変態注意報



変態注意報 side シカマル


二人の作業部屋目指して突っ走って、ドアノブを掴んだ瞬間そこに張られた結界に吹っ飛ばされた。
単に極秘文書を扱う部屋だからだろうが、これじゃ中で何が起こるんだか気が知れないと俺の怒りを助長し、理性の糸を数本ぶち切った。
焼けているように痛む手でドアを殴る。結界を解除するなんてまどろっこしいことはやっていられない。

すると少しもしないうちに中から扉が開かれた。
カツキが一人、不思議そうな顔で佇んでいる。


「シカマル君?どうしたの、何か用?」

「…知ってるか?小柳の屋敷は…とっくに取り壊されて、土地は里に返還された。そこには孤児院を建ててくれってのがリンの要望だ」

「…へぇ、そうなんだ」

「それにお前らが今復元している秘蔵書は今後保管場所を移して、小柳は管理の任を解かれるらしい。全部リンが希望したことだ」


扉のすき間から中のリンの姿を探す。
けれどそれを遮るかのようにカツキは廊下に出て扉を閉めた。


「だからなんだって言うんだ?小柳の復興はリンの望みじゃないとでも?僕ら二人で、ゼロから始めていこうってだけの話だろ。納得できない?リン本人の口からそれを聞きたいのか?」

「…リンの本当の願いを、俺はもう見失わない」

「本当の願い?シカマル君のお嫁さん、とか?…いつまでも過去にすがりついて、みっともない男だね」


しれっとした笑みを浮かべるそいつの胸倉を掴みあげて扉に叩きつけた。
さっきまで俺を弾き飛ばそうとしてきた結界がこいつには反応しない。


「お前たちが使うわけのわかんねー催眠術だの洗脳だのについて、さっきお前の妹から聞いた」

「!…チッ、ハルカのやつ…!」

「お前…自分が何したかわかってんのか…!あいつの気持ちは全部無視で好き勝手しやがって…許されることじゃねぇぞ」

「…落ち着いてくれよ。全部聞いたならわかってるんだろう?“それ”を解く方法はないし、仮に解けたとしてもその分脳に負荷がかかる。彼女は妄想力豊かだし完全に“それ”にかかってからもうかなり時間も経った。手遅れだ。無理に解こうとすれば最悪死ぬぞ」


妹と同じことを言う。だからなんだこのまま黙ってろってのか?
そんな道理があるか、とにかくリンをこいつから引き離して、“それ”を解く方法を探す。もちろんあいつの体に負担をかけないように。
何にしろこのままにしておくなんてのはありえない。


「それに、今更随分ムシのいい話じゃないか。これまでリンの気持ちを蔑ろにしてきたのは君の方だろ?そんな彼女を僕が救ってあげたと言っても過言じゃない。」

「な…」

「せっかく僕が忠告してあげたのに、素直に君がリンから離れないからこんなことになったんじゃないか。恨むなら自分を恨めよ」


カッと目の端に火花が散ったような感覚がした。
それと同時に、気が付いたらカツキを殴り飛ばしていた。

盛大に扉を壊しながらカツキは部屋の中に倒れ込む。
随分開放的になったその部屋には五人のリンがいて、目を丸くしながらそれぞれ俺とカツキを交互に見ていた。

そしてそいつらは全員、慌ててカツキの元に駆け寄った。


「え!なに?どうしたの!?」

「カツキさん大丈夫!?」

「シカマル何のつもり!?」


五人のリンはそれぞれカツキを抱き起こしたり俺を睨み付けたりしながらきゃんきゃんと喚いていた。
わかっていたことだがその光景がやけにショックで、頭の奥がじくりと痛む。
今のリンにとって俺は、愛しい存在を傷つけた敵だ。そういう相手をこいつがどういう気持ちで見るか、俺にはよくわかる。
まさか自分に向けられることがあるなんて思いもしなかったが。

だけどこんなことぐらいでへこたれてはいられない。
縛ってでも気絶させてでも、なんとか捕まえて洗脳を解かなければ。


「リン…いいから俺と来い。頼むから」

「何?なんなの一体」

「そいつから離れろ。お前は騙されてる」


おそらく本体だと思われる一人に手を差し伸べようとするが、隣の分身にぱしりと払いのけられた。


「なによ!捨てた女のことなんて放っておいてよ!」

「手放したら急に惜しくなった?」

「残念でした、私の方はもう1ミリもあなたのことなんて好きじゃないから!」

「もう関わらないでよ!」

「やっと手に入れた私の幸せ、壊そうとしないで!」


五人のリンから口々に発せられた否定の言葉に、俺は一瞬目の前が真っ白になった。

…何、言ってんだよ、リン。

わかってる、わかってる、こいつの言葉は全部術にかかってるせいだ。
本当のリンなら俺にこんなことは言わない。


だけど今のこいつにとってはそれがまぎれもない本心だ。


こいつが俺のことをもう1ミリも好きじゃないのも、関わってほしくないと思っているのも、現状に幸せを感じているのも、事実。

…まったくもってタチの悪い術だ。
こんなリン相手に、俺は一体どうしたらいい。


「シカマル…そんな顔するぐらいなら…なんでもっと前に、私の想いに応えてくれなかったの?」


…ああ、その通りだ。

ガキくせぇことばっかして、いつまでもお前の気持ちの上に胡坐をかいて、お前は俺から離れていきやしないと高を括って、お前のことを傷つけ続けた。そんな俺に今バチがあたってるんだろう。

後悔してもしきれない。どうしてちゃんと捕まえておかなかったのか。
訳のわからない、忍術でさえない術に簡単にかかるようなこいつを、野放しにしてなんで俺は平気でいられたんだ。

本当にこんな状態のリンを元に戻す方法なんてあるのか。
たとえ過去のリンがそれを望んでいたとしても…
下手をすれば命に関わるようなことを、俺のためだけに行うのが正しいのか。
確かにそれを決意してきたはずなのに、いざこのリンを前にすると足がすくんだ。
最上さんの言うように、これは本当にもはや俺のエゴなのだろうか。

今のリン自身は別にそれを望んでないし、リンの何が変わったかと言えば俺への気持ちだけ。
そう…戻ってほしいと願っているのは俺だけで、それがリンのためになるかといえば必ずしもそうでもない。

俺さえ関わらなければ。俺さえ諦めれば。
リンはこれからも普通に笑って、仕事して、休みにはサクラたちと出かけたりして、楽しく暮らしていけるのだろう。
俺が黙っていれば。
カツキとも仲良くやって、いずれは子を儲けたりして、小柳一族の存続も可能になるのだろう。

間違いなくそれは過去のリンの決意や覚悟を裏切る行為だ。
だけどそのために、リンを危険に晒すことも俺にはできない。

カツキや最上さんがやけに強気だったわけだ。
リンはこのありさまで、洗脳だの催眠術だのには証拠がなくて、客観的に見れば俺の行動はただの振られ男のやっかみで、彼らをしょっぴけるような材料なんかもほとんどない。

俺には今、一切の勝ち筋がない。

なんだよこれ。


本当に俺はこんなことでリンを失うのか。
俺のことを好きだというリンにはもう二度と会えないのか。
あの幸せに蕩けきった笑みは、もう俺に向けられることはないのか。


「っシカマル…!?」


リンが驚きの声を上げる。

目頭に熱を感じた次の瞬間、一筋の涙が頬を伝っていた。
情けねぇ。女に振られたぐらいで泣いてんのか、俺は。

[*prev] [next#]
[top]