変態注意報

カツキのものだというカラスを追いかけたリンを見送って、しばらく問答した。
カツキの用が二人の仕事のことであれば俺には関係ない。
けど昨日あんなことがあったばかりだ、何の用だかなんてわかったもんじゃない。


「あーくそ!」


俺は慌てて適当な服に着替えて外に出た。
当然既にリンの姿なんてなかったが、しらみ潰しにでも探すつもりだった。



変態注意報 side シカマル



「シカマル君!」


家を出てすぐに、甲高い声に名前を呼ばれた。
振り返るとそこには、出来ればもう見たくはないと思っていた人の姿。


「最上さん…」

「シカマル君、会いたかった!」


瞳に涙を浮かべながら、彼女は突然しかと俺の手を握ってきた。


「な、なんスか一体…」

「ごめんなさいシカマル君、私どうしてもあなたに謝りたくて…!」


つーっと一筋、最上さんの頬に涙がつたう。
俺はぎょっとして一歩退いてしまった。


「シカマル君の言う通り…私リンさんのこと全然知らないのに、勝手なことばかり言って…シカマル君に不快な思いをさせてしまって、とても反省してるの。本当にごめんなさい!」

「あ、ああ、そうっすか…わかってもらえたならもういいんで、気にしないでください」


真剣な雰囲気の最上さんには悪いけど、今は正直それどころじゃない。俺は今一刻も早くリンのことを追いたい。

だから適当にあしらおうとしたのだが…
普通ならもうこれではいさよならで良いところを、彼女は俺の手を離す様子すらない。


「ううん、これだけじゃ私の気が済まないの!ちゃんとお詫びをするから、今日一日付き合って!」

「…は?」


呆れてる俺を意にも介さず、最上さんは一方的に俺の手を引いて歩き始めた。

おい待てよ…あんた詫びを適当な理由にしてるだけで、はなからそれが目的だったろ。
信じらんねぇ、そんなことのために女は涙まで演出できるのか。

リンとはまた別ベクトルでとんでもねー女だ。
いや、けどこの女の方がよっぽどたちが悪い。

これがリンだったならまだ引っ叩くなりなんなりして拒絶できるんだが、最上さんは一般人だし、ただでさえ男が女にそんなことをすれば大問題だ。

どうにか逃れようと文句を言っても聞く耳は持たないし、多少無理やりにでも手を振りほどいて逃げようとしたらすぐ泣かれた。
こんな時どうすればいいのかなんてことは、今まで誰も教えてくれなかった。


「ここの喫茶店、コーヒーがとってもおいしいらしいの!今日はちゃんと私が奢るからね!」


四苦八苦している間にいつの間にか、若い女で賑わう喫茶店にたどり着いていた。
さっきのしおらしさなんてどこへやら、何が嬉しいのかにこにことする最上さんを前に俺はため息をついた。

コーヒー一杯飲んだら少しは気が済むだろう。
あとはなりふり構わず術でもなんでも使って逃げよう。
そう思って、オーダーしてすぐに運ばれてきたコーヒーに口をつけた。


「リン、僕と結婚しよう」


ぶー!!!
口に含んですぐのコーヒーを吹き出してしまった。


「大丈夫!?」

「ああ…すんません…」


今のはカツキの声だ。
おそらく席の仕切りとインテリアの生垣を挟んだ隣の席、そこにカツキとリンがいる。

なんだこれ、こんな偶然ってあるか?
いやもう今のところそれは置いといたとして、カツキのやつ今なんつった?昨日の今日でプロポーズだと?何考えてんだやけくそか?

そこまで静かなわけでもない店内だ、俺はおしぼりでコーヒーを拭きながらも全神経を集中させて耳をすました。


「いやあのカツキさん、ご存じの通り私にはシカマルが…」

「リンの望みは小柳一族の復興だろ?」


なに?一体何の話だ?


「と、隣、もしかしてリンさんじゃ…?」


慌てつつもこっそりと最上さんが耳打ちしてきたので、「わかってる。ちょっと黙っててください」と声は潜めながらも少し強めに制した。


「シカマル君は奈良家の長男だ、彼とでは君の望みは叶わない。だけど僕は協力できるよ。君と共に、必ず小柳を返り咲かせてみせる」


…どういう話だ、そんなもんでリンを落とせると思ってるのか。
小柳の復興が望みだなんてリンからは一切聞いたことがない。

リンが必死になって働いている姿に何か勘違いでもしたのだろうか。けれどリンが目指したのは小柳の復興ではない。

「確かに今でも、馬鹿にしてた人を見返してやりたいとか小柳の評価を取り戻したいとかは考える。けどね、そうやってがんばるのは全然嫌な事じゃないよ。がんばればがんばるほど、シカマルに相応しい人にも近づけるような気がするから」


「シカマル君でないとだめだなんてことはないはずだ。むしろリンのためにはシカマル君じゃない方が良い。それは君もわかってるだろう」

「うーん、カツキさん、あの…」

「…君は小柳の復興を目指すため、小柳の遺伝子と掛け合わせるに値する優秀な遺伝子を探しているんじゃないのか?僕の優秀さは君も知っている通りだ。僕でも十分合格じゃないかい?」


カツキの言うことは突飛過ぎる話ばかりで、少し耳を疑う。
リンみたいな馬鹿がそんなこと考えてるわけがない。リンはおそらくこの話についていくことすら出来ないだろう。

呆れを通り越して少し落ち着いた。改めてコーヒーを飲む。たしかに美味い。

…大体カツキのその言い分で言うと、


「…なんでそんなこと…」

「だってそもそも君がシカマル君に近づいたのだって、そういうことだろう?それしか理由が考えられない」


そう、俺だってそういう理由でリンに選ばれたということになる。

すっげー馬鹿げてる。
リンとしても鼻で笑うぐらいしかリアクションの取りようがないだろう。
まったくもってありえない話だ。

あの男は見かけによらず想像力豊かだな、なんて考えていた。
けどそれも束の間。

次のリンの一言で、俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。


「…あはは、すごい。それ言い当てられたの初めてです」



···············は?

何言ってんだお前。話理解してねーんじゃねぇか?
よくわかってねーまま適当な返事してんじゃねぇよ。
おい、馬鹿、お前の今の言葉は、俺を選んだのは俺が優秀な遺伝子を持っていたからだって認めたことになるんだぞ。
そいつのとんでもねー勘違いを助長させることになるだろうが、早く取り消せ。


「シカマルってめんどくさがりだしやる気もなかったから、アカデミーのテストとかは全然だったけど…みんなで忍者ごっことか鬼ごっことか、あと実技演習とかやった時にはたまに作戦を立ててくれることがあって、それがもうすごくって!」


何の話だよ、そんなんどうでもいいからとにかくさっきの言葉は否定しろ、話がよくわかんねーって正直に言え!

暑くもないのに額に汗が滲む。
もう何も聞きたくない言わせたくない。そんな気持ちがよぎったが、何も知らないリンはすらすらと俺に絶望を叩きつける。


「私も子どもながらに、この人は賢い人だ!小柳の遺伝子を持つ私とこの賢い人との間にできる子なら間違いなく天才になる!私は小柳一族を存続させられる!この人との子ども作ろう!って思ったんです」


決定的だった。
リンは話を理解していないわけでも冗談を言っているわけでもない。

その時の俺はどんな顔をしていたんだろうか。
ひどく慌てた最上さんがすぐさま俺の手を引いて立ち上がって、半ば俺を引きずるぐらいの勢いで外に出た。

抵抗するような気力も周りの目を気にするような余裕もない。
しばらく自分が何を考えていたのかもよくわからない。目も開いていたし足も自力で動かしていたが、俺の中は完全な"無"だった。脳が考えることを拒否していた。


「なんなのあの人!ひどすぎるわ!人のことをそんな目でしか見てないなんて…信じられない!」


俺の手を引きながら最上さんはずっと怒っていた。
だけどそんな彼女の言葉も俺の中には留まらずすぐに流れていく。


「気にすることないわよシカマル君!あんな最低な女のことは、犬にでも噛まれたと思って忘れましょ?むしろ手遅れになる前に本性が知れてよかったと思わない?」

「………」

「シカマル君……ごめん、つらいよね…」


少し背伸びをした彼女は、正面から俺の首に腕を回した。
そのやわらかな感触と花のような甘い匂いは、嫌でも俺にリンのことを思い出させた。


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