リンが家を出てからしばらく経つと、何かしらの情報を聞きつけた馴染みの誰かしらが毎日のように俺の元にやって来ては、それぞれ好き勝手に怒ったり心配したり同情したりしてくるようになった。
しかもどいつもこいつも、俺自身よりよっぽど今の俺の状況がわかっていそうな口ぶりだ。
大体なんで俺が振られたみたいになってんだ。
同情も慰めも余計なお世話だ。
俺はあの変態ストーカーからついに解放されて清々してる。
…そう言えたならどれほど楽だろう。
変態注意報 sideシカマル俺の毎日は以前までと何も変わらない。
決まった仕事は中忍試験の打ち合わせぐらいで、あとは鹿の世話をしてれば終わる日々。
今日も五代目に報告書を提出したらそれで終わりだと、俺は報告書を手に火影邸を歩いていた。
煮物を渡せなかったあの日からずっと、俺の頭には暗いもやがかかっているようで、普段はすぐに終わるような報告書にも時間がかかった。
夜もあまり眠れないし気分は最悪だ。
そんな俺の目の前にそいつは現れた。
「リン…」
「あ、シカマルひさしぶり」
リンはいたって普通に俺を見て、いたって普通な挨拶をして、何事もないように通り過ぎようとしていた。
なんでだよ、お前は何も俺に言うことはないのかよ。
俺は思わずその手を掴んで引き止めた。
「シカマル…?」
首を傾げるリンを前に、俺の中ではもう何日も自問自答を繰り返している思考が駆け巡っていた。
今更どうしようってんだ、何を言うことがあるんだ。
リンがずっと俺の傍にいたのは、俺の遺伝子が欲しいだけだったんだ。今はもうその興味を失って、小柳の復興を手伝うと言った男とくっついた。こいつにとって俺はもう用済みなんだ。
好きだなんだ言いながらこんなにも簡単に、俺たちの数年をなかったことにした。勝手な女だ。
そんな女に、俺は何を…
「…あの時、しばらく顔見せるななんて言ってわるかった」
逡巡した結果、口からついて出たのは謝罪の言葉だった。
「ああ、そんなの全然気にしてないよ!私の方こそごめんね、ハルカさんのこと脅すようなマネしちゃって」
あの日俺がちゃんとリンと向き合っていれば現状は違っただろうかと、そんなたらればも何度も考えた。
けれどそういうわけでもないのだと、今のリンの返答を聞いてはっきりした。
俺の知ってるリンなら、俺のあの台詞を気にしないわけがない。俺が背に庇った女を、親しく名前で呼んだりしない。
このたった数日でお前に何があったんだよと問いたかった。けれどそれはあまりにも負け惜しみじみたセリフだ。俺を好きじゃないリンを、リンとして認めたくないだけのような。
こんな状況でも俺はまだ何かを期待していたのか。
足元が崩れ去るような絶望感には未だに底がない。
「今度ハルカさんにも謝っておいて!」
「なんで俺が…あの人とはあの日以来会ってねぇよ」
「え!なんで?二人って付き合ってるんでしょ?」
「は…?なんだそれ」
「隠さなくてもいいよー私もうカツキさんから聞いてるから!最初は悔しかったけど、まぁハルカさん美人だし仕方ないよね…」
そんなのカツキがついた嘘だ。
それでリンの俺への未練を断ち切ろうとかそんな算段か?
「…なんで…」
なんでそんな話信じるんだ。
そんなわけないだろ。しかも仕方ないってなんだ。仕方なくないだろ。俺に近づく女には然るべき処置をするんじゃなかったのか。
「結婚後は私のこと義姉さんって呼んでいいからね」
「ねえさん…?」
「あれ?もしかして知らない?ハルカさんはカツキさんの妹だよ」
そんなふざけた話があるか。
俺に近づいてきた女とリンに近づいた男が兄妹?で?それが偶然だとでも言うのか?
くそ、どちらの名前も知っていたのに、なんで何も疑わなかった?なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだ?
あの日喫茶店であの会話を聞いたのは偶然じゃない。意図して聞かされたんだ。俺と最上さんが二人でいるところをリンが見たのも、そう仕向けられたんだ。
…そう気づいたが、だからといってこの現状は変わらない。
さっきわかった通りだ。リンがあの男を選んだことと、俺の行動には関係がない。
女性の方の最上さんは、小柳復興をエサにしてもリンが釣れなかった場合の予備の手だったのだろうか。
俺が最上さんを選べばリンの心が俺から離れると思ったか。だとしたらそれは必要のない準備だったようだが。
女を口説くだけにしては用意周到すぎる男だ。
そんなやばそうなやつにリンをくれてやりたくなんかない。
けれどどうすればいい。俺の今の立場で何を言やいい。
その時ふと、リンの背中越しに今最も会いたくない男が視界に入った。
「あ、リン。こんなとこで油売ってたのかい?」
「カツキさん!ごめんなさーい!」
探したよ、と男はリンの頭に手を置いて、するりと髪を撫で付けた。
まるで俺に見せつけるかのように。
「…元カレと逢い引き?」
細められた目が俺を睨む。ただその口元は勝ち誇ったように弧を描いていた。
「そんなんじゃないですー!カツキさんにとっても将来の弟ですよ!やさしくしてあげてください!」
「ごめんごめん。けど俺が妬いちゃうから、もう二人きりで会うのはなしね」
「えー、もう、仕方ないなー」
「ありがとう。それじゃシカマルくん、またね」
二人して俺に小さく手を振ると、二人は仲良く腕を組んで歩き去って行った。
俺は何も言えなった。
カツキを見るリンの笑顔はかつて俺に向けられていたそれだった。
ほんのわずかに上擦った甘えるような声も、強引に、けれど実際はどこか遠慮がちに触れる手も。
すべて何年も見てきたリンのもので、相手が俺じゃなくなっただけ。
過程がどうあれ結果がすべてだとしたら、きっとリンにとっては今が正解だ。
やっとわかった。勝手なのは俺の方だ。
何年も蔑ろにしてきた女が別の男に持ってかれたからって、勝手に拗ねて、勝手に怒って、勝手に絶望して。
見切りをつけられただけのくせに、まるで被害者気取りで。
これは今までの俺に対する相応の報いだろ。
ほんと、馬鹿だな俺。
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