄想力豊かなリンの脳みそは既にこじれまくってる可能性が高い。実際それがどこまで危険なことかなんて判断はつかないが、慎重になるべきだ」

「っ!…くそ…!」


たしかにそれにかかりきっていなかった俺でさえ正常に戻るにはあの頭痛を伴った。
完全にそれにハマってるリンが戻ってくるのに、どれだけの代償が必要になるかなんて検討もつかない。


「ほら、わかるでしょう?‘’それ”を解くのが必ずしも正しいわけじゃないわ」


最上さんは勝ち誇った顔で微笑んだ。


「いいじゃない。リンさんは幸せそうよ?周りも、ほとんどの人は彼女がおかしいなんて思ってない。シカマル君のことが好きなリンさんに戻ってきてもらおうなんて、それこそもはやあなたのただのエゴ」


彼女はそう言いながら俺に近づき、俺の頬に手を触れた。
もはや一ミリもリンになんか似てやしない、妖しい目が弧を描く。


「リンさんも周りも、このままだってなんの問題もないんだから…単純な思い入れやあなたの都合だけで、彼女に無理を強いるべきじゃないと思わない?」

「…またそうやって俺をハメようとしてんのか?」


驚いた目をする彼女の手首をしっかりと捕まえた。


「あんたらの行動を振り返ってみるに…相手の心に傷をつくること、その隙につけいること、相手に触れること、はまず“それ”をするための必須条件っぽいな」


図星なのか、最上さんはぐっと言葉に詰まったようだった。


「リンは元に戻さなくちゃならねぇ。俺の気持ちをあんたに話す気なんかさらさらねぇが…この気持ちは単純な思い入れや、ましてや手放す惜しさなんかでもねぇ。」


いつかのカツキの台詞が脳裏を過ぎる。
あの時は確かな意思では言い返せなかった。
自分のこの気持ちに名前をつけることに躊躇っていた。
けれど今は違うとはっきりわかる。


「リンがきっと、それを望んでる」


小柳の復興はたしかにリンの幸せの形のひとつかもしれない。
けれどあいつはその道を捨て、俺との道を選んだはずだ。

今はもうあの立派な屋敷なんて見る影もない、だだっ広いだけの…いつか未来の子どもたちを救うであろうその土地を眺めると、リンのその決意を踏みにじりかけた自分を殴りつけたくなる。


「元に戻す方法はこれから探す。このままにする選択肢だけはぜってーありえねぇ」

「…そんな目で見ないでよ。私たちはただ私たちに都合のいい言葉をかけただけ。それの何がいけないの。」

「それが洗脳や催眠術の一種だとわかっててやったならそりゃあダメでしょ。それに言葉だけじゃないはずだ。洗脳なんてそんな簡単なものじゃない。だとすれば君たちのしたことは用意周到で、タチが悪いのは明白だよ」


カカシ先生が再び彼女に縄をかけようと手を伸ばした。
その時、俺が掴んでいる方とは逆の手で彼女が印を結んだ。


「なに…!?」


一瞬の隙に彼女は煙とともに姿を消した。
くそ、忍術なんか使えんのかよ…!
そもそも忍じゃないと決めつけていたのが間違っていたのかもしれない。
この計画の先にあるのが何かはわからないが、そもそもこれがあの小柳の火事から繋がっているものだとしたら、彼女たちが里の謀反人や他里のスパイであることも考えられる。
考えられる…はずだが、油断した。


「彼女は俺が追う!シカマルはリンの保護にむかえ!」

「はい!」


カカシ先生と別れて、俺は蔵書の復元作業についているであろうリンを目指して火影邸へ走った。




[*prev] [next#]
[top]