18

その日、朝から露草は技術開発局に呼び出されていた。
技術開発局からの呼び出しなんて、想像もつかないがとにかく嫌な予感しかしない。
修兵は一緒に行かなかったことを後悔しつつ執務室で露草の帰りを待っていた。

「捕まえてた虚を逃がしたのが九番隊なら、責任取って九番隊で虚の補充をしたまえと局長のあの黒い人からのお達しです。」

修兵の心配をよそに、案外すぐに帰ってきた露草はそう告げた。
黒い人というのは涅マユリのことだろう。あの人なら確かにそんなことを言うかもしれない、と修兵は苦い顔をした。

「まぁそんな顔せずに。言い方はあれだけどそれも道理かと思うので、明日から捕まえに行ってきます。」

修兵が苦い顔をしたのは何も涅の言葉に対してだけでは無い。
露草がそう言って自ら出ていくだろうと予想できたからだ。
隊長ともあろう者がそう簡単にほいほいと隊舎を空けられては困る。

「あのな、それならわざわざ隊長が出向かなくても、俺と他の隊士たちで…」
「あら、ここの隊士のみんなには虚捕獲の心得があるの?今までそういう訓練はしたことなかったけど…」
「いや、特に心得とかは無いけど、鬼道得意なやつとか連れてけばなんとかなるかと…」

そうは言ったものの、修兵自身にも虚の捕獲経験などないため想像の域を出ない。

「うーん…たぶん普通に斬るより捕まえてくる方が難しいと思うし、こんなことで怪我したりしてもしょうがないしさ、やっぱり私一人で行ってくるよ」

たしかに討伐より捕獲の方が難易度は高いだろう。
それはわかるが、だからと言って…

「一人でって、行かせられるわけないだろ」
「えー、そうなの?今までも一人で百体以上は捕まえてきたから大丈夫だよ。」

その話は初耳なので修兵は普通に驚いたが、いやたとえそうだとしてもと食い下がった。

「それでもだ!もう一人で好きにできてた頃とは違うぞ。今お前はここの隊長なんだから、そうほいほい一人で行動されちゃ困る。」

またしても「えー」と露草は口をへの字に曲げ、ぐだぐだと文句を垂れた。
しかし修兵は引き下がらない。甘やかせばろくな事にはならないと彼は学んでいた。

「…よし!そうまで言うなら仕方ない!じゃあいっそ訓練を兼ねて九番隊総出で出ようか。」
「…え?」

名案だと露草は笑っていたが、修兵はそこまでして自分が出たいかと呆れるやら気が抜けるやら。
もはやそれ以上は譲る気のない彼女に修兵も折れるしかなかった。


◇◇◇


あれから数日後の夜更け。
露草の提案通り、九番隊は数人の留守番を残して総出で現世に降り立ち、海沿いの一角に結界を張り、その中で技術開発局に作ってもらった撒き餌を撒いた。
餌につられて出てきた虚を片っ端から捕まえまくる作戦、開始である。

この日に備えて隊士たちは虚捕獲の訓練を重ねてきた。露草は今夜すらも訓練の延長だと考えているが、隊士たちにとって実質これは実践だ。
露草の想像以上に隊士たちの意気込みは並ではなく、またこれまでの訓練の成果もあって隊士たちはなんとか鬼道による虚の捕縛ができているようであった。

作戦を遂行するにあたっては、鬼道の得意な者を中心にして隊をいくつかのチームに分け、それぞれのチームアップでの捕獲をめざした。
露草と修兵はチームには加わらずに全体を把握する役割に回り、危なげな様子があればすぐに助けに入ったし、また手間取る様子があれば手引きをした。
その結果一時間足らずで四体の虚の捕獲に成功した上、まだ一人のけが人も出していない。訓練としても実践としても上場の出来だった。

しかし夜更けの工場跡地に現れる虚を見て、修兵は嫌でも思い出していた。学生時代のあの日の演習。もうとっくに治っている顔の傷が微かに疼く。
撒き餌の効果が切れるまであと少し。
何事もなく無事に終わればいいが、といつにも増して彼は気を張っていた。

「こんなもんかなぁ…できたら巨大虚の一体ぐらいほしかったけど、この撒き餌じゃあ雑魚しか集まんないのかな」
「巨大虚は…さすがに捕獲は手間取りそうだし今回はいいんじゃねぇか。」

露草は残念そうだが、修兵としてはもうこのままこれで終わって欲しいとしか思わない。
たしかに雑魚虚四体では、あの変人局長は満足してくれなさそうではあるが。
九番隊の訓練としてはもう十分な成果だ。

「ま、それもそうか。あの黒い人からは大虚の一匹ぐらいはせめて捕まえて来いって言われてこの撒き餌渡されたからさ。どんだけ虚が集まってくんだかちょっと不安だったんだけど…さすがにそんな大物が集まってくるよう危険なもの、簡単に人に渡したりしないよね」

修兵はそれを聞いてゾッとした。
露草は知らないのだ、あの涅マユリのイカレ具合を。
危険だとかそんなこと考えない。相手の都合など知ったこっちゃない。自分の研究のためならばどんな手でも使う。そういう死神だ。
その彼が大虚を捕まえて来いと言ってそれを渡してきたのなら…この雑魚虚だけでこの夜が終わるはずがない。

そんな修兵の思いを察したのか、それまで能天気に笑っていた露草は表情を固くした。

「え?まじ?」

真剣な面持ちで頷いた修兵を見、露草は片手で顔を覆いながら「やっぱ見た目通り変人だったか…」と呟いた。

その瞬間、何かを察知した露草は瞬歩で移動した。
そして怯えて座り込む隊士の前に立ちはだかって、巨大虚の鎌のような攻撃を刀で受け止めた。

「鬼道担当!縛道!」

露草より少し出遅れた修兵は、腰を抜かした様子のその隊士を抱えて後方へ飛び退いて叫んだ。
突如現れた巨大虚に足のすくんでいた隊士達もその言葉にはっとし、巨大虚に向かって手をかざして鬼道を放った。
しかし普通の虚ならそれで十分だったが、巨大虚の動きはそれでは止まらず、鎌のような腕を露草ごと振り切った。踏ん張りきれなかった露草の体が宙へと浮く。
隊士達はその様子に怯み、思わず逃げ腰になるがそれを修兵が引き止めた。

「捕獲が無理なら討ち取れ!お前ら隊長残して逃げる気か!」

相当の年数を務めたわけじゃなければ、巨大虚に遭遇するのはこれが初めてな隊士も多いだろう。
恐れる気持ちは修兵にもよくわかった。
けれどこれは学生の演習ではない。逃げることを許すわけにはいかない。
しかし同時に、非常時に出遅れるほど恐怖心が足に染み付いた自分に、隊士達を叱責するような資格があるのかとも思った。
普段は内包しているはずの恐怖心が、やはりこの状況故に滲み出ていた。
今の俺の言葉では隊士達には届かない。態度で示さなくては。
修兵は静かに刀を抜いた。

「待った待ったー!どうせなら捕まえよう!」

焦る修兵を他所に、露草の方はなんてことはないような明るい声だった。
そしてその瞬間まで宙を舞っていたはずの彼女が、いつの間にか巨大虚の片腕を切り落とした。

「“遊べ” “赤花”」

始解をした露草の斬魄刀は水のような液体を纏った大きな刃に変わった。そして彼女は巨大虚のもう片方の腕を切り落とすと同時に高く飛び上がり、水の刃を巨大虚の首に突き刺すと共に地面に縫い止めた。

「今のうちに全員で縛道!なんでもいい!片っ端からかけまくれ!」

恐怖など欠片もないような様子で、露草はニッと笑った。
それまで巨大虚に臆していた隊士達だが、すでにほぼ自由を失い叫ぶだけの虚と、余裕な様子の隊長に知らず知らず安堵した。
そしてその場の全員が鬼道の得意不得意も関係なく縛道を放つと、今度こそ巨大虚の動きを封じることに成功した。

「やったー!」

隊士達は拳を振り上げて勝利を喜んだ。
修兵も後ろでほっと息をつく。少し悔しい。露草は隊士達においしいところだけを譲って、恐怖を払拭すると共に達成感を与えたのだ。隊士達を叱責して追い詰めた自分と違って、あくまでこれが訓練…教育の場だという余裕があった。

「よーし、腕取れちゃったけどまぁ上出来っしょ!」

そう言って刀を鞘にしまった露草が巨大虚の上から降りようと足を出しかけたが、何やらつんのめって情けない声を上げながら巨大虚の上から転がり落ちた。

「え、えー!?大丈夫か露草!」
「いったー!誰だ私の足に縛道掛けやがったやつ!」

修兵が駆け寄ると露草は縄のような鬼道で縛られた両足をばたばたさせていた。
まさかそんなことがあるのかと修兵は笑った。
虚に術をかけるつもりが誤ってその上にいた露草にかけてしまったのだろう。必死だった隊士達からすればもはや自分かどうかなんてわからなさそうだが、心当たりのありそうな鬼道下手くそ衆が術を解こうと駆け寄った。が、何せ下手くそなので解けない。

「もー!帰ったらみっちり鬼道の特訓してやるから覚悟しろよ!」
「申し訳ありません隊長…」
「もういいよ、これから上達してくれれば」
「いや、そうじゃなくて…」

露草は掛けられていた縛道を無理やりねじ切った。
そんな彼女の前で、肩を落として縮こまる女性隊士が一人。
先程巨大虚を前に腰を抜かしていたところを露草によって助けられた、最近入隊したばかりの隊士だった。

「私、巨大虚を見るのは初めてで…思ってたよりもずっと恐ろしくて、動けなくなってしまって…足でまといになってしまってすみませんでした。」
「あーいいよいいよ、とにかく怪我がなくてよかった。」

新人隊士はまだ足が震えていた。

「それに私…まだ、怖いんです。もうあんなのと戦える自信がありません…」

泣きそうな顔でそう訴える彼女につられ、数人の隊士が気まずそうに顔を伏せた。
彼女は新人だからこそ簡単に気持ちを吐露してしまえるだけで、今同じ恐怖を抱えている者は多い。
隊士達の目から見ても、恐怖と縁がなさそうなのは、先程から驚くほど通常運転な露草ぐらいだった。

「うーん、恐怖心には経験値が大きく左右するし、君もこれからもっと経験を踏めば、恐怖を抑え込んで戦うことはできるようになると思う。ただ…」

こんな時どんな言葉がけが正解かわからず、露草はさぐりさぐり言葉を選んだ。

「どうしても怖ければ、四番隊や技術開発局のような後方部隊に回る手もあるし、もちろん死神を辞める選択もある。自分がどうしたいかはまたじっくり考えてみて。」

困ったように笑った露草を、修兵は黙って見ていた。
それが正しいとは言いきれないが、鼓舞するわけでも無理に引き止めるわけでもないのが彼女らしいと思った。

そんな彼の後ろの空間に亀裂が入った。
気づかない修兵ではない。反応できないはずがない。本来なら。
けれど今夜は違った。あの日と酷似した空気はあの日と同じ恐怖となって足元にまとわりつき、彼の動きを半歩遅らせた。

まずい。そう思って振り返った際、一番先に視界に飛び込んできたのは露草の背中だった。
そして次に見たのは、まだ半身を断界に残したままバラバラになって崩れ落ちる巨大虚の群れ。

「怪我…ない?」

あるはずもなかった。
神業としか言いようのない早業に隊士達は沸き立った。
隊士達は気がつかない。背を向けたままの露草が肩で息をしていること。いつもは静かに抑え込まれている霊圧が大きく揺らめいていること。

修兵だけが知っていた。
彼女が誰よりも何よりも、仲間を失うことに対する恐怖を抱えていること。
捕獲が目標だったにも関わらず、早々に斬り殺したのはおそらくその余裕がなかったからだ。恐怖に打ち勝つ余裕が。

「露草…いや、蒼井隊長、すみません反応が遅れました。」
「構わないよ。修兵…今日はなんだか調子わるいね。何かあるなら言って。」
「あ、いや…」

今この場で、自分の恐怖心について話すことははばかられた。
言葉を濁し、無意識に顔の傷へ手を伸ばす修兵。露草は何かを憂うような目でそれを見て、再び先程の新人隊士へ視線を投げた。

「ねぇ新人ちゃん」
「は、はい!」

彼女も他の隊士と同様に隊長の活躍に沸き立っており、先程よりも晴れやかな顔をしていた。
露草はそれに静かに笑って安堵の息をついた。

「私もね、戦場に出る時はいつだって怖いよ」
「…え!?隊長が!?」
「そりゃそうだよ。むしろ怖くないなんて奴が九番隊にいたら、追い出して十一番隊に押し付けてやりたいぐらいだね。」

恐怖など抱いていないように見えるかもしれない。そう見えるようにしているから。
けれど本当は恐怖に呑まれそうになる心をいつも奮い立たせている。
むしろこの抱え込んだ恐怖があるからこそ、奮い立たせた心があるからこそ、強くなれたのだと今だから言える。

「怖いのはみんな同じ。だからこそ支え合って、助け合うことができるんだ。君の恐怖にも、必ずみんなが寄り添ってくれるよ。」
「…はい!」

技術開発局の撒き餌の効果はよくわかった。
おそらくこれで終わってくれるわけではないだろうという予想もつく。
次はどこだと露草は神経を研ぎ澄ませていた。

その時、露草の正面上方の空間に亀裂が入り、大きな白い手がその亀裂をこじ開けるかのように広げ、白い仮面が顔を出した。
大地を揺るがすかのような重苦しい霊圧が降りかかる。
探るまでもなかったかと露草は小さく笑った。

「絶対に守るから、みんな私の後ろから動かないで」

露草が再び刀を構えた。
とてつもなく大きな大虚…ギリアンには到底届きそうもない小さな刃だ。
けれどその場の全員にはなぜだか自信があった。その刃はあの敵に届くのだと。

「卍解」

露草の斬魄刀の刀身が赤く変化し、その刀身から赤い液体でできた手のようなものが無数に伸びた。
そしてそれが大虚の体に触れると、触れた傍からみるみるうちに溶け出した。
露草は一歩たりとも動きすらしなかった。膨れ上がった霊圧はびりびりと空気を震わせたが、後ろの隊士達はまるでそれに優しく包み込まれているような心地だった。

「嘘だろ…!」

教本の挿絵でしか見た事のなかった大虚。王族特務の管轄だとまでされてきた。それが手も足も出ずに崩れ落ちていく様を見て、隊士達から感嘆の声が漏れる。
そうして一瞬で、大虚の巨大な体すべてが液体と化した。
さらにその液体は流れることなく露草の頭上に集まって渦を巻き、圧縮されるかのように徐々に小さくなり、最終的にボーリング球サイズの真っ黒な球体になった。

「ノルマクリアー!よし、撤収するぞー!」

露草は頭上にボーリング球を浮かべたまま、笑顔で赤い斬魄刀を頭上に掲げた。
信じられないほどの活躍だが、あまりにも卓越したその様に隊士達はついてはいけず、ただただ口を開けて呆然とするばかりだった。

「おい、これ捕獲って言うのか…?」

修兵もそれを口にするのが精一杯だった。

「うん、生きてるよ。数日経てば元に戻る!」

露草はやり切った笑顔をしていた。
通りで彼女が最初から一人で行きたがったわけだと修兵は項垂れる。
ただ単純に、彼女の斬魄刀の能力が捕獲向きなのだ。

「そういうことなら先に言えよ!」
「え、なに!?なんのこと!?」


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