05

「先輩、先輩って露草と付き合ってるんスよね?」
「おう」
「その割になんか別に二人とも今までと変わらなくないっスか?ほんとに付き合ってます?先輩の妄想じゃなくて?」
「妄想なわけねーだろ」

阿散井の注いだ酒を口に含み、修兵はニヤリと笑った。
少し前ならたしかに、と不安になった質問かもしれない。
けど今は他の誰も知らない露草のあんな顔やあんな弱点まで知っているのだ。付き合っていないわけがない。
周りからも疑われる程普段から甘い空気のあの字もないのはたしかに修兵としては少し寂しいが、これが正しい社内恋愛ってやつだぜ、と得意げではあった。

「まぁたしかにそれぐらいの方が周りは気ぃつかわなくていいッスよね」
「おう、そういうことだ、そういうこと。」

仕事終わりの通い慣れた居酒屋。まだメンバーは揃ってはいないが、それを飲まずに待つほど殊勝な二人では無く、すでに三合瓶が一本空いていた。

「まぁお前もはやく彼女つくれよ!俺の彼女ほどかわいい彼女は無理だろうけどな!」
「うわ、うざ」

それから乱菊、吉良が合流し、かなり遅れて露草も合流した。

「ごめん遅くなったー」
「どうした、何かあったか?」
「ううん、大したことじゃないよ」

執務室でいつの間にか居眠りしてたなんて、正直に言えるわけもない。

「遅かったじゃない露草〜!ほら、主役がきたからあらためて乾杯するわよ〜」
「うわ、菊ちゃんもうかなり酔ってるでしょ。てか何、主役って。なんで?」

露草が乱菊の隣に座ると、中身が何かもわからない酒が勝手に注がれた。
いつも通りの飲み会に誘われただけだと思っていたが、何か特別なことでもあっただろうか。

「そりゃあんたの三十年越しのくそ重い片思いがついに実ったお祝いに決まってるでしょ〜!ほら、かんぱ〜い!」
「んな!?」

だれがそんな恥ずかしいお祝いしてくれって頼んだよ!
てかくそ重い!?私ってくそ重いの!?

「三十年!?」
「露草さんって先輩のこと三十年も前から好きだったんですか!?」
「う、な、なんかわるい!?」
「先輩はそれ知ってたんスか!?」
「おう」
「うわ腹立つ顔!」

阿散井と吉良は驚きに声を上げ、修兵はなぜかどや顔だった。
露草は「なんで言うの!」と乱菊に掴みかかるが、けらけらと笑われるだけだった。

親しい仲とはいえもちろん知られたい話では無い。
しかし知られてしまったものは仕方ないし、過去に乱菊に話してしまったことをただただ後悔するばかりだ。
いや、それにしてもその片思い相手が修兵だとまでは言った覚えはないんだけどな。

露草は大きくため息を吐き、目の前の何ともわからない酒をぐいとあおった。
それからというもの話題はもちろん露草と修兵についてで、やれ出会いはどこだだの、やれどこに惚れたのかだの、露草にとっては黒歴史である人生の背景に触れてしまいそうな話ばかりで非常にまいった。
そして口ごもる度に酒を飲んでは誤魔化し、周りは周りで酔えば口の滑りがよくなるだろうとどんどん飲ませるという悪循環が発生し、露草は気づけば相当酔っ払っていた。

「ねぇ、私って重いの!?三十年好きでしたってそんなにダメ!?」
「おい露草…もうその辺にしとけよ」
「あらまだ飲むわよね露草!」
「三十年…は僕だったらたしかに重いと思うかもしれないなぁ」
「俺はいいと思うぜ!男冥利につきるってもんだ!」
「…たしかにレンジ君も片思い長いもんね。そう考えたらやっぱ重いか…」
「おい、なんでだよ!どういう意味だ!」
「大体その三十年は一体何してたわけ?三十年間ずーっと現世に居っぱなしってことはないでしょ?」
「たしかに、一度も先輩には会いに来なかったんですか?」
「…私は護廷十三隊が今の状況じゃなかったら一生ここには戻らなかったよ。だから下手したらあと百年だって片思いしてたかもしれない」
「はあ?なんだよそれ、なんでそんなことになるんだ?」
「それは…私が…」

誰一人守れない能無しの役立たずで、もう一度仲間を得る勇気もない愚図だったから。

口にするのはすんでのところで留まったものの、浮かび上がった回答は露草の中で膨れ上がり、久方ぶりに激しい自責の念に駆られた。
もう会うことも声を聞くことも叶わない仲間の顔が、浮かんでは消えていく。
素面ならどうとでも対処できたはずだったが、酔いの回った頭ではそれを誤魔化すことはできず、露草の瞳からはいつの間にかはらはらと涙がこぼれ落ちていた。

「露草」

修兵は立ち上がり、いやに冷えきった露草の手を取った。

「飲みすぎだ、もう帰るぞ」

突然のことに呆然とする三人を残し、修兵は半ば強引に露草の手を引いて店を出た。

つい先程まで赤く火照っていた露草の顔は真っ青になり、なんとか歩いてはいるものの心ここに在らずといった様子だった。
過去のことが露草にとってトラウマになっているのは修兵も知っていたが、正直ここまでだとは思っていなかった。
もっと早くに止めればよかったと悔やまれるが、今更もう仕方がない。

「露草、家まで歩けるか?おぶった方がいいか?それともどっかで一旦休むか?」

話しかけても視線が合わない。
修兵は立ち止まり、未だに止まらぬ露草の涙をぬぐう。
そして両手で彼女の顔を持ち上げると、おもむろに唇を重ねた。

「!」

その効果はてきめんで、露草の沈んだ思考は一気に現実に引き戻され、冷えきった体にも熱が戻った。
唇を離し、修兵はホッとしたように微笑む。

「やっと目合ったな」

…今何が起きた?
自分の状況を理解すると同時、露草はぺたりとその場に座り込んだ。

「お、おい大丈夫か?」

居酒屋の三人はどうなった?私会計したか?何かまずいこと言ってないか?いやそれよりも九番隊隊長と副隊長ともあろう者がこんな往来でキス?いや、キス?キスじゃないか?口と口が触れただけ?いやそれがキスか?だめだ飲みすぎた。明日も仕事なのに二日酔いは嫌だ。あの三人と次会うの気まずい。てか今のキス誰かに見られてない?

ぐるぐるとめぐるまとまらない思考に俯き、露草は口元を手でおおった。

「立てなさそうか?とりあえず俺の肩に捕まって…」
「…き、きもちわるい…」
「え!?」

俺のキスがそんなに!?

修兵は一瞬とんでもないダメージを受けたが、いやたぶんそういうことじゃないよなとすぐに頭を切りかえ、うずくまる露草を背中に担いだ。

「うわ、ちょ…」
「別に背中に吐いてもいいから、そこでじっとしてろ。さっさと家に着く方がいいだろ」

最初は抵抗を見せた露草だったが、もうそこまで気力もないのか少し悩むとすぐにその背中に身を預けた。

「…ごめん、修兵」
「気にすんな、俺の方こそわるかった」
「…え?なんで?」
「もっと早く止めるか、話題変えるなりすればよかった。俺のどこが好きだとかどこに惚れただとかさ、普段そんなの聞けねぇから、俺もうれしくて調子のっちまった」
「…みんなの前で言ったことなんて全部嘘だよ」
「…は!?」
「だってみんなの前で、始まりは私が自殺しようとしてたのを修兵にぶん殴って止められたとこからだ、なんて言えないじゃん」
「まぁ…それはそうだけど…え、いやまてぶん殴ったはおかしいだろ、ちょっと叩いた程度じゃねぇか!」
「ぶん殴られたよ、脳みそがつーんって。」

黒歴史に触れないようにするためには、みんなの前では何も本当のことなんて言えなかった。
そもそもこの気持ちを言葉にするのって少し難しい。

「あの時…俺はてめぇの命を大事にしねぇ奴は大嫌いだ、って言われて、ああ私もそうだって思ったの。そしたら目が覚めた」

三十年経った今でも思い出せる。あの時の修兵の言葉、表情、頬の痛み。

「あの時修兵がいなきゃ間違いなく私は死んでた。私自身が守られた命であることも忘れて、できるはずの償いも放棄して、自分の大嫌いなやつに成り果てて」

ああ今日はほんとに、飲みすぎたな。

「修兵は大したことはしてないって思うかもしれないけど、私はあの時命も魂も救われたの。それは今だってそう。修兵は私にとって神様みたいな人で、ほんとは好きなんて簡単な言葉で片付けたくもない」

露草にとって過去を振り返るのはつらいことだ。仲間のことを思い出すと未だに涙が出ることもある。
けれど今はそれだけじゃない。過去に囚われていただけの自分はもういない。今はもう、仲間に誇れる生き方ができるようになったから。
それもこれも一度自分を救ってくれた神様が、今も隣にいてくれるおかげだ。

「…ねぇやっぱり私って、重いよね」
「…軽すぎるぐらいだ。もっと肉つけろ」
「そういうことじゃないし…」

修兵は堪えきれずに笑った。
三十年前にしても今にしても、修兵からするとすべてはただ運が良かっただけのようなものだ。
それでも彼女を救えて本当によかったと、今心から思う。


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