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異動願いだ?
ふざけんな、そんなもの誰が了承するか。
大体そんなもんじじいじゃなくまず私に話を通すのが筋ってもんだろうが。
さすがにこれはあったまきた。

「修兵!出て来いお前ふざけんな!!」

『異動願い』と書かれた手紙を握り締めて、露草は修兵の家の扉をどんどんと叩いていた。
こんな状況になっても彼はやっぱり居留守を決め込んでいる。
気配で中にいることはわかってるってのに。
どんどんどんどん!借金取りもびっくりな大胆さで露草は中に呼びかけ続けた。

「何が異動願いだおい顔貸せ!勝手なことばっか言ってんなこの馬鹿!!」

昨日までのしおらしさなどどこへやら。
露草は完全に怒り心頭である。

あまりに彼女がうるさいせいか徐々に人が集まってきてしまったが、気にしない。
この隊長羽織さえ着とけばなんとかなる。

「私に何も言わないで本気でどっか行く気?そんなんが許されると思ってんのか!!」

どんどんどんどんどんどんどんどんどんどん!
彼女は知らない。こうして強気に詰め寄ることでどれだけ修兵を出辛くさせているか。
彼はすでに扉を開く度胸をなくし、玄関前で怯えていた。

「修兵…ここ開けろ」

それはこれが最後通牒だと言わんばかりだった。
修兵は躊躇った。開けるか否か。
しかしその戸惑いなど知らない露草は、待ちきれずにものの数秒で再び叫んだ。

「開けろっつってんだろうがぁ!」

バァァァァンッ!

蹴りをかまされた扉が見事に吹っ飛んだ。
避けられなかった修兵はもろにダメージを受けた。
野次馬は騒然とする。
あいつ人ん家の玄関壊しやがった…!平和を尊ぶ九番隊こえぇ…!

そんな野次馬にも意を介さない露草は堂々と、その開けっぴろげな玄関に乗り上げた。
呆然と床に座り込みながら露草を見上げる修兵を、彼女は腕組みをしながら見下ろす。
そしてそのまま右手の拳を握ると、修兵の脳天にそれをぶち込んだ。

「ぃっつっ…!!!」
「二日続けて私に居留守使うとはいい度胸だな、ええ?」

修兵は生理的に浮かんだ涙を目に溜めながら露草を見、改めて彼女のそのマジギレ具合を実感した。
こんな露草は初めて見た。いつも三分の二ぐらいしか黒目が見えてないようなぼんやりしてる目がなんかギラギラしている。

彼が異様に怯えていることぐらい露草もわかっている。
しかしそんなことにはおかまいなしに、露草はさらに彼に詰め寄るとその胸ぐらを掴みあげた。

「何無断欠勤してんだとかあの日のあれなんだとか私謝ったじゃんとかめちゃくちゃ言いたいこといっぱいあるけどさ…!もうとにかくさ…!」

胸ぐらを掴みあげたまま、露草は俯いてその場へ膝をつく。

「私、修兵が何考えてんのかわかんないのがめちゃくちゃ辛い…!」

乗り込んで来た時の勢いは既になかった。
情緒が振り切って自然と目に涙が溜まる。
修兵は胸が締め付けられる思いがしていたが、どう声をかければいいのかわからなかった。

「そんなに…もう、私の傍にいるのは嫌?」

自分の言葉に傷ついたかのように、その瞬間露草の瞳には影が差した。

「違う!」

なんの考えもまとまっていないのに、反射的に修兵はそう叫んでしまった。ただただこれ以上傷つけたくない一心だった。
彼の顔を見上げた露草は「じゃあなんで?」と当然尋ねる。

「それは……」
「…修兵……私はね、修兵に傍にいてもらいたいよ」

彼女の言葉に、修兵は目を見開いた。
あんなことをされたのに。あんなに泣いてたのに。
まだお前は、そんなやさしい言葉をかけてくれるのか。

「…お前はやさしすぎるな」
「え…?」
「悪い。俺はもう、お前の傍にはいられねぇんだ」

これ以上傍にいれば、自分が何をするかわかったもんじゃない。
お前のすることを全部笑って受け止めてやる、そんな余裕がもう俺にはない。

「修兵がどっか行くなら…私は隊長やめる」
「…はあ!?お前はまたそんなことを…!」
「だって!私が今までがんばれたのは修兵がいたからだもん!修兵がいなかったら、ここまでやってこれなかった!これからだって、修兵がいなきゃ無理だよ!!」

そんなことはない。お前は俺なんかがいなくたって十分やっていける。

「何甘えたこと言ってんだ…俺の代わりなんていくらでもいるんだよ」
「そんなわけない!だって私は、修兵がいなかったらそもそも隊長になってなかったんだから!」
「は…?」
「隊長なんて絶対嫌だった。やりたくなかった。もしもう一度失ったらと思うと怖くて怖くて仕方なくて、お前しか居ないって誰に言われても引き受ける気になんてなれなかった。でも三十年前…私を助けてくれたのが修兵だったから、私、修兵の傍でならがんばれると思ったの!」
「三十…?助けた…?」
「隊長として初めて修兵と顔を合わせたあの日のこと…私今でも覚えてる。緊張してドキドキして仕方なくて、手が汗ばんで大変だった。どうしても修兵と仲良くなりたくて、名前で呼んでとか敬語はなしとか、変なお願いばっかりした。隊長なんてすっごく嫌だったのに、修兵と一緒にいられるのはすっごく嬉しかった。今だってそう。私、修兵がいてくれるだけで嬉しい。幸せなの」

修兵が私をまったく覚えていないのはわかっていた。
そりゃそうだ。もう30年も前のことで、しかも彼にとってはあんなこと、ささいな出来事の一つに過ぎなかっただろう。

だけど私にとっては決して忘れられない出来事だった。

あの日たまたま現世に来ていたようだった君とはあれ以来一度も会えることはなかった。
だけどそんなの関係なかった。

あの瞬間から私はもう君に恋をしていた。
会うことはなくても、君を想うことは幸せだった。

何十年ぶりに帰還を促され、帰ってきたのは君に会いたいがためだった。
そして私が就く隊に君がいると知ったあの時の私の気持ちが、一体誰にわかるだろう。
君ほど、私が一歩踏み出す背中を押してくれた存在はいなかった。

「ねぇお願い。私の傍に、いてください」

滲みっぱなしだった視界がさらに歪んだ。
まっすぐに君を見る勇気がない。

「私…修兵が好きなの」

長い長い片思い。伝えるつもりなんてこれっぽっちもなかった。
でも少しでも君の気が惹けるなら、どんな気持ちもどんな言葉も利用する。
同情でも何でもいい。どうか、思い留まってくれないか。

照れているような余裕はなかった。
修兵の服を握り締める手が震える。
三十年もの片恋期間は、露草をひどく臆病にさせていた。
涙が零れないように堪えるのが精一杯で、とにかく必死だった。

「…お前…本気で、言ってんのか…?」
「こんなこと冗談で言えると思うなよバカ修兵!」
「だってお前、あんだけ嫌がって…泣いてたじゃねぇか…」
「!な、泣くくらい自由にさせてよ!あんなの…普通びっくりするし…てか、は、はははは初めてだし…わけわかんないし、怖いに決まってんじゃん…!」

ここで初めて露草の顔が真っ赤に染まった。
ああこいつ本気だ。
それを実感すると修兵はたまらず露草を抱きしめた。

うれしい。
これ以上ないぐらいに。

「悪かった、露草…俺、すっげぇ焦ってたんだ。俺ばっかりがお前のこと考えてるんだと思って」

お前の気持ちに気づいてやれてたら、あんなに傷つけることなんかなかったのに。
また泣かせることにはならなかったのに。

「今、なんて…?」

露草は呟いた。

「俺ばっかりがって、どういうこと…?」
「………まさかお前、俺がなんであんなことしたのかわかってなかったのか?」

そんな馬鹿な、と修兵は露草から体を離して彼女を見る。
そして彼女が本気できょとんとしているのを見て、思わず笑った。

普通真っ先にそれ考えるだろ。その可能性を省きながらあのことを今までずっと悶々とこいつが考えてたんだとしたら、すっごく不憫だ。ろくな考えは出てこなかったんだろうな。
瞳いっぱいに涙を溜めた露草の頬に修兵は手をすべらせる。
そして彼女に告げた。

「俺もお前が好きだよ」

ついに彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。
それを修兵は笑って拭ってやった。

そんな二人が野次馬たちの大きな歓声に気がつくまで、もう少し。



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