34

利己的な平和主義者。

それが私。
自分のことしか考えてない、エゴイスト。

ただ自分が悲しみたくないから。
たったそれだけのために、私は偽善的な正義を振りかざす。

だけど、そう…君だって私と同じ。
正義という名のエゴを振り撒く、にせものヒーロー。




「…死神になれなくなったとしても、俺に霊力があるのに変わりはない。俺は霊が見えるし、虚が見える。これからはそれ全部、見て見ぬふりしろってか?」
「優秀な死神をここに配属させるようにするよ」
「冗談じゃねぇ」

そうだね、辛いよね。見えるのに、どうにかする力もあったのに、もう何も出来ないなんて。歯がゆいよね。
知ってるよそういう気持ち。わかっていて、私はこんな意地悪をするんだ。

露草は既に刀を鞘に収めたが、一護は刀を手にしたままだった。
盗られた代行証を取り返す気まんまんらしい。

「修兵、帰ろっかー」
「させるかよ!」

ガキンッ!
再び二人の刃が交わった。
先ほどまでの手応えとの違いに、露草は眉を潜めて舌打ちをする。
やっとマジだって気付いたか馬鹿。

「…卍解なしで私に勝てるわけないって」
「お前相手に卍解なんてするか!」
「…まだ私のことなめてんの?」
「そうじゃねぇ!」

刃の間で火花が散った。
単なる力押しだけなら、露草が負ける。
彼女は一旦引き、手にしたままの代行証を腰紐に取りつけた。

「俺は、お前を殺したいわけでも倒したいわけでもねぇ!」
「…はあ」
「ただ代行証を取り返したいだけだ!だから卍解なんてしねぇ!」

露草は目を見張った。

「ほんと一護って、少年漫画のヒーローみたいな性格してるよね」
「は?」
「それで言えば私はヒーローの邪魔をする小悪党か」

それでいい。そんなもんだ、私なんて。
一護を世界の英雄なんかにはさせない。そんな荷は背負わせない。

それでも、私が今ヒーローの力をもぎ取るというのなら…やっぱり私は小悪党どころではないか。結末的に考えると、私は間違いなく彼のラスボスだ。
それもヒーローが負けるパターンの、バッドエンド系。

「一護、悪いけど…私を追いかけてこれないぐらいには、させてもらうよ。遊べ∞赤花=v

本当は一護の卍解を叩き潰してその心を折ってやりたかった。
それができないならさらに荒療治でいくしかない。

露草が詠唱を唱えると共に、今度は水が刀身を覆うのではなく、刀身そのものが赤く染まった。

「―――…私の斬魄刀…赤花ていうんだけど、どんな能力なんだと思う?」
「は…?水を操る能力じゃねーのか」
「ぶっぶー不正解。赤花はありとあらゆる液体を操る刀。今までの攻撃は大気中の水を操っていただけ…この刀の力のほんの一面にすぎない。」
「ありとあらゆる、液体…?」
「意味がわかんない?大丈夫、すぐわかるよ。」

水を操るぐらいのことは赤花の真価ではない。
しかし露草自身はその真価を嫌っていた。
この真価を発揮した時の敵の死に様は、惨たらしくて仕方ないのだ。

「一護、君の命は既に私が握ってる。」
「!」

露草は悲しげな笑みを浮かべた。そして刃の切っ先を一護に向ける。
一護は咄嗟に身構えた。
だが、次の瞬間―――

「がはぁっ!!」

思い切り口から血液を吐きだした。
遠くで傍観を決め込んでいた修兵も、さすがにこれには驚きを隠せない。
一護に大きな外傷はない。露草が動いた様子もない。
だが一護はそれから、口だけではなく耳からも目からも血を流し始めた。

「な、なに…」
「一護って頭は悪くないんだから、わかるでしょ?血って、液体じゃん」

一護は目を見張った。
だがその視界も今は血にまみれて鮮明ではない。

「…私ね、対人間で負けるわけないんだ。だって人体って、約七割が水で構成されてんだもん。この刀はそれ全てが意のままなわけ。今から一護の体内の血液を沸騰させることだってできるし。体液を沸騰させた後爆発させることだってできる。ほら一護…君だって、そんな簡単に死んでしまう」

体内で血液を沸騰させる。
その恐ろしさに一護はぞっとした。

もう吐血は収まったが、それでも大量の血を失ったし露草の攻撃の発動条件がわからないため下手に動くこともできない。
無意識に、手が、足が、震えた。
露草と同じ隊長格にだって打ち勝ったことのある自分なのに、まるで勝てる気がしない。

「…はは、想像できた?体の中ぐちゃぐちゃにされて死ぬ自分。…そんな汚い死に方したくなかったら、もう諦めてお家帰りなさい。」
「っ…!」

露草は始解を解きはしないが、既に戦意がないことを示すために一護に背を向けた。
そして笑顔で修兵に向かって手を振る。
その笑顔は達成感というかなんというか、やりきった感に満ちていた。

この時修兵は改めて蒼井露草という人物のクレイジーさを知った。
利己的な平和主義者―――そう言うだけあって、なるほどただの平和主義者ではない。
自分が悪になることを厭わない、むちゃくちゃなやり方だ。過程はどうあれ結果こそが全てらしい。

「―――待てよ!!」
「!?」

その一護の台詞とともに振りかざされた刃を露草は咄嗟に避けた。
目の前には、肩で息をする血まみれの一護。
彼女は驚きと共に恐ろしさすら感じた。

一護が吐き出した血液は割と尋常な量じゃない。露草自身、本当は気絶ぐらいはさせるつもりでいた。
それがまだ意識があるどころか、向かってすら来る。

本当は恐ろしくて仕方ないくせに。
私が、今だって自分を殺せるとわかっているくせに。
それでもまだ、こんなに戦意に満ちた目を向けてくる。

「なんで?怖いんでしょ?手震えてるよ」
「うっせぇ!」
「怖いくせに、ふらふらなくせに、なんでそんな状態で勝てないとわかってる相手に向かってくるの?そうまでしてこの代行証を取り返したいの?この死に急ぎ野郎!」

血に濡れた目に、消えることなく宿される闘志。
しかしそれは間違っても殺意ではなかった。
露草は息を呑む。
この状況でも彼には私自身をどうこうする気がない。

「死に急ぎたいわけあるか!俺がここで死ぬなんてありえねぇ」
「…死にかけのくせに何言ってんだか。もう剣の実力を競うような段階は終わってんの。この技の発動条件を満たした以上一護に勝ち目なんて…」
「どれだけヤバいやつのフリしたって、俺を殺せるようなフリしたって無駄だぜ。俺がここで死んだらお前にとっちゃ本末転倒だろうが。」

…さすがに気づかれてたか。
だからこそ戦意を削ぎたかったんだけどな。
多大な恐怖の前ではそんな信頼なんて霞みそうなものなのに。
共に過ごした時間は一護の人となりを知るためだったが、それは一護にとっても同じことだ。
この状況で勢い余って一護を殺す程の阿呆ではないとでも思ってしまったのだろうか。

「しつこいとさらに血を抜くよ。加減を間違えれば死ぬかもしれないけど。」
「いいや、お前はそんなあぶねー橋をわたるようなことはしねぇ。」
「なに…」
「俺や…人間を思いやるお前の気持ちに、嘘なんかねーってわかってるからな。」
「…!…ばっかじゃないの。」

その血みどろの姿が、思いやりの結果か。
違う、私は、私さえよければいいのだ。この気持ちを思いやりなんてやさしい言葉に変えるつもりはない。

露草は再び刀身に水の刃を纏わせて振りかぶった。
一護は空中に飛びながら辛くもギリギリでそれをかわす。

「心を折れればそれだけでよかったのに…そんなふうに高を括るなら仕方ない。二度と刀なんて握れないような体にするしかないね。」
「っおい露草、それはやりすぎだ。冷静になれ。上にバレたらどうなるか…!」
「どうなったって構わない。覚悟の上だ。」

修兵の静止にも露草は聞く耳を持たなかった。
露草は一護を殺すつもりも、拷問するつもりもなく、そもそも傷つけることすら本意ではなかった。
だというのにこの状態にしてまで彼は向かってくる。追い詰めたつもりのはずが、逆に命を盾に追い詰められている。
本意ではないとはいえ、今の彼女にこれ以上の手は無い。

「このまま私が代行証を持ち逃げしたところでどうせ一護は追いかけてくる。それじゃあ意味が無い。心が折れないなら体しかない。」

露草が刀を振る。切っ先が一護に交わる間合いではない。しかし露草のその刀の動きに連動して、四方八方から飛ぶ水の刃が一護を襲った。
一護は高く宙へ昇りながらそれをなんとか刀で弾く。極度の貧血状態でただでさえいつもより重い体が、その攻撃によってどんどん濡れてさらに重みを増した。
そうして一護の体が全身ずぶ濡れになった頃、露草は刀を下ろした。
諦めたのか?と一護や修兵が疑問を浮かべたと同時に、パキと小さな音が響いた。

「私の技は、冬獅郎くんのように大きな範囲では使えないけど…人間一人分ぐらいなら余裕だよ。沸騰させられるんだ、逆だってできるって思わなかった?」

一瞬にして一護の体に刺すような痛みが広がった。
体が動かない。何が起きたのかと、一護は視線だけで自分の体を見下ろした。そして驚きに目を見開く。
首から下が完全に凍っていた。

「その状態だと数分もすれば末端からどんどん体が腐るよ。五体満足で生きたいでしょ?もう死神代行業はやめるって、そう誓えばそこから出してあげる。」
「くそっ……」

氷はそこまで厚くはない。普段通りの力が出せればがむしゃらにでも抜け出せたかもしれないが、今の一護が出せる力はたかが知れていた。
はために見たらもはやどうにもならない状況にも関わらず、首をひねりながら何とかもがこうとする彼を見て露草は細く長い息をついた。なんとか体が腐る前に諦めて欲しいんだけど、これ以上どうしたらいいのかな。

「一護は守りたいものを守れて幸せかもしれない。けどそれって一護を守りたい人の気持ちはどうなるの?私だけじゃない。家族や友人…一護を大切に思う人達が傷つくことになるってわからないの?」

露草はこの数日で関わった一護の友人たち、父親や妹たちを思い浮かべた。
当然一護にだってそれがわからないわけではない。実際これまでもたくさんの人に心配をかけてきた。

「…けど俺は大切な人たちに何かがあれば、たとえ素手でも、生身でも敵に立ち向かう。」
「な…!」
「何もそういう脅しで言ってんじゃねーぜ。実際最初ルキアに力をもらった時がそうだった。もし同じ状況に陥ったら、俺は何度でも同じことをするだろう。…けどまぁ、俺だって死にたいわけじゃねーし。代行証があった方が便利だよな。」

こいつ正気かと驚く露草の前で、一護は不敵に笑った。

「だから俺は代行証を取り返して死神代行を続ける。」

体は冷たいを通り越して痛みしかない。だが手のひらだけは温かかった。
一護と同じように、斬月もまだ諦めてはいなかった。

「月牙天衝!」

一護は刀を振っていない。にも関わらずその刃から斬撃が飛んだ。
予想だにしていなかった攻撃に露草は動けなかった。しかし刀の動きを伴わないただの霊圧の放出ではコントロールが効かなかったのか、その斬撃は露草には当たらず、彼女の側方ギリギリを掠めて消えた。

月牙天衝の衝撃で、一護の体を覆っていた氷は既に砕けていた。
露草はすぐに次の手を考えようとした。どうする。どうする。どうする。
しかしそこで彼女が何かするより前に、一護の体がぐらりと大きく揺れた。かと思えば次の瞬間には空から真っ逆さまに落ちていく。
おそらく気絶したのだ。

「今!?」

露草は慌てて落ちる一護を追いかけた。
そして地面にぶつかる直前になんとか一護を抱きとめた、つもりだった。

「え」

腕の中にも地面にも宙にも一護はおらず、露草は困惑した。

「代行証、取り返したぜ。俺の勝ちか?それともまだやるか?」

露草の後ろで、一護は代行証を手に立っていた。
露草は振り返ると同時に自分の腰紐に触れる。代行証を結んでいた糸の先が切れていた。おそらく先程の斬撃で。あの攻撃はミスではなかったのだ。

露草はその場にへたりこみ、大きなため息をついた。
先程の気絶が本当だったのか演技だったのかわからないが、九番隊隊長蒼井露草、歳の割に死神歴は長いが、こうもしてやられたのは初めてだった。

「このゲームって諦めた方が負けなんだったっけ?」
「ああ」
「じゃあ私の負けだ。」

そう言いつつも露草は未だ解放したままの刀を一護に向けた。
警戒して一護は刀を構える。そんな彼を今度は周囲に湧きたった水が一気に包み込んだ。
いや、正確には40℃に温められたお湯だ。

「あ、あったけぇ…」

凍りきった体が溶けていくようだった。

「はっ!油断させて代行証かすめ盗る作戦じゃないだろうな!?」
「だからそんなことしたって無駄でしょ。私には一護の身体を壊すか心を折るかしか手段なんてなかったんだよ。けど身体を壊すのは本意じゃないし心は折れないしってなればもうどうしようもないじゃん。まさか代行証取り返されるとも思ってなかったし。」

それに素手だろうと生身だろうと敵に立ち向かう、という言葉も露草には堪えた。
そう言われてみればそんな気もする。
それなら代行証を与えている方がまだましだ。

「へこむわー…」
「ま、俺の方が圧倒的有利だったってことだろ?そう落ち込むなよ」
「いや、そういうわけでもないけど…君がそんな鋼の精神さえしてなきゃね…」

だがそれで、露草が救われたことが一つ。
強さといい意外なしたたかさといい、この精神力といい、もしかしたら彼は信用しても大丈夫なのかもしれない。
微かにでもそう思えることが希望だった。


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