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今日はなんと露草が手料理を振舞ってくれるとのことで、修兵は久方ぶりに露草の家を訪れていた。
これまでの練習の成果を見せてくれるということだろう。
これが上手くいけば同棲話は進むのか?それとこれとは別なのか?
重大な未決問題を残している分、振る舞われる側の修兵の方がいやにドキドキしてしまっていた。

以前訪れた時のこの家には目につく範囲に布団ぐらいしか物がなかったが、今は多少生活感も増え、台所には調理器具や食器が、居間にはちゃぶ台と座布団、そしてかわいらしいぬいぐるみが置かれるようになっていた。
逆に万年床らしき布団はどこかに撤収されている。別で寝室を作ったのかもしれない。

…大丈夫か?引っ越す気あるか?ここが快適になってしまったら余計に出る気なくすんじゃないか?
本来の目的通りなら、露草がこれまでの生活を見つめ直すことで、人並みのまともな生活を手に入れることができるようになったのなら最早それでよく、同棲という手段は必要なくなるはずなのだが…この家が快適になるのが心配になるぐらい、修兵の中では既に同棲が手段ではなく目的にすり変わっていた。

だって修兵は露草とイチャイチャしたくて仕方ないのだから。

調子に乗って二人きりの執務室で何度か迫ってからというもの、あそこでもちょっとでも手を出せば警戒心MAXの露草からえらい反撃に会うようになってしまった。
今後イチャイチャするにはまじで家しかない。
本当は今日だって露草に「おかえりなさい」と迎えられた時点でそのまま玄関で押し倒してしまいたいぐらいだったがなんとか耐えた。せっかく作った料理を食べないなんて露草が悲しむと、いつも通りの表情を装いながら内頬を噛み締めて耐えた。おかげで口の中はさっきからずっと血の味だ。料理が味わえるのか少し不安なぐらい。

「できたよ〜お待たせ!」

そこそこ時間がかかっていた気がするが、出てきたのはオムライス一品だけだった。
露草の料理スキルが上がりすぎてないことになんだか妙に安心してしまう修兵。
よし、いいぞ、露草にはまだ俺が必要なはず。
しかもオムライス自体はそれなりに完成度の高い見た目をしている。露草の花嫁修業という観点で言えば本人的にも及第点は出るはず。同棲話、進めても大丈夫なはず!

「いただきます。」

もし不味くても美味いって言おう。これならいつ嫁に来たって大丈夫だって言おう。
修兵は深くは後先考えずそう心に決めていた。

「うん、美味い!」
「ほ、ほんと?」
「ああ、料理初心者とは思えない味だぜ!」
「へ、へへへ…」

修兵はちゃんと本心からそう言葉にできた。
しかし修兵は知らない。露草がまだオムライスしか作れないということ。つまり到底まだまだ彼女の中では及第点には及ばないということ。

「これなら………」
「これなら?」
「あ、いや……」

いつ嫁に来ても大丈夫だ?
いやそれプロポーズじゃねぇか!
直前で冷静になって留まった。プロポーズしたところで問題はないのだが、どうせならもっと練りに練ったシチュエーションと言葉でしたい。

「同棲…進める気になったか?」

結局ただの催促みたいな台詞になってしまった。
しかも露草が「うーん…」と言い淀むので撃沈する。
露草は自分が最低限の女子力だの家庭力だのを身につけたら同棲も可能だと言うが、そもそもそんなもの必要ないと思っている修兵からすれば、その条件は全てが露草の匙加減、露草の意思次第だ。
修兵自身にはどうすることもできないのがもどかしい。
露草は俺と一緒に暮らしたいとは思っていないのだろうか?と少し卑屈にもなってしまう。

「あのさぁ…この前京楽隊長が言ってた話、露草としてはどう思う?」
「何の話?」
「ほら…結婚とか、その…子どものこととか。話聞いて、心配になったりしてないか?」

露草が二人での生活に乗り気ではないのはそういう理由も考えられるのではないかと思ってしまった。
実際修兵は京楽の話に納得してしまっていた。
普通なら考える必要もない、自分たちだからこそ抱えてしまうことになるリスクについて。
しかし露草はオムライスを口へ運んだスプーンをくわえたまま、不思議そうに首を傾げた。

「全然ならなかったよ。」

修兵の心配なんてなんのその、露草は気持ちいいぐらいあっけらかんとしていた。

「あの頃とはまた時代が違うしね。四十六室も入れ替わるし、瀞霊廷内の孤児もめずらしくなくなってきたからそういう施設も増えてるし。もし万が一私に何かがあったとしても、私の子が私と同じ道を辿る可能性はほぼないと思う。京楽兄さんは心配性なんだよね。」

考えたことがなかったと言っていた割に理論がしっかりしている。あの後露草なりに考えたのだろうというのはわかった。
なるほどそれでは正真正銘、露草はただただまだ二人暮しに踏み切るつもりがないだけなのだな。それがわかった修兵は安心するやら落ち込むやら。

「というか何より…あれだけ手塩にかけた私が失敗作だったから、それをもう一回やってみようとはならないでしょう。」

露草はそう言って苦笑した。
たしかに四番隊でも十三番隊でも一番隊でも、露草は失敗続きだったかもしれない。
しかしだからと言って、失敗作とは違うだろう。

「途中経過はどうあれ最終的には目論見通りの隊長格が育ってるんだから、失敗も何も、大成功だろ。」
「そうかな。だって私、あの時現世で修兵に出会ってなかったら間違いなく死んでたよ。」
「それは…」

たしかにそうかもしれない、と思ってしまった。
否定できない修兵は気まずい思いでオムライスを頬張った。そんな彼を見て露草はやさしく微笑む。

「…けどね、だからこそ私、あの時現世に行って本当に良かったって思うの。」
「え…」
「みんながみんな、私を現世に送り出したのは失敗だったと思ってるし、実際…小隊長は私じゃない方がよかったかもしれない。けどあの遠征がなかったらきっと私…こんなに強くなれなかった。…初めての友達だってできなかった。」

修兵はスプーンを置いて露草を見る。
露草がこんなに穏やかな顔で過去を語っているのは初めてだった。

「そして何より…あの時あの場所にいたおかげで、修兵に会えた。修兵のことを好きになれた。それまでの理不尽も光の見えない未来も、あの時にやっと受け入れられたの。…こんな話、全然記事には出来ないけど…修兵には覚えていてほしい。」

修兵以外の人にはとてもじゃないが語れない百年だ。
無力で、孤独で、自分勝手で。思い出すことはとても辛く、泣きそうになる。
けれどだからって、あの時間がなければよかったなんて絶対思わない。

「私のこれまでの全てが、修兵と出会ったあの瞬間に必要なものだったんだとしたら…私、四番隊で、十三番隊で、八番隊で、一番隊で…本当によかった!」

誰のことも恨んだ事がないと言えば嘘になる。
これはただの結果論だ。けど、それでも、これが間違いなく今の本心だ。

露草のその晴れやかな笑顔に修兵は胸が締め付けられた。
思わず露草を抱きしめる。
あの時露草に出会えてよかった。助けられてよかった。数々の理不尽を、それでよかったのだと笑えるぐらい幸せになってくれて、本当によかった。

「ああ、忘れない。露草の苦しみも、挫折も、それを何度も乗り越えてきたがんばりも。…露草、俺と出会ってくれてありがとう。」

まだ食べかけのオムライスが頭の端にほんの少しだけチラつきながらも、ゆっくりと二人の唇が重なった。
もしかしたら露草にとって今は過ぎた幸福で、十分すぎるほどなのかもしれない。
修兵はやっとそんな考えに至ったが、こんなのますます手放せないとも思った。
今が最上だなんて決めつけはおかしい。毎日毎日これ以上ないってぐらい愛してやって、どろどろに甘やかして、怖いぐらいの幸せを教えてやりたい。この想いに際限がないことを知らしめてやりたい。
もちろん無理強いはしたくないが、どれだけ待てと言われたって、もう長くはもちそうにないのもたしかだ。

「露草…オムライス、残りは後でもいいか?」

露草は一瞬目を見張ったが、少し視線を逸らすと小さく頷いた。
修兵はそれをちゃんと確認してから、今度は先程よりも深く口付けた。
ケチャップ味かと思ったが、予想に反してどうにも甘い。そう感じているだけだろうか。ずっと貪っていたいようなそんな味だ。
時折露草の鼻から抜けるような甘えた声が耳をくすぐると、修兵はもうすぐそこに己の限界を感じるようになった。

「なぁ」
「な、なに…」
「布団どこ?」

途端に露草の肌が首まで真っ赤に染る。
キスの最中の「口を開けろ」の意味はわからなかった露草だが、さすがにこれの意味がわからない訳ではないのだろう。
けれどそれで粛々と布団を敷くような露草ではなく、結局まさかの「布団は無い」の回答で全てをシャットダウンされてしまった。絶対嘘じゃねぇか。

「なんでそんなくだらねー嘘つくんだよ。」
「…まだ…閨の勉強までしてない…」
「はあ!?んなもん俺が教えてやるからしなくていい!」
「やだ!それが花嫁修業で一番大事だって言われたもん!」
「誰が言ってんだそれ!言え!誰に言われた!?」
「あとやっぱり恥ずかしい!むり!あと十年待って!」
「待てるかばかふざけんな!!!」

この後どちらも引かない押し問答は三十分に渡って続いた。
そして結局色っぽい雰囲気が遠ざかった二人は、仲良く冷めたオムライスを食べるのだった。




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