02

「おおーここが執務室ー?結構広いんだねぇ」
「蒼井隊長、お荷物は…」
「ああ、今日中には届くようにしてあるから大丈夫。まぁそんな大したものはないけど」

そう言うなり露草はどっかりと執務室の椅子に腰かけた。
そして既に机に積まれ済みの書類を見て顔をしかめる。

「あー…副隊長。しばらくは隊長補佐としてもお願いするよ。何分私、まともに護廷隊にいたためしすらないもんだから」
「はぁ、わかりました蒼井隊長」
「…露草でいいってさっき言ったよね?」

言われたが、そういうわけにもいかない。
そんな修兵の顔を読み取ったのか、露草は「じゃあこれは命令だから」とすっぱり言いきった。

「さすがに平隊士たちにまで命令だとは言わないけど、副隊長ともなれば私と過ごす時間も長くなってくるだろうし。ずっと蒼井隊長だなんて言われてると…なんだか気色悪い。」

気色悪いって。本当にこういうのに慣れていないんだろうか。
態度的にはさまになり過ぎていると言ってもいいぐらいだが、これはもしや本当にただ態度がでかいだけなんだろうかと修兵は若干心配になった。

「それと敬語も必要ないよ。堅苦しいのは苦手だから」

露草は「ね?」と小首を傾げて上目遣いで、まるでおねだりのようにそう言った。
ね?と言われても、そう簡単に頷ける内容でもないので修兵は突っ立ったまま困惑する。

「じゃあこうやって二人きりの時だけでいいからさ。…だめ?」

今度は急に捨てられそうな子犬のような目でそう尋ねられる。
修兵はもう頷くしかなかった。

「やった!じゃあそういうことで、改めてよろしく、修兵」
「…ああ、こっちこそよろしく蒼井たいちょ――あー…露草」
「はい、よくできました」

露草は満足そうに頷いて、その後すぐ修兵に手招きをした。
そして不思議そうにしながら修兵が近づくと、懐に手を突っ込んで何かを掴み出し、その拳を修兵の方へ突き出して受け取るように催促する。
戸惑いながら修兵が手を出すと、彼女はその掌の上に自分が握っていたものを乗せた。

「ご褒美」

そう言って渡されたのは、可愛らしいラッピングがされた小さな飴玉。
修兵は思わず「へ?」と声を漏らした。

「甘いもの嫌いだった?」
「いや、そんなことはないけど…」

ご褒美と言って飴玉を渡されるなんて。俺は子どもか?

「甘い物好きだからいつでも持ち歩いてるの。いっぱいあるから欲しい時はいつでも言ってね。」
「…ぷっ」
「ん?」
「いや…いつも飴持ち歩いてるって、何か似合わねーなと思って。」
「そう?ああ、飴以外もあるよ」

再び懐に手を突っ込む露草。その手はすぐに、たくさんのお菓子を引っ掴んで戻ってきた。
ざららーっと机の上に広げられた、大量のチョコレートにグミに飴。
どうしてそこにこんな量の菓子が入っていたんだというほど。

「何か欲しいものある?今のおすすめはこのグミかな。現世の新商品」
「…じゃあ、それもらう」

変わってる。
修兵は単純にそう思った。いまいちこの人物がつかめない。

けれど同時に、面白いとも思った。
もう一度笑ってしまいそうになるのをなんとかこらえて、グミを受け取りそのまま口へと運んだ。なるほどおすすめするだけはある。いわゆる新食感ってやつだ。

「うまい」
「でしょ?」

いつでも菓子を持ち歩いてるとなると、草鹿やちるあたりはよく寄ってきそうだ。

「あー…文章読むのなんだか久々。というかどうして初日からこんなに大量なの?」
「あぁ、その間に挟まってる束は全部瀞霊廷通信についてのものだ。」
「瀞霊廷通信?」
「ウチは編集担当だから。必然的に露草は編集長なんだよ。」
「は!?」
「それが今月分の内容。全部に編集チェックよろしく。あと、露草も何か新しくコーナー立ち上げなきゃなんねぇぞ」

さっきので打ち解けた――とは言いにくいが、友との会話のようにすんなりと話をすることができた。
隊長に対して堅苦しくするななんて無茶言うな…と思っていた修兵だったが、露草が隊長らしくないからだろうか。しゃべってみればしゃべってみたで、やっぱりこっちの方が楽だと結論づけた。

「編集長って…それ、降りられない?」
「無理だろうな。他は他で忙しいんだから」

露草は露骨に嫌そうな顔をする。
修兵はというと、対称的にその顔は晴れ晴れとしていた。
今まで隊長権限代行の副隊長と瀞霊廷通信編集長代理を一人でこなしてきたのだ。
もちろんそれは簡単なことではなかった。修兵にとっては、やっと肩の荷が下りたと言ったところ。

「ハァ…まぁ、修兵は一人でずっと頑張ってきたんだもんね。お疲れ様。私も頑張るか」
「あ、ああ…」

あのごたごたがあってからというもの、空いてしまった穴を埋めるのも、そのための代理をこなすのも副隊長として当然とされてきた。
別に誰かに慰められたいとか褒められたいとか思っていたわけでもなかったが、実際の修兵の努力なんて知らないはずのその労りがなぜか妙に染みた。
やっと編集長を降りられる、と自分のことしか考えていなかったことを少し恥じた。ちゃんと誠心誠意、露草の手伝いはしようと決めた。

「ねぇ、これはどうしたらいいの?」
「ん?ああ、それは…」

護廷隊にすら碌にいたためしがないという露草。
簡単な書類でも、どう処理をすればいいのかわからずに修兵に尋ねた。加え、書類の内容についても質問攻めなため修兵は部屋を出るに出られない。そのため普段は副官室で仕事をするが、この日は自分の仕事もここへ持ち込んで片付け始めた。

「…?女性死神協会って何?」
「あー…俺たち男性死神協会の敵だ。…それがどうしたんだ?」
「敵…?…その女性死神協会の入会状ってのが私宛にあるんだけど」
「…また敵が増える…」
「?」


◇◇◇


気がつけば外は夕暮れ。ほんのりと赤みを帯びた光が部屋へと差し込み始める。
書類漬けの一日でこんなに時間が早く経ったのは初めてだと、修兵は思った。

「ふー…やっとこの書類で最後か…こんなに事務仕事したの初めてだよ私…」
「俺ももう終わりだ」
「じゃあ終わったら一緒にご飯でも行こうよ!美味しい店紹介してほしいな」
「ああ、いいぜ」

嬉しそうに笑った露草の耳元で小さなピアスが揺れた。
艶やかな黒髪は蛍光灯の光を浴び、強く光を受けている部分が青色に輝いている。
深い海を思わせるその色が、露草の髪の本当の色なのだろうなとぼんやり考えた。

「蒼井隊長。伊勢副隊長がお越しになっています」

突然部屋の扉越しに掛けられた誰のかもわからないその台詞に、露草は首を傾げる。
どうやら伊勢副隊長というのが誰かわかっていないらしい。

「八番隊…京楽隊長のところの副隊長だ」
「…京楽兄さんの…?仕方ないか…ああ、通して」

京楽隊長と聞いた途端に、露草は眉間に皺を寄せた。
京楽隊長の方とは面識があるのか。兄さんなどと呼んでいる割に、あまり仲がいいわけではなさそうだが。

露草の言葉のすぐ後に扉が開いて伊勢七緒が中へと入る。
律儀にまず一礼をしてから、つかつかと露草へ歩み寄った。

「お久しぶりです、蒼井隊長。八番隊副隊長の伊勢七緒です。」
「え、あ、ななちゃん…?!」
「ええ。懐かしい、そう呼ばれてましたね」
「久しぶり!100年ぶりくらいかな…」
「あなたが現世に遠征に行って以来だから、110年は経ちますね」

結局伊勢副隊長とも面識があったようだった。
それにしても長く遠征に出ていたとは聞いていたが110年という数字は長寿の死神からしてもあまりにも長く、修兵は密かに驚いた。

「積もる話もあるかもしれないけど、今日は一応、ウチの隊長からの伝達のために伺わせていただきました」
「ほう、伝達とは…?」
「集められるだけの隊長・副隊長・加え上位席官で蒼井隊長の歓迎会を催すため、すぐに来ていただきたいとのことです」
「……………」

京楽隊長主催の歓迎会となると、やはり酒だろう。ただ酒飲めるな。ひそかに心の中でガッツポーズをとる修兵。
それとは反対に、再び深く眉間に皺を寄せた露草。面倒だ、とわかりやすく顔に出ている。

「…来ていただけますか?」
「…了解でーす。仕事を片付けたらすぐに行くって伝えといて…」
「はい、了解しました」

露草は気が重そうなのをまったく包み隠さない。しかしそこはさすが伊勢副隊長。一切表情を変えることなく、再び一礼すると部屋を出て行った。
そして扉が閉まると同時に、露草は深いため息を吐きながら机へと突っ伏する。

「…歓迎会がそんなに嫌なのか?」
「…聞く?私、人とお酒飲むの初めてだよ」
「え」

この歳でそんなことがありえるのか、と修兵はたじろいだ。
いや、歳なんか正確には知らないけど、110年前から現世遠征に行ってたぐらいだ、もうそこそこの年齢のはず…にも見えないが。自分と同年代ぐらいに見えるけどどうなんだろうか、と修兵は聞くに聞けずにまた謎をひとつ抱えることになった。

「知らない人ばっかだろうし、やだなぁ…困った時は助けてね」

露草は突っ伏したまま最後の書類に判を押すと、起き上がってさも疲れたとばかりに肩を回す。
そして先程より少し緊張のまじる顔で「行こうか修兵」と。

「修兵のおすすめの店はまた今度紹介してね」
「ああ」
「あー…そうだ。二人きりの時だけでいいって言ったけどさ、もう普通にしゃべるので慣れたでしょ?別に他の人の前でもこれでいいよ?」
「さすがにそういうわけにはいかねぇよ。けじめはつけとかねぇとな」
「それはそうだけどさ…嫌なんじゃないの?私のこと隊長なんて呼ぶの」

先ほどまではそう呼ばれるのが嫌なんだと言っていたのに、今度は自分に嫌なんじゃないかと問う。
それがよくわからず、修兵は疑問符を頭に浮かべた。

「だから…この隊が前隊長のことを慕ってたってことも、修兵がその一人だってことも今朝わかったから…無理して私を隊長って呼んでくれなくてもいいよ」
「…露草…」
「私は別に地位にこだわるつもりはないし、体面どうこうも気にしない。修兵が一番楽なのを選んでくれればいいよ」
「…確かに、俺は東仙隊長を尊敬していたし、今でもそれを忘れることなんてできない。でも、だから新しい隊長を受け入れられねぇなんて言う餓鬼でもねぇ。大丈夫だ。心配してくれてありがとな」

小さく微笑みかけると、露草は安心したように笑みを零した。

「…そっか。余計な心配だったね、ごめん。さ、いこっか。私の歓迎会ってからには主催者持ちっしょ。どーせなら飲まなきゃ損だよね」

そう言って背を向けた姿は、気だるげな雰囲気でありながら逆にどこか凛としているようにも見えて。
なんとも言えない不思議な空気を纏っていた。

新隊長への興味が深まった、そんな勤務時間。


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