37

「修兵、この書類三番隊の方に回しておいて」

目の下には隈くっきり。髪の毛は寝癖とはまた違ったボサボサ感たっぷり。
そんな状態の露草が副官室へ顔を出したのは、彼女が執務室に籠って仕事を始めてから3日が経った昼のこと。

「これでやっと一区切りついたから、私ちょっと出かけてくる」
「わかった」

朽木隊長のところか浮竹隊長のところだなと当たりをつけて修兵は適当に頷いた。
そんな修兵の机の上に、ころんころんと三つの何かが転がる。
それは露草から差しだされた、飴玉だった。

「仕事お疲れ。疲れた時には甘い物」

白地に苺模様の包装紙で可愛らしく包装されたそれらの飴は、露草から部下へのご褒美だ。

「苺みるく、好き?一護にプレゼントするために苺系のお菓子ばっか買ってたんだよね私」

まぁおいしいから食べてよ。
そう言って疲れきった顔でにっこり笑うと、彼女は修兵に背を向けた。

「そういや目の下の隈ひどいよ、仮眠ぐらいとりなね。無理はよくない」

お前に言われたかねぇよ。
修兵がそれを告げる前に、露草は部屋を出た。
残されたのは苺みるく味の飴玉が三つも。

別に嫌いなわけじゃない。
けどなんとなく手に取る気にはなれなかった。



***



その後露草は流魂街にいた。
人を探していた。
だが広大なこの土地で、いるのかいないのかもわからない死人を探すことは困難を極めた。

「…出直すか」

空が黄昏出した頃、露草は眠い目をごしごしと擦りながらそこを後にした。
結局今になっても会いに行くことが出来ていない友に、会いに行こうかと思い立ったのだが。
大して端から期待はしていなかったが、やはり見つからなかった。
転生していることもあるだろう。まったく別の人物になっていることもあるかもしれない。
探しても探しても、一生見つからないことだって、あるかもしれない。

だって遅すぎた。
勇気を出すのが。一歩踏み出すのが。
それでも、一生探していこうと思う。
彼らに会うことが、彼らに会おうとする意思を持つことが、せめてもの罪滅ぼしのように感じるから。

探し物は見つからなかった。
けれど露草の顔は晴れていた。

まだまだ先がある。
一生かかったって、かまわない。

この意思が変わることは、きっと一生ない。






それから瀞霊廷に戻って、露草はぶらりぶらりと商店街を歩いてた。
そろそろ甘味を補給しなければならない。

「おー露草、久しぶりだな」
「やっほーレンジくん、相変わらずかっこいい眉毛だね」

偶然出会った彼の手の中にあった団子を一瞬にしてかっぱらい、口に入れた露草。
「あー!」と阿散井は声を上げた。

「みたらしじゃなくて餡子の気分だったなー」
「勝手に人のとっといて文句言うんじゃねぇよ!」
「たしかに」

露草は団子を食べ終わった後の串だけを阿散井につっ返し、「ごちそうさまでした」と言葉だけは礼儀正しくそう言った。しかし顔には笑みの一つもない上台詞も若干棒読みだ。
いつもならもう少しは愛想のある人間なはずだが、今日はあまり機嫌がよろしくないのかなんとも食わせ甲斐のない奴になっていた。

「…今度なんか奢れよ」
「気が向いたら」
「ったく……そういや露草、現世旅行はどうだったんだ?」
「ん、まぁ楽しかったよ。皺寄せはんぱなかったけど」
「だろうなぁ」
「あ、そうそうレンジ君には特別にお土産があるんだよ。はいどうぞ『トロピカル風あずきチョコチップス〜ベジタブルソースを添えて〜』です」
「…うめぇのか?それ」
「超おすすめ。ま、食べてみればわかるんじゃないかな。もしおいしかったら私にもちょうだいね」
「俺を実験台にしようとすんじゃねぇよ!」

無理やり握らされていた串を阿散井は思わずボキリとへし折る。
なんか隊長とか女とかいろんなこと無しにしていっぺん殴りてぇ…

「なんだよ、何そんな機嫌悪ぃんだよ」
「機嫌はいい方だよ。ちょっと疲れてるだけ」
「疲れてんなら寝ろ、何でこんなとこでふらふらしてんだ。よく見りゃ隈もひでーし髪もひでーし女としてやばいぞお前」
「うるさいなぁいいんだよ一応風呂は入ってたから女としてのギリギリラインは保たれてるはず」
「そうかー?いやもう割とアウトだと思う」

キッ!団子を盗られた腹いせか嫌味の絶えない友人を露草は睨んだ。
が、その背後にいつの間にか、自分のお目付け役のようなあの部下の男の姿があることに気づいて逆に怯んだ。
やべっ仕事一区切りついたからってふらふらし過ぎたか!まだ全部終わったわけじゃないし!怒られる!

「しゅ、修兵…」
「檜佐木先輩!?」

やべっ俺この人の前で露草のこと悪く言うとか完全死亡フラグ!
うほっ俺死んだ!

「…おめーらの話は終わったか?」

修兵は苛立ちを隠せない様子で冷ややかな視線を二人に注ぎながらそう言った。
静かな怒りを携えたその声は二人にとってまるで死刑宣告を告げられるかのようだ。
怒鳴られるのはまだいい。
静かに怒られるのが一番怖い。

「は、はははい!終わりました!」
「うんにゃ、まだ終わってないよ!私たちこれからの先端医療についてとってもとっても大事な話をしててね…!だ、だから決してサボってたわけではなくてぇ…!」
「んな話してねえだろ!あ、あれっすか、露草また仕事途中だったんですか!サボリっすか!いやーやっぱりなぁ、俺は早く戻った方がいいってずっと言ってたんですけどねぇ、ほら露草早く仕事しろよ!じゃあな!」
「ちょっとレンジ君!?そんな話もしてないよ!」

とりあえず修兵の怒りのベクトルが今は自分に向いていないとわかると真っ先に露草を差し出して逃げ出した阿散井。

「う、裏切り者ぉ…」

露草は情けない声を出した。
ただでさえ最近の修兵は機嫌がよくなかったってのに…ドジ踏んだなぁ。
またこれはしばらくカンヅメ生活だ。ああああああ嫌だ……

「お前ら二人で今まで何してたんだ」
「え、いやだから大事な大事なお話が…」
「………」
「嘘です団子食べてましたすみません」

並んで九番隊隊舎へ向かう足取りが重い。
ここ数日の修兵の有無を言わさぬ監視のせいか、露草はらしくもなく先ほどから常にびくびくとしている。
なんだよ、さっき飴あげたじゃんかよ、ちょっとぐらい甘く見てくれたっていいじゃないのさ。

「だ、団子食べる前は流魂街に行ってて…」
「流魂街?…仲間に会いに行ったのか」
「うん…結局会えなかったけどね…」

修兵の空気が少しだけ和らいだことに露草は気がついた。
…遊んでたなら怒るけど、そういうことなら許してくれるってことかな。なんだかんだでやさしいんだから!

「すぐ済ますつもりだったけど思ったより時間かかっちゃったんだ、ごめんね」
「…仕方ねぇな。とりあえず戻ったらすぐ再開すっからな」
「はーい」

もう怒ってないみたいだとわかると露草は途端に笑顔に戻る。
修兵もそれにつられて頬を緩めた。

「…どうせこれからも通うんだろ、流魂街」
「ん?うん」
「なら次から俺もつれてけ。一人より二人だろ」
「!…わかった、ありがとう」

みんなの似顔絵描いとかなきゃなーなんて露草は楽しそうだ。
執務室の扉を開けば、少しは減ったが相変わらず山積みの資料が目に入る。
仕事は嫌だが、それでももう少しがんばろうと思えた。

「いやー…にしても、一護様様だなぁ」
「は?」

露草の背後で修兵の顔が一気に強張った。

「一護のおかげで私、決心がついたんだもん。今の仕事は大変だけどさ、現世に行ってほんとによかったと思う」

正直行った理由は堂々と口に出せるようなものではない。
その目的は結局果たせなかった。おまけにこのせいで自分はもうしばらくの間休みなんてもらえないだろう。

でも後悔はない。
睡眠が足りなくても、どれだけ疲れてても、今私にはやりたいことがいっぱいあって、それに思いを馳せることは楽しいことだ。

露草は笑顔で修兵を振り返った。
「そうだな、よかったな」と、そう言ってもらえると期待していた。

「あーあ、もっかい行きたいなぁ現世…現世任務積極的に受けるようにしよう……か…な…」

しかしその笑顔は一瞬で硬直する。
期待に反していたどころじゃない。機嫌が戻る前の修兵がそこにリターンしていた。

「あ…!そっかごめんね、長く隊舎空けて修兵に迷惑かけたのに、行ってよかったとか無責任に言って…」
「…………」

返事はなかった。彼は顔を伏せたままとにかく重苦しい霊圧を背負っている。
このところの修兵は本当に情緒不安定だと露草は思う。
基本何事にもクールだった彼を、ここまで追い詰めてしまったのは自分だろうか。

「修兵…あのね、ちゃんと悪かったって思ってるよ。反省もしてる。でもね、本当に私一護が―――」
「…っ一護一護ってうっせぇな!」
「!」

急に声を荒らげると、修兵は露草の肩を掴んだ。

現世にいた時も帰ってきてからもお前はそればっかりだ。
お前が阿散井と二人でいるだけで嫉妬させられるぐらい余裕のねぇ俺の気にもなってみろ。

俺は知ってる。
あの死神代行がお前に少しばかり好意を持っていたこと。そしてお前自身、そのことに気がついていたこと。
それでいて、遠ざけるでもなんでもなくあいつを懐に抱えこんだお前はなんだ。

もしかしてお前も、あいつのことを想っているんじゃないのか?


修兵は傍にあったソファに露草を押し倒すと彼女の上に馬乗りになった。
すると単純な力勝負で修兵に勝てるわけがない露草は成す術なく固まる。

「しゅ…」
「いらつくんだよ!お前の休暇はもう終わったんだ!あんな人間の話ばっかすんじゃねぇ…!」

お前は俺が傍にいようと居まいとあの男ばかり気にかけている。
お前にとっては俺の存在なんてあってもなくても同じなんだろう。
お前がいなけりゃまともに仕事も出来ない俺とは違う。
いつだって想ってるのは俺ばっかりだった。
どうしたらお前は、俺を見てくれるんだ?

修兵は悔しさに唇を噛み締める。
そしてその次の瞬間には、戸惑う露草に噛み付くような口付けをしていた。

「んっ―――!」

何がなんだかわけがわからず露草は目を見開いたまま息を止めた。
しばらくして息が苦しくなるとやっと現状を理解し修兵を押し返そうとしたが、彼の体はびくともしない。
時々漏れるお互いの吐息が艶かしく、露草は経験したことのない感覚に泣きそうだった。
いや本当はすでに目には涙が溜まっていたのだが…修兵もそれに気づいていながら行為を止めようとはしなかった。

修兵が彼女の死覇装の帯を解いて彼女の素肌に触れた瞬間、その涙はついに零れ落ちる。
露草はあまりのことにもはや声もまともに出ない。
ぼろぼろと零れ落ちる涙を止めることもできず、時々喉を引き攣らせながらただずっと修兵の死覇装を握り締めていた。

「しゅう、へ…」

彼がどんな気持ちで今こんなことをしているのか、彼女にはわからない。
震えながら泣くしかできない自分が情けなくて仕方ないが、どうすればいいのかもわからない。

修兵は何故だか今にも泣き出しそうな顔をしている。
そんな顔を見てしまえば本気で拳を握ることもできないし、わずかな罵倒だって出てきやしない。
だけどこのままなし崩しに、なんて絶対嫌だ。

「露草…悪い、俺…」
「や、やめて修兵、やだ…」

やめてと懇願しながら露草は言った。

「ごめんなさい…」

それを聞いた修兵ははっと我に返ったかのように動きを止める。
露草はつづけた。

「ごめん、私が、なんか悪かったんだよ、ね…でもごめん…私今でも、どうしてそんなに、修兵を追い詰めちゃったのか、わかんないの…」
「露草…」
「ごめんね、私、これからはもっとちゃんとするし、勝手に遊びに行ったりも、しないし、だから……」

泣かないで。

「―――っ!」

露草は呆然とする修兵の顔に手を伸ばした。
その目から零れかけていた雫をそっと拭い、涙で濡れた顔でやさしく笑う。
肌蹴た胸元も首もとの赤い跡もその穏やかな笑顔とは不釣合いで、修兵は思わずそれを隠すように彼女を抱きしめた。

何が泣かないでだ。
泣いているのは、泣かされているのはお前じゃないか。

どうしてそれだけ泣きながら笑うんだ。
どうして自分より俺なんかを気にかけるんだ。

修兵は理解しがたい彼女の行動に混乱していたが、それでも理解していたことがある。


自分は取り返しのつかないことをしてしまった。



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