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露草が休暇を終え、本格的に捜査を始めてから三日が経った。
基本的には修兵と共に行動をするが、如何せん二人の距離はぎこちない。

「虚の出現場所・状況共に共通点なし。調査難航中ではあるけど事態は緩和傾向。こりゃもうそろそろ帰ることになりそうだね、私たち。」

露草はつまらなさそうに、器用に風船ガムを膨らませながら言う。

「とりあえず戻ったら報告に空座町の駐在を増やす手配に、お菓子の買いだめに、溜め込んだ仕事の片付けに、瀞霊廷通信の今月号の締切…と。あー忙しい。」

修兵は「そうだな」と小さく相槌を打った。
その適当な返事に、露草はわずかに目を細める。

「…まぁ帰る前に、やらなきゃいけないことはあるんだけど」
「…お前がやると決めたんなら、付き合う」
「ありがと。じゃあいつ行こうかな…一護の代行証取り上げに」

大きく膨らんでいた風船が、パンとはじけた。
露草の顔に張り付いたそれを、修兵はこともなげに懐から取り出したティッシュで拭う。

いまいち修兵には、露草の本気具合がわからなかった。



***



一護は自室でくつろいでいた。
露草が休暇を終えて任務についてからというもの、虚が出現しても一護が到着するより先に彼女がすべてを終えてしまっているため、まぁそれは腕の鈍りそうな日々を過ごしている。

幸い腕はにぶっても体力が衰えることはないだろうが。なんせ毎日虚が現れる度全力で走りこんではいるのだ。
けれどどれだけ速く走ろうとも、いつも露草の方が何枚も上手なためすべてが無駄で終わる。
それでもその行為をやめる気にもなれない。露草にまかせとけばいっか、とかそんな考えができるたちではなかった。

そんな一護が近頃疑問に思っていることが一つある。
一護が現場へ駆けつけた時、彼女がいつも言うのだ。

「また来たんだ苺」

と。その言葉の真意を、一護は未だわからないでいる。



「一護、私は少し出かけるぞ」
「おー」
「姉さん!ならオレも一緒に―――!」
「お前は一護と遊んでろ」

ルキアに跳びつこうとしたコンの前で、無情に扉は閉められる。
人形と扉は熱い抱擁を交わすはめになった。

「くそ、何が悲しくてこいつとなんか…!」
「別に遊ばなくていいだろ」
「露草ちゃんはどうしたんだよー!いつになったら帰ってくるんだー!」
「さあな…」

露草は高校に行くのをやめた。サボりというわけではない。
既に学校からは、蒼井露草という存在が消えている。
そして黒崎の家にも彼女は寄りつかなくなった。
今どこでどう寝食をとっているのか知らないが、露草のことだから図太くやってるだろうとは思っている。

「露草ちゃんは俺の心に癒しを与えてくれる天使なんだよー!胸はないけど」
「失礼な、ちょっとはあるよ」

そう言ってがらりと窓を開けて、土足で部屋に踏み込んできたのは話題のその人だった。

「露草ちゃーん!その小さな胸で抱きしめてマイエンジェール!」
「普段なら抱きしめてやらないこともないけど今は腹立つから却下」
「露草、どうしたんだ?」

飛びついたところをはたきおとされて床に伏すコン。
それでも彼は何故か嬉しそうだった。それを見降ろしながら露草は「この子ガチだな」とかなんとか思ったとか。

「今日明日中にこっから引き上げるから、まぁ今の内に話でもしとこーかなってね。」
「そうか…帰ってからはもう、ここに来るこたねぇのか?」
「うん。これでも隊長なんでね、そうそう隊舎は空けらんないし。今回の休暇なんて無理やりもぎとったあれだから、次まとまった休みが取れるのなんていつになることやらだよ。」
「じゃあ…」

―――もう会えないかもしれないのか?
そう続きそうになった言葉を、一護は慌てて飲み込んだ。
何言おうとしてんだ俺。

「どうした?」
「い、いや…茶でも飲むか?」
「ううん、いいよお気づかいなく。まぁ座ってよ。ちょーっと真面目なお話がしたいんだ」
「真面目な話?」
「うん。すぐ済むけどね」

露草はベッドの端に腰かけ、一護は勉強机の前の椅子に座り直した。
そして露草はまるで世間話かのように言う。

「苺、死神代行やめない?」
「…は?」

一護にとって、それは予想だにしない、突拍子のない言葉だった。何言ってんだと、呆れと驚きで口をぽかんと開ける。
だが露草にとってはそんな彼の反応ももちろん範疇内。
一護にペースを合わせぬまま、勝手に話を進める。

「上には私から話を通す。すべての責任は然るところで持つ。何も問題はないし何も心配はしなくていいよ」
「ちょ、おい露草…」
「代行証を返して。ただそれだけでいい」
「ちょっと待てよお前何言って…!」
「私は至極真面目だ。そんで苺にはこれを断る必要性も意味もない。」

途端に突き放すような言葉と、有無を言わさぬ視線に一護は戦慄した。
何も映さないその瞳から、目が逸らせない。

「もう戦わなくていいよ。人間なんてみんな…私たちに守られてればいいんだよ」

一護の膝に手を置く露草。
上目使いに瞳を覗きこまれ、ずいと近づかれれば一護は思わず身を引いた。当然、すぐに背もたれにぶつかるのだが。
後ろで何かコンが喚いていてうるさい。

「君はなんで、戦うの?」
「露草…」
「私、心配なんだよ。苺が大切だから。だからお願い…死神やめて」

その時、部屋になんとも言えぬ不快音が響いた。代行証が虚の出現を教えているのだ。
一護は反射的に、机の上にあった代行証を引っつかんで立ちあがろうとする。
だが露草はそんな一護の手と膝を押さえ込んでそれを制した。

「きっともう修兵が向かってる。心配ない」
「けど…!」
「…苺が、人に降りかかる災厄を見て見ぬふりなんて出来ない人間だってわかってる。でもそんなんじゃ、誰よりも先に朽ちるのは君だよ」
「………」

人は弱い。
人は脆い。
もう目の前で崩れ去っていくのは、嫌だ。

「…俺はもう、誰も失いたくねぇ」

母親は目の前で死んだ。
家族が、仲間が、目の前で傷ついたこともある。
どれもこれも、もうこりごりだ。
何もかも全部、ひっくるめて守ってしまえればいい。

「だから戦うんだ」

ふわりとやさしく一護は笑った。
そして代行証を掴む手とは反対の手でやさしく露草の頭を撫でる。
露草は茫然とした。窓から飛び出す一護を、止めることもできなかった。


死神であることを否定した死神。死神であることを肯定した人間。

彼らの心の内は、奇しくも同じであった。


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