そもそもリンというやつは、俺のことはなんでも知りたがるし話したがるのに、自分のことはほとんど話さない。
単純であほな馬鹿だとずっと思ってたのに、その内で案外いろんなことを考えてるんだと知ったのはごく最近のことだ。
だからこそ衝撃的だったんだ。
「私も子どもながらに、この人は賢い人だ!小柳の遺伝子を持つ私とこの賢い人との間にできる子なら間違いなく天才になる!私は小柳一族を存続させられる!この人との子ども作ろう!って思ったんです」俺は結局リンの表層しか知らなかったのかもしれない。
それなのにすべてを知っている気になって知ろうともしてこなかった。
今になって聞きたいことがたくさんあるのに、それを尋ねる勇気が持てないでいる。
変態注意報 sideシカマル「リンの頭の中にはさ、蔵書の中身が全て入ってるらしいんだよ」
「は?」
頭の中に蔵書が入ってる。
カカシ先生の言葉の意味は頭の中で何度反芻してもわからなかった。
それからの先生の話を再度聞いてみるに、リンは蔵書の内容をすべて覚えていて、今は念写の術でそれを紙におこす作業を繰り返していると。それがリンの言っていた蔵書の復元。
まさか、そんなばかな。あのリンにそんな真似ができるか?あいつが馬鹿なことは誰もが知ってる。アカデミーの筆記テストはいつも赤点だったし簡単な四則計算も怪しければ言動だっておかしいことばっかりだ。
けれどそうは思うものの、あいつと過ごしたこの数年間の思い出がちらちらと脳裏を過ぎる。
馬鹿なくせに、本を読むのが好きだと言っていた。
一度手本を見ただけで、母ちゃんの料理が完璧に再現できていた。
将棋をした時は、初めてだと言ったくせにまるで指南書の手本のような手をつらつらと指した。
思い返せばたしかに記憶力がわるいとは言いきれなかった。本人が覚えようとするかしないかの違いなのかもしれない、とそう思わせるようなエピソードは他にもあるにはある。
将棋のときは最後の最後であいつが、指南書からは逸脱したぶっ飛んだ手を指すもんだから、油断した俺は負けたんだ。
あいつがおかしいのはそういうところだったのか?指南書を覚える脳はあっても、最終的な結論が飛躍するところが、紙一重で才能にも馬鹿にもなりうるということだろうか。
「ただ、覚えていると言っても内容を記憶しているわけじゃないらしい。リンが記憶しているのはあくまで視覚的な情報だけ。だから本人も自分が復元してる本の中身のほとんどは理解していないんだと」
「なんだそりゃ……いや…リンらしいか…」
「そう言われてみればお前だって思い当たる節がないことはないだろ?俺も元担当上忍として思い当たることはあるかって綱手様に尋ねられて、納得がいった節がたくさんあったよ」
映像記憶とか写真記憶とかいうやつだろうか。
話に聞いたことはあれどそんな人間が実際に、こんな傍にいるなんて思いもしなかった。
あまりにも信じ難い話だが、それがもし本当だとすれば…リンは簡単に動かせる書庫みたいなもんで、情報の塊としても、今後の道具としても、使い用なんていくらでもある。
リスクを背負っても手に入れる価値があるということだ。
「くそ、それが本当なら…状況は全然変わってくるじゃないっスか…!」
「お、やっと火ぃついた?」
リンがそれを人に話せないのも、これ自体がオフレコになるのももちろんわかる。そんなもの、それを知られること自体がリンにとっても里にとっても大きなリスクだ。
それを綱手様や上層部、カカシ先生が知っているのはまだしも、どうして最上カツキにまで伝えたのかという点だけが疑問だが…だからこそ、今のリンが正常じゃないとするならば、その犯人だって最上カツキただ一人にしぼられる。
…本当に正常じゃないと、するならば。
「あ、シカマルくーん!こんなところにいた!もう!迎えに行くから待っててって言ったのに!」
なぜだか少し霞みがかったような頭でこの先の手について考えていると、わざわざ早朝に家を出てまでまいてきた相手が腕に絡みついてきた。
「最上さん…離してください」
「やだ!これからデートでしょ?」
最上さんはわざとらしく頬を膨らませてむくれてみせた。
幼い仕草はリンによく似ている。この人はいつまでこの戯事を続ける気なのだろうか。
ついさっきまで満足気に目を細めていたカカシ先生が、打って変わって大層冷ややかな視線を突きつけてくる。
隠れて俺たちの様子を伺っていた彼女に俺が気づいていたぐらいなんだから、この人が気づいていなかったわけもないだろうに。
「あ、はじめまして!シカマル君の今カノのハルカです!シカマル君の上司さん…ですか?お話終わりましたかね?すみません、私たちこれからデートなので、これで失礼しますね!」
「終わってねーし引っ張んな」
「どうして?こんなところでわざわざ立ち話なんて…また元カノのこと考えてたの?もうあの人のことは忘れて、前を見て生きていこうよ!ほら、あなたには私がいるから」
最上さんがそう言って包み込むように俺の手を握る。
するとどきりと一瞬心臓が跳ねた。
なんだ、今の。
「あの人はシカマル君を捨てたんだよ。わかってるんでしょう?シカマル君の遺伝子にしか興味がなかった。彼女が恋をしていたのはシカマル君じゃない。シカマル君のその血なの。だから別にあなたじゃなくてうちの兄でもいい。そういうことでしょう?」
「ああ…わかってる」
「…?シカマル…?」
「散々振り回された挙句にあっさり突き放されて…シカマル君が落ち込む気持ちはよくわかる。けどそれでももし、まだシカマル君に彼女の幸せを願う気持ちがあるのなら…ここはもうそっとしておいてあげるべきじゃない?小柳の復興がリンさんの望みなら、どうせシカマル君とでは、それは叶えられないの。無理に引き戻したとして、それは本当に彼女の幸せと言える?」
頭の霞が濃くなっていく。
最上さんの言葉すべてが正しいように思える。
そうだ、今がリンにとって一番だ。
カツキとなら、小柳の名前が潰えることはない。里の重要機密を任されるほどの男だ、将来に不安はないだろう。小柳はこのまま政務官として返り咲くことができる。
それがリンの一番の望みで、一番の幸せじゃないか。
リンは何もおかしくない。ずっとこんなところでぐずぐずしてリンが正常じゃないとかなんとか考えてる俺がおかしい。
「ほら、行こうシカマル君!今日は映画を見るんでしょ?」
「…あー…そうだったっけ」
そんな話だったか。覚えてないけどそうなんだろう。
自然と二人の手が繋がるとそれまでのモヤモヤした何かが掻き消えて、すっと心が落ち着いた。
その時顔面に衝撃が走って、次の瞬間には俺は地面に叩きつけられていた。
「きゃあ!」
「印を結んだようには見えなかったけど…瞳術か?言霊か?とにかくその場から動くな」
俺に駆け寄ろうとする最上さんの前にカカシ先生が立ち塞がった。
おそらく俺をぶん殴ったのもこの人だ。
「シカマル…しっかりしてくれよ。リンが恋していたのが何だって?リンの望みが何だって?」
そこまでの致命傷でもないはずだが目の前がチカチカと点滅する。
なんとか体を起こすと殴られた頬ではなく頭に痛みが響いた。
「俺が断言してやる。リンが愛してたのはお前自身。リンの望みはそんなお前のお嫁さん。お前がリンに気がないならそれでいい。けどそうじゃないなら、お前があの子の幸せを間違えてくれるな」
頭がひどく痛む。けどここ数日ずっと霞みがかったようだった視界が急にクリアになった。
「カカシ先生…ありがとうございます。なんかスッキリしました」
「そ?ならよかった。なんならもう一発いってもいいけど」
「もう勘弁っす」
立ち上がった俺と目が合うと、最上さんは苦い表情でじりじりと足を後ろに引いた。
「おっと。…逃げないでくださいよ」
踵を返しかけたところを影真似の術で捕まえる。
「わりーけど、映画はキャンセルで」
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