二人の唇の距離、あと一センチ。
「シカマルーリンちゃーん、ごはんできたわよー!」
「「!」」
部屋の外からお母様の声が聞こえて、お互い突き放すように反射的に距離を取った。
それまで鼓動を忘れていたかのような心臓が、どくどくと激しい主張をし始める。
私もシカマルも服の胸元を掴んで、今何が起きたんだというような顔で口をぱくぱくさせていた。
「どうしたの二人ともーいるんでしょー?」
「は、はい!すぐ行きます!」
なんとかそれだけ答えてシカマルに向き直った…けど、すぐに言葉は出てこなかった。
今キスしそうだったんだよね?シカマル拒否しなかったよね?それは一応おっけーだったってことだよね?
上手く言葉にならないから目だけでそう訴えかけるけど、シカマルはわかってるのかわかってないのか、真っ赤な顔で頭を掻いて「飯、いくぞ」と言うだけだった。
ちょっとここで逃げるのはさすがに男らしくないんじゃないか!
そう言ってやりたいけどここに来て「うるせぇばか」とか言われたらさすがにこたえるから言えない。
いかにも不服です、という視線を送りつけるだけにした。
シカマルはそんな私を見て困ったような顔をし、誤魔化すようにわしゃわしゃと私の頭を撫でた。
「とりあえず行かなかったらあやしまれんだろうが。不細工な顔すんな」
「ぶ!?」
初めての頭なでなでへの喜びと、初めて不細工と言われたことへの衝撃が入り混じる。
困惑しているとシカマルは私を置いて出て行ってしまった。
くそう、また私はこうやって宙ぶらりんにされるんだ。
変態注意報 sideリン翌日普通に出勤したものの、仕事はまったく手につかない。
頭の中はシカマルのことばっかりだ。
割といつもシカマルのことばっかりだけど、今まで仕事中だけはうまく切り替えができていたのに。今日ばかりはそうもいかなかった。
困ったことに、頭の端っこでもシカマルのことを考えながら念写をするとシカマルが写し出されてしまう。
この日はシカマルのキス顔が写ってしまった紙を、もう軽く十枚は捨てるはめになってしまった。
悩むぐらいならちゃんと話をすればよかったのに、肝心なところで臆病になってしまうのは、地味に巣食っていたトラウマのせい。
確認をしたら、昔のようにまた"そんなわけねーだろ"とか、"特別だけど好きじゃない"とか言われるかもしれない。
実際今回もシカマルは雰囲気に流されただけだと思うし。
これまでのシカマルを振り返って考えると、割と雰囲気に呑まれやすいところがある。
それならわざわざ確認なんかして傷つくより、今のままでいいと思える自分がいる。
だけど同時に、今度こそと期待してしまってうずうずする自分もいた。
さて、どうしたものか。
「リン、もう今日は終わりにしておこうか」
「え?そんな、なんでですか?まだ時間…」
「なんでってそりゃ、全然集中出来てないみたいだし。そのシカマル君でもう五十人目だよ」
「そんなに!?」
「君の水分身の分も含めたらね」
何してんだよ分身ー!
思わず睨み付けたら全員に睨み返された。さすが、考えることは同じだ。
「大丈夫、こんな日もあるよ。また明日がんばろう。…あ、違う、また月曜からがんばろう」
「へ?明日明後日…土日はどうかされたんですか?」
「いや、働くのは平日だけで土日は休みって決めてるからね。サービス業じゃないんだしこんなもんだよ」
「ほ、ほう…」
残業しない主義ってとこでも思ったけど、この人よくこの働き方で今の地位まで昇れたな…
それだけ優秀ってことなんだろうけど、この半年間ほぼ無休で働いてる私とのギャップがやばい。
しかもカツキさんが休みだと自動的に私も休みになるのか…まぁ私はほんとに念写しかできないから、保管の問題とかいろいろあるんだろうけど…
「どうしたの?あんまり嬉しそうじゃないね。休みが欲しいって前に言ってたのに」
「あ、いや…急な休みだから、何して過ごそうかなーって考えてただけです」
本当は休みの間シカマルとどう接していけばいいのかなって考えてました。
「そうなんだ。じゃあ僕とデートしない?」
カツキさんはさらっと何でもないことのようにそう言った。
この人は割とよくこういうことを口にする。一見軽そうなタイプには見えないけど、相当女慣れしていると思われる。
対してシカマル慣れしかしていない私は、からかわれているだけだとわかっていても毎回どぎまぎしてしまうからやめてほしい。
「いや、ただでさえ毎日顔合わせてるのに、カツキさんも休みの時ぐらい私の顔なんか見たくないでしょう…」
「いいや?僕はリンのこと好きだし、大歓迎だよ」
「あ、ありがとうございます」
「うん。だからいつでも呼んでね」
きらきらとしたスマイルを見せると、カツキさんは私の手を取って甲に軽く口付けた。
私はカツキさんの前でもシカマルシカマル言ってるし毎朝らぶらぶっぷりを見せつけてしまってるし、そんな私に好きだなんて、どう考えても本気で言うような言葉ではない。
カツキさんの言葉はお世辞もお世辞だ。
だけどやっぱりドキドキが止まらない。この気持ちはなんだろう。
それから帰りの際、私は買い物と不動産屋に寄ったけれど、護衛としてカツキさんはずっと付いて回ってくれた。非常に申し訳ない。
護衛なんて本当に必要ないと何度も言っているのだけど、カツキさんは頑なに譲ってくれない。今度綱手様に直談判しないと。
買い物を終えて帰宅すると、お母様が「今日は早かったのね」と迎えてくれた。
シカマルもお父様もまだ帰ってないみたいだ。
「では台所お借りします!」
「はいどうぞ」
今日はもともと私が夕ご飯を作らせてもらう約束だった。
これまで私が覚えた奈良家の味を、奈良家の皆さまに審査していただくのだ。
メインはもちろんサバの味噌煮。
最近は忙しさからめっきりだったけど、もともと料理はよくしていた方だ。
特に難なく、一時間足らずほどで一汁三菜のサバ味噌定食が完成した。
我ながら上手くできたんじゃないかと思う。
「…今日お前が全部作ったのか?」
「シカマル!お、おおかえり!」
「ただいま」
「う、うん、私が作った…!」
「そっか、ありがとな」
焦った、そういえば結局シカマルに対してどういうスタンスでいくのか考えてなかった。
おかしいな、ちょっと前まであんなに悩んでたはずなのに。いつの間に忘れてたんだろう。
つい咄嗟に何事もなかった風な、聞き分けのいい女スタンスでいってしまったけどよかったんだろうか…
「まぁリンちゃんすごいわね、見た目も私の料理とまったく一緒」
「おお、うめぇ…!味も母ちゃんのとまったく一緒じゃねぇか!これほんとにリンちゃんが作ったのか?」
「私が作りましたよ。お口にあったようでよかったです」
「お口に合うも何も、俺にとっちゃこれ以上はない味だぜ」
お父様もお母様も私の料理を大絶賛してくださった。
私の料理をというより、正確にはお母様の料理の再現度の高さをだけど。
「リンちゃん別にメモも取ってなかったのに、一回教えただけでよくここまでできたわね…」
「覚えようと思って見たものは、大体一回見たらほぼ覚えられるので」
覚えていたお母様の動きを完全にマネしただけだから、同じ味になるのも当然だ。
これまでの私の料理スキルもサスケのお母さんの完コピだったし、正直調味料を入れる順番の意味とか落し蓋の意味とかは何にもわかってないから、今のとこ応用は一切利かない。
とりあえずなんにしろ喜んでもらえてよかった。
移り住む用の部屋も今日見つかって、あとは引っ越し作業を終わらせればいいだけだから、もうここにいる時間もそう長くはないだろうし、今のうちに出来るだけ恩返しをしていかないと。
ふと先ほどから無言なシカマルが気になって、ちらりと横目に伺う。
箸は普通に動いているけど…どうなんだろう、大丈夫だと思うけど、少し気になる。
「…おいしい?」
「ああ、すっげーうまい」
「…よかった」
シカマルも何事もなかった風な顔をしてるけど、実際のところ悩んだり考えたりしてくれているんだろうか。
それなら私は、それを信じて待っていてもいいのかな。
とにかく今はこの幸せを噛みしめていよう。
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