40

君の泣き顔が、頭から離れない。





檜佐木修兵は四日目になる引き篭もり生活を送っていた。

こんな風に隠れて頭を抱える生活が正しいなんて思ってはいない。
けれど通常通りに仕事に就き隊長を支える、なんてそんなことができるほど彼の面の皮は厚くない。
副隊長が隊の異動願いなんて出せるものだろうか。
おそらく前例がないであろうそれに彼は本気で悩んでいた。

自分がしたことはとても許されることじゃない。
あの彼女のことを本当に大切に思うのなら、自分はもう彼女から離れるべきだ。
彼女の隣には戻れない。

「……はぁ…」

どうしてあんなことをしてしまったのかと、今になって心から悔やまれる。

どうしてあそこで冷静になり、己を制御できなかったのか。
どうして隣にいられるだけで十分だと思えなかったのか。
どうしてそれ以上を求めてしまったのか。

…わかってはいる。
制御し続けてきた嫉妬心がとうとう制御し切れなくなってしまったのだということは。どうしようもなくなる限界がそこにあったのだ。
しかしだからといってそれを正当化できるわけなどあるはずがない。

だって俺は、あの時でさえ自分の気持ちを伝えはしなかったんだ。

隊長と副隊長。彼女がそれ以上の関係なんて望んでいないことを知っていたから。
言えなかった。何も言えないまま俺は逃げ出した。
情けねぇ…

もし異動願いが聞き届けられなければどうしようか。
死神辞めるか?いや、それはできない。俺には、死神になった理由がある。こんな中途半端なところでそれは投げ出せない。

ならどうする。
のうのうと彼女の傍に居続けるのか。
あれだけ怖がらせておいて。あれだけ泣かせておいて。

ぐるぐると同じ質問と同じ回答ばかりが頭の中を駆け回る。
彼はここ数日こんなことだけを繰り返していた。
何も進まない、おそらく一人では正解など導き出せないであろう難題。
しかし彼の中に、誰かに相談するという選択肢はない。露草と話すなんてことは論外だった。彼にとってこれは、自分ひとりでどうにかすべき問題と定義されていた。

ピンポーン―――

とっくに冷めた茶を前にぼうっとしていた修兵の耳に来客を知らせるチャイムが届いた。
けれど彼はそれを当然のように無視する。
相手が誰であろうと関係ない。とりあえず今人と会話する気にはなれない。

「修兵…?」
「!」

扉越しにほんのわずかに聞こえたその声は露草のものであった。
驚いて霊圧を探るとそれが聞き間違いでないことはわかった。

それから勢いで玄関まで走ったものの修兵はそこで固まる。
扉を開く勇気が、ない。

彼女はもちろん修兵が中にいることに気がついているだろう。ここで何も返事をしなければ居留守を使ったことが丸分かりだ。
だけど彼は、それ以上にとるべき最善の行動というものを思い浮かべられなかった。

「修兵、あの…話が…したいんだけど…」

修兵は答えなかった。
話がしたいと言われて、いい話ができるわけなどないとわかっていたからだ。
「辞めてくれ」も「もう自分には近づかないでくれ」も、言われて当然なのは知っている。
けれど直接本人からそれを聞くのは嫌だ。

「…また、来るね」

諦めた露草の足音が遠ざかる。
修兵はいつの間にか止めていた息を大きく吐くと、壁に身を預けながらずるずるとその場に座り込んだ。

…また来ると言ったからには、彼女はおそらく明日にでももう一度ここへ来るだろう。
こんなくだらないことを繰り返しても意味がない。
もう一度彼女が来る前に、答えを出しておく必要がある。

修兵は部屋へ戻り、筆と紙を手に机の前に座った。



***



その次の日、相も変わらず椅子で眠りこけていた露草は三席に起こされ、そしてまた修兵が来ていないということを聞いてうなだれた。
先日の居留守も彼女のハートには相当堪えている。
もしかしたらまた今日もあんな見え見えな居留守を使われるのかもしれないと、そう思うとかなり気が重かった。

「それであの、隊長…」
「んー…?」
「総隊長から、このようなものが届けられておりまして…」
「…じじいから?」

露草は訝しげに手を差し出してその手紙のようなものを受け取った。
その表には『異動願い』の文字。
…じじいは一体ここをどういう場所と勘違いしてるんだ。大体お前どこに異動する気だよ。
露草はそう一瞬呆れ帰ったがすぐに別の可能性へと思い至り、手紙を開いた。

それは思った通り見慣れた修兵の字で、手紙の最後には『檜佐木修兵』の署名があって、
露草は目の前が真っ暗になった気がした。



| top |


- ナノ -