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「どうだった?十三番。あそこにもいいネタなんてなかったでしょ?」

そう言って露草は苦笑する。
露草のルーツを辿る修兵の旅路に、彼女は本音ではどう思っているのだろうか。
誰が言いふらしたわけでもない、本来なら誰にもあばかれることはなかった100年以上昔の彼女の軌跡。まともな記事にはできそうもないことを彼女自身が一番よく知っている。だからこそ彼女は自分の口からはそれを語らない。

「お前が楽しそうに過ごしてたのはよくわかったよ」
「そうだね…あの頃が一番自由だったかな」
「…幸せだったか?」
「もちろん。浮竹兄さんには感謝してもしきれないくらい」

たとえその先の運命が辛く険しいものだったとしても、その一時の幸福があったこと自体が彼女にとっては何よりの宝物だったのかもしれない。

「さすがに甘えすぎて、周りの大人にはずっと給料泥棒って言われてたけどね」

…そうだ、彼女はそんな一時の幸せすら、周囲の糾弾によって奪われたのだ。
修兵は思わず露草を抱きしめた。
この旅路は思っていた以上に精神的にきつい。

「修兵…?」
「なぁ、今は?今お前は幸せか?」
「ん?それインタビュー?」
「茶化すな」
「ええーだってわざわざ聞かなくてもわかるじゃん。今が人生でいっちばん幸せだよ」

抱きしめ返されるとその温かさが胸にしみた。
そうか、途中に何があったとしてもゴールはここなんだから安心することにしよう。

「次は京楽隊長のところへ行ってくるよ」
「…そっか」

体を離すと露草はここへ来てさらに悩ましげな顔をしていた。
八番隊にはこれまで以上にやべー話でもあるのか。
触れるのが怖いような、楽しみなような。



◇◇◇



「蒼井露草特集ねぇ…それはいいけど、あの子のルーツを辿るより、あの子の好きなお菓子でも紹介する方がよっぽど楽しい記事になると思うよ」

これまでの二人とは違って、京楽はこの取材にあまり乗り気ではないようだった。
ここにはこれまで以上の露草の黒歴史が眠っているとでも言うのだろうか。
ごくりと修兵が唾を飲み込む音が微かに鳴った。

「やっぱりここでも露草は…その…上手くいかなかったんですかね…?」
「いんや、とんでもない。四番隊で揉まれ、十三番隊で休息を経て、あの子はここで己を見つめ直し、平隊士から第五席まで昇りつめたよ」
「そうなんですか…!なんだ、よかった…」

なんだ、ここから始まっていたのか、露草のサクセスストーリーは!
修兵の顔には笑みが浮かんだが、反対に京楽は浮かない顔だった。

「けれどそれからすぐに、ようやく芽吹いたとばかりに摘み取られ、あの子は一番隊に異動になった」
「一番隊に…!?」

一番隊といえばそこへ配属されること自体が誉とされるエリート部隊だ。
今の露草が配属されることにすら違和感があるのに、幼少期の彼女がと考えると相当なレアケースに思える。

ここまで聞けばもはや確実だ。
かつての露草に過度な期待をかけたのも、未来の隊長であれとそのレールを敷いたのも、山本総隊長その人でしかない。
だがあの人が、才能があったとはいえ小娘一人にそこまで肩入れするのはなぜなのか。その真相にはまだたどり着いていない気がする。

「異動になってすぐだったよ。あの子が現世へ降りて…帰らなくなったのは」

京楽は悲しげな視線を窓の外に投げる。

「まだ早かったんだ。花が咲くまでのんびり待てばよかったのに、土を変えればすぐにでも咲くもんだと思ったんだろう…今でも悔やむよ。あの異動を止めなかったこと」

修兵は言葉に詰まってしまった。記者としてはあるまじき行為だ。
けれどどんな慰めの言葉も意味が無いとわかってしまう。
それでも今は幸せだそうですよ、なんてただの結果論。その現世任務が彼女の100年を奪ったことに変わりはない。

困った様子の修兵に申し訳なくなったのだろう。
京楽は「ごめんごめん」と明るく振舞った。

「それよりさ、最近の君らはどうなの。うまくいってるのかい?」

インタビューをしに来たのはこちらなのに、逆に質問されてしまった。

「え、ええ、まぁ。一応…」
「んー?なんだかちょっと引っかかる言い方だねぇ。なんかあった?言ってみなさいよ。アドバイスできることもあるかもしれないしさ」
「いや、まぁ…同棲話を持ちかけたもののちょっと渋られてるってだけですよ」
「あー…」

それでも露草の習い事詰め込み過ぎ問題は一旦落ち着き、今はそれなりに二人の時間も取れているので、これ以上は時間が解決するだろうと修兵としてはそこまで深刻視してもいないのだが。
京楽の方はいやに神妙な面持ちになってしまった。

「うーん…まぁ真面目な露草ちゃんのことだから同棲イコール結婚ぐらいは考えてるかもしれないし、慎重になるのは仕方ないよねぇ。檜佐木くんは考えてる?あの子との結婚」
「う…正直言うとそこまで考えて言ったわけじゃないですけど…けどもちろん将来はそうなるだろうなぁてのは思ってますよ!」
「そっかぁ。だけどあの子はどうかなぁ…」
「…どういうことですか?」
「ん、いや…檜佐木くんがどうこうってわけじゃないんだけど…」

深刻じゃなかったはずなのに何やら勝手に雲行きが怪しくなってきた。
そんな気になるところでぼかされても困ると修兵が詰め寄ると、京楽は気まずげに指で頬をかいた。

「…そもそも露草ちゃんの出生について君はどの程度知ってるんだい?」
「死神の子どもだっていうのは聞いたことがあります」
「そうか、ならまぁ話してもいいかな…
もともとあの子の母親は八番隊、父親は十三番隊所属でね。だから僕も浮竹も、あの子が生まれてすぐの頃から何かと気にかけてたんだ」
「へぇ…」

彼らは露草が隊に配属されてからの付き合いではなかったのか。それは初耳だった。

「けどあの子がまだ三つにもならない頃にその両親が亡くなってしまって…流魂街出身の両親だったから、他に身よりもないしどうするかってなったんだけど。赤ん坊の頃から並外れた霊力を持ってた子だから…四十六室が出した方針として、将来を見越して英才教育を受けさせることが決まってね」
「!四十六室が…!」

なんてこった、期待の始まりは総隊長ですらない。そのさらに先、誰にだって逆らえないところからの指示だったのだ。
一丁前に子育てでもしたくなったのか?
てっきり全てが山本総隊長の仕組んだことだと修兵は思い込んできたが、もはやどこからどこまで四十六室が絡んできたのかもわかったもんじゃない。
そして当然、こんなことは記事にできない!困った!

「結局、山じい所有の屋敷の一角で、山じいのところの使用人や弟子達で面倒を見るようになったんだ。常にそばには誰かがいる環境ではあったけど、その誰も親代わりというわけではないし、小さい頃から斬拳走鬼の修行ばっかりで歳の近い友達なんてのもいなかったし…きっと寂しかったと思うよ」

浮竹の言っていた不自由さというのは既にそんな頃から始まっていたのだ。
修兵は先程からずっと驚きが隠せない。そんな環境でよくもまぁあんなにまともに育ったものだと思った。

「院に行ったって、護廷十三隊に入ったってそれは同じこと。彼女にとって周囲の環境は悪化の一途を辿るものだったろう」

修兵は京楽がこれから言わんとすることを感じ取っていた。

「どうしたって死神なんてのは危険なお仕事だからね。死は常に付きまとう。…檜佐木くん、君も…流魂街出身だったよね」
「…はい」
「なら、自分の子どもにも同じ運命を辿らせてしまう可能性が少なからずあると考えると…もしかすると彼女は、結婚や子を産み育てることはできないかもしれない」

言い方からして想像の域は出ないのだろうが筋は通っていた。
強い霊力を持つ親の子どもは同じくそうなりやすい。それが現隊長と副隊長の子どもともなれば…露草以上の逸材だと、また目をつけられる可能性も大きいだろう。その時に親である自分たちが守れれば問題はないのだが、それが必ずできると言いきれないのが確かにこの仕事だ。

京楽は一体いつからそんな心配をしていたのだろう。
護廷隊の隊長格たちはみんないい歳だろうに軒並み所帯のひとつも持たないのは、みんなそういう心配をしているからなのか?
考えてもみなかったことに修兵は頭を悩ますが、本当に露草がそこまで考えてるか?とも思った。だが真面目な顔の京楽にはとてもじゃないがそんなことは言えない。

「ああああもう!ちょっとまったー!」

その時スパン!っと勢いよく部屋の戸が開いて、盛大に顔をしかめた露草が乗り込んできた。

「京楽兄さんは余計なことまで言いそうだなと思って!心配で来てみれば!案の定!勝手な想像まで、あたかも事実かのように語るんだから!」
「あら…間違ってた?そりゃ申し訳ない」
「結婚も、ましてや子どもなんてのもまだ全然考えたことなんてなかったよ!ばかばかばか!」

先日の彼女の悩ましい顔はこれが理由だったようだ。
露草は幼い子どものようにぽかぽかと京楽の胸を殴る。京楽はそれをへらへらと笑って受け止めていた。

そうだよな、露草はやっぱりそこまで考えてないよな。
安心するような、少し残念なような。

「まったく!修兵帰るよ!わかったでしょう?どうせ私の経歴なんて記事にできたもんじゃないの!」
「しょうがないな…じゃあグラビアページを20ページに増やして、あとは斬魄刀紹介と…モーニングルーティンの紹介とかどうだ?」
「だれが知りたいの!?私のモーニングルーティン!!!」
「あ、ぼく知りたーい」
「おだまり!」

露草は相変わらず京楽に対しては少々あたりが強い。
これまでの所属部隊で八番隊が唯一の成功場所だと言えそうなのにそんな態度になるのは、彼女の中にも、京楽が悔いていた通りその後の一番隊への異動を止めなかった怨恨でも残っているのだろうか。
四番隊、十三番隊を経た八番隊でようやく掴んだ成功も虚しく、一番隊から転がり落ちるように彼女の人生は暗闇へ向かった。
あの時八番隊のままでいられたら。そんな気持ちがあっても不思議ではない。

露草はらしくもなく大袈裟な足音で戸へ向かう。
だがそのまま外へは出ずに一度立ち止まって、こちらに背を向けたまま言葉を発した。

「というか兄さん…」
「なんだい?」
「さっきの話だけどさ」
「?」
「院はたしかに楽しくなかったけど…護廷十三隊に入ってからは、楽しいことも多かったよ」

京楽は何の話だと一瞬迷ったが、すぐに先程の自分の言葉を思い出した。

「院に行ったって、護廷十三隊に入ったってそれは同じこと。彼女にとって周囲の環境は悪化の一途を辿るものだったろう」


露草はどうやら乗り込んでくる随分前から外で聞き耳を立てていたらしい。

「たしかに辛いことはいろいろあったけど、それでも…だれかと一緒に食べるお菓子がおいしいことも、仕事をほっぽってするお昼寝がとっても気持ちいいことも、兄さんたちに教えて貰って初めてわかったし。それにほんの努力の一片を褒めてもらえる度、それまでのすべての努力が報われたような気がしたんだ」

露草は相変わらず背を向けたままで、その顔は見えない。
けれど修兵には、彼女が少しばつの悪い顔をしているであろうことがなんとなくわかった。
怨恨なんてとんでもない。彼女はどうにも照れくさいのだ。京楽の前で素直になることが。
悔やまなくていいよと、そう伝えたいだけなのに顔も見ることができなくなるほどに。

「何より…私は父と母の顔も覚えていないけど、あなたたちが兄さん、姉さんと呼ばせてくれたから、家族がそばに居てくれるあたたかさを知ることができたんだよ」
「露草ちゃん…」

それから露草は京楽の返事も聞かず、逃げるように部屋を出て行ってしまった。
しかし一瞬だけ見えた露草の頬が、少し赤く色づいていたのを見逃す二人ではない。

「いやぁ…困っちゃうね。歳とると些細なことがぐっとくるもんだ」

京楽はそれまで机の上に置いていた笠を手に取って目深に被った。
それを見て修兵は喉を鳴らしてくつくつと笑う。

「蒼井露草特集…楽しみにしてるよ、檜佐木くん」
「はい」

こんなにもみんなから愛される、自分の恋人が少し誇らしくなる修兵だった。

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