09
「そういえば最近、露草さんすごくきれいになりましたよね
「は?」
吉良から発せられた台詞に修兵は素っ頓狂な声を上げた。
急になんだ、まさか吉良お前露草のこと…?
「あー!それ私も思ったー!」
訝しげな修兵の前で、乱菊が酒の入ったグラスを元気よく掲げた。
「髪とかツヤツヤしてるし、なんか肌もきれいだし、しかも近づくといい匂いがするのよねー」
「そ、そうっすか…?」
「え!まさか修兵あんた気づいてないの!?ほんと男ってこれだから…」
「そういうのって毎日一緒だと逆に気づきにくいのかもしれませんね。」
修兵は近頃の露草を思い返してみた。
そう言われてみればたしかに最近は寝癖も目の下のクマもなかった気がする。けどそこまで言うほどの変化か?前からずっとかわいいからわかんねーな。
「言っとくけど寝癖がないとかクマがないとかそんなレベルの話じゃないわよ?」
「…え?」
「見た目だけの話じゃなくて…なんていうの、こう内から滲み出るオーラというか…」
「所作にも出るのかもしれませんね。歩き方とか…」
「そうそう!私ほどじゃないけどあの子にも出てきてるわよね…“いい女感”」
いい女。修兵は思わず乱菊の着物から溢れんばかりの乳房に目を向けた。
いや、そういうことじゃねぇな。
露草のことは可愛いと思うが、乱菊とはタイプが違いすぎてその“いい女感”にはしっくりこない。
「前は身なりにはかなり無頓着だったみたいだけど…あんたなんか言った?」
「いや、俺はそんなの何も…」
「そりゃやっぱり先輩と付き合い始めたからですよね。恋は人を変えるってやつ」
「あらあんた変えたことも変えてもらったこともなさそうなくせに言うじゃない」
「何ですかそれひどいですよ!」
俺が露草を変えた?
いや、露草が変わったのが最近のことだとしたら、そんなの今更じゃねぇか。露草は本人の話ではもうずっと俺に片思いしてたんだぞ。
恋は人を変えるを議題に盛り上がり始めた二人を尻目に、修兵はグラス片手に視線を落とした。
露草が変わるきっかけを探して、彼女がここ最近ずっと修行をつけている平隊士を思い浮かべた。
…いや、そんなまさかな。
「まぁ仲良くしっぽりやってりゃ色気も出てくるってことね!」
「乱菊さん!下品です!」
しっぽりやった覚えがない修兵は、いやいやまさかと更に苦い顔をするばかりだった。
飲み会の翌日、修兵は改めて露草を観察してみた。
たしかに髪はつやつやだし肌もきれいだが、元からそうじゃなかったか?
いい女感や色気に関してははっきり言ってわからない。
「…修兵、なに、さっきから人のことジロジロ見て」
「…いや、相変わらず可愛いなと思って」
「ひぇ…し、仕事中に何言ってんの…御影くんの影響…?」
なんで今そいつの名前が出てくるんだよ。
「仕事中に言うしかねぇじゃん。仕事時間以外に会ってくれないし」
「う…」
「なぁ…明日からまた瀞霊廷通信の入稿準備始まっちまうんだけど」
「ううううごめん、今日も予定があって……あ」
「予定?仕事じゃなくて?予定ってなんだ」
「あーいや、大したあれじゃないんだけど、ちょっと先約が…」
「先約?俺より先約なんてあるのか?俺もう二週間以上前から予約入れてるけど??」
修兵が詰め寄ると露草はたじろいだ。
仕事なら仕方ないと我慢してきたが、違うとなればもう長いことお預けを食らっている身としては許し難い事実である。
「いや…うん、ごめん…ちょっといろいろ用が重なっちゃって…」
露草は困ったように目を伏せる。
詳細を話す気がないその様子に修兵は大きなため息をついた。
「仕事終わりに会ってくんないならここでキスしていい?」
「ええ!?」
「もう我慢の限界。露草は?俺に触れたいとかキスしたいとかねぇの?」
修兵は椅子に座る露草を抱き抱えて持ち上げ、自分はソファに座り直してその膝の上に彼女を乗せた。
「ちょ、はあ!?ばか!執務室なんて、いつ誰が来るかわかんないんだから…!」
「仕方ねぇじゃん。ここが嫌なら副官室移動する?」
「それも一緒でしょ!」
「じゃあ家くる?」
「仕事中!!!」
暴れる露草の腰に腕を回して抱きしめる。
乱菊の言う通り、たしかに微かに香水のような香りがした。
「いい匂い」
白く細い首筋に鼻を寄せると露草の抵抗がぴたりと止まって、逆に全身ががちがちに固まった。
白い肌が徐々に赤みを帯びるのが見てとれた。
「吉良と乱菊さんが、最近露草がきれいになったって言ってた」
「へ!?」
「それって俺の影響ってことで自惚れていい?」
自惚れるほどの自信はない。だからそうだと言って欲しい。
唇で首筋に触れ、徐々に昇って耳たぶを食んだ。
びくりと露草の全身が震え、腕の中から逃れるべく再び抵抗を見せ始める。
「ちょ、ほんとにやめ…」
「…じゃなかったらこの香水、誰に嗅がせるためにつけてんの?…御影じゃねーよな?」
「は…?」
「いつ話してくれんの?御影のこと。俺が何も知らないと思ってるのか?」
上手く隠せているつもりだったらしい露草は目を丸くした。
そしてその驚き顔のまま「ごめん」と告げる。
「知ったら怒ると思ってた」
「…怒らねぇよ。公私混同したらそれこそお前が怒るだろ」
「…うそ、やっぱりちょっと怒ってる」
「あーもうなんだよ!怒らねぇように気をつけてんだろ!そりゃ私情優先でいいならブチ切れてるわ!」
「ご、ごめん…ありがとう、私のすきにさせてくれて」
「…それで?」
「え?」
「御影とはもちろん修行見てやってるだけの関係なんだろうな?」
「あ、当たり前じゃん!」
本当に疑ってた訳ではないが嫉妬からいじわるな発言が出た。
露草は当然怒って軽く修兵の胸を叩いた。
安堵から修兵は小さく笑う。
「てかなんでわざわざお前が?御影が言い出したにしても、平隊士の修行なんて他のやつにさせてもいいだろ」
「まぁ私も最初は、私じゃなくてもいいんじゃないかと思ったんだけど…一回腕試ししてみたら、御影くん結構ちゃんと強かったんだよね。普通に上位の席次あげてもいいぐらい。だから指南役は私か修兵ぐらいしかできないかなって…」
「じゃあ俺に任せてもいいじゃねぇか」
「彼の斬魄刀が流水系なんだ。だから私の方が相性いいかと思って…」
つくづく修兵に運がない。思わず溜め息が漏れた。
ただの隊士と隊長の特訓ならば、男女が二人きりの状況にしてもこんなに気を揉むこともないのに、御影のやつが彼氏に立候補するだなんだ調子のいいことを言うせいで…
「あいつはもうお前のことは諦めたのか?俺と付き合ってることは伝えたのか?」
「私から伝えてはないけど、知ってるみたいだよ。修兵より強くなるのを目標にしてるみたいだから」
「じゃあそれ諦めてねぇじゃねぇか!略奪愛視野に入ってるだろ!」
「まぁ…どういう行動原理であれ、強くなるならいいかなと思って…」
それで諦めさせるのを諦めたってのか。それどころかその気持ちを利用して育てようとしてるのか。
男としては止めさせたい気持ちが山々だが、副隊長としてはどうするのが正しいのか、修兵は考えあぐねた。
「えっと、不安にさせてごめん…けどそんな不安になる必要ある?修兵は私にとって神様だってまで言ったのに。心変わりもしないし略奪もされないよ」
「神様なんかじゃねぇから不安になるんだろうが…」
修兵は露草の肩に額を置いて目を閉じた。
死神ではあるが神様ではない。
露草のその好意が盲目的に思えるからより不安だ。俺がただの一人の男だと気づいた時、彼女は今と同じ気持ちでいてくれるのだろうか。
その時ふわりと露草の腕が修兵の頭を包み込んだ。
「…ごめん、伝え方がへたくそで。いつまでもどんな時でも誰よりも一番大好きだって、そういう気持ちを伝えたいだけなんだけど…どう言ったって重いし難しいな」
するりと修兵の耳に頬を寄せる。
めずらしく甘えるようなその仕草と盛大な愛の告白に、修兵の胸はきゅっと締め付けられた。
「…御影くんの面倒見るようになって、汗かくことが増えたから…修兵に汗臭いと思われたくないなと思って、香水つけるようにしてみたの」
修兵がゆっくり顔を上げる。
頭を包んでいた腕は自然と彼の首の後ろへ回った。
こんな時いつも照れて視線を逸らしていた露草は、今日はまっすぐ彼の目を見ていた。
「修兵といつキスできる距離に近づいても大丈夫なようにね」
それを言い終わったかどうかもわからないタイミングで、どちらからともなく互いの唇が重なった。
そして啄むようなキスを数回繰り返す。うっすらと開いた互いの目には確実に熱が灯っていた。
修兵は露草の髪を掻き上げるようにして喉元を反らせ、流れるようにその首筋に唇を寄せた。
「ひゃ!ちょ、まってまって!キス以外はダメ!」
それまでは余裕のように見えた露草の顔が真っ赤に染っていた。
首筋に埋まる顔を掴んで押しのけると、修兵は不服そうに唇を尖らせる。
「…なんで」
「ここが仕事場だからでしょ!ばか!」
「ふうん。じゃあ家ならキス以上もしていいんだな」
そういうことじゃないとまた怒られるだろうと思ったが、意外にも露草は真っ赤な顔のまま軽く俯いて呟いた。
「もう少し待ってくれたらね」
ええ待ちますとも。
修兵は興奮を抑えきれずに力いっぱい露草を抱きしめた。
そういえば結局予定とはなんだったんだろうか。
修兵がそれを思い出すのは帰宅後だった。