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「あの馬鹿は何してんだろうね」
「は?」

虚出現のために飛び出してきた学校へ戻るべく踵を返したルキアは、呆れたような露草の呟きを耳に捕え、動きを止めて思わず訊き返した。
一方、露草の呟きにもそのやり取りにも気付かずに一護は、一人さっさと戻ってしまう。

「いや…さっきまで、あいつこっちの様子窺ってたみたいなんだけどさ。結局今、何もせず帰ってったわ。」
「あいつとは…檜佐木副隊長のことですか?」
「うん」

そんなこと気付かなかった、とルキアは露草の視線の先を追ってみる。
だが露草の言葉通り、彼はもう姿を消した後だ。当然そこには何もない。

「まぁ、何考えてんのかは大体わかるけど」

大方、私より到着が遅れたから出辛かったんだろうな。しょーもな、何してんだ馬鹿。
露草は修兵のいた方を未だ見つめながら、小さく息をついた。

「…あれ、苺は?」
「とっくに一人で戻っていきましたが」
「ありゃ」

じゃあ私たちも追いつかないと、と露草はようやく視線を外す。
だが進み出そうとした瞬間に彼女はふと足を止め、ルキアのことも引き留めた。
ルキアは首を傾げ、再び露草に向き直る。

「ルキアちゃん」
「はい?」

二人で話すチャンスだと思った。

「ちょっとだけ、いいかな」

君に聞きたいことがある。

ちょうど付近にあった公園の適当なところに二人は並んで腰かけた。
露草は懐から飴玉を取り出し、ルキアに渡す。遠慮がちにその飴玉を受け取った彼女は、自分の口に別の飴を放り込んだ露草を見習って、手の中のそれを同じように口に含んだ。

「それで、蒼井殿…お話とは」
「ああ、うん」

どこかはっきりとしない態度の露草に、ルキアは首を傾げる。
なんだか、だんだん彼女の方が緊張してきた。

「…何の関係もない私にいきなりこんなこと言われるのは嫌だと思うけど、嫌われる覚悟で言うね。」
「は、はあ…」
「本当に彼らを大事に思うなら、深入りしすぎないほうがいいと思うよ。」
「…?」

彼ら、とは一護たちのことだろうか。

「本来生きている人間は、死神なんかと関わるべきじゃない。」
「それは、もちろん…」
「わかってないよ、君はわかってない。一護なら大丈夫って、そんなことを思ってる。」
「………」
「人間は脆いよ。君が思ってるよりずっと」

間違っているんだ、君らの関係は。
間違ってるんだ、あの青年が『人間』を守らなきゃと感じることは。
引き返さないといけない。できるだけ早いうちに。
じゃないと…

「…君はいつか、彼らを殺すことになる。」

私みたいに。

―――自分と彼らを重ねることを、露草は何度もやめようと思った。
しかし日が経てば経つほど彼女の中では一護を救わなければならないという気持ちが膨らみ、とうとう己の過去と現在を切り離すことができなくなった。

酷なことを言っていることはわかっている。
こんなことを言うのは自分の押し付けで、身勝手だ。
彼らやルキアを思って言っているように聞こえる言葉の全ては、実際は露草自身を守るための言葉だから。

「蒼井隊長…」
「君はいつ、彼を解放するつもり?」

いや、君≠カゃない。
正しくは君ら≠セ。
一護の死神代行を認めてしまった全ての死神に対して。

「…私ね、つい最近までずっと現世にいて…死神代行―――苺の存在なんて、これっぽっちも知らなかったわけ。話を聞いて驚いた。死神代行…そんなものが存在するのかと思った。」

ガリッと、飴を噛み砕く音が響く。

「…それで、調べたんだ。過去にあった死神代行の記録」
「!」
「死神代行―――…当然、苺の前例がないわけじゃない。今までにも一人だけだけど、いたにはいた。人類の数千年の歴史の中の、たった一人。」
「………」
「けどどれだけ調べてもね、その彼が何をしただとか、どう死神に貢献しただとか、そんな記録が一切出てこないんだ。昔のことだから単に記録が残っていないだけ…というのは考えにくい。おそらく故意に記録が消されている。」
「!それは…」
「何か過ちがあったんだろうね。死神代行側になのか死神側になのかはわからないけれど。どちらにせよその死神代行は…」

間違いなく殺されただろう。
私たち死神に。

「その彼がどういう経緯で死神代行になんてなったのかもわかんないけど、まさか死ぬために代行業を始めたわけじゃないでしょうに。…そんな不安定なものをよくもう一度採用したなと思ったよ。」

一護に死神代行証が渡されたのは、かの元隊長たちの謀反があった直後だったと聞く。
彼らとの決戦に備えて少しでも戦力が欲しかったのだろうか。あんな子供に縋らなければならないほど、我々は落ちぶれた存在なのだろうか。
彼にだって普通の男子高校生として生きる権利があるはずなのに、なんて勝手なことを。

「私は代行証を渡した浮竹兄さんにも、それを認めたじじいにも、代行業をよしとした全ての死神にも、すごくムカついてる。」
「蒼井隊長…」
「苺はいい奴だ。この数日でよくわかった。だから私は…あの子を“彼ら”と同じにはしたくない。」

露草は無意識のうちに、言葉にかつての自分の友人らを含めていた。

「…私たち死神は、人間に関わるべきじゃない」

ルキアは戸惑っていた。
露草の言わんとしていることはわかっている、つもりだ。
だがどうしてか、彼女の心が見えてこない。

―――隊長、それは本当に私に向かっての言葉ですか?
それとも…隊長、あなた自身に?

「…でも苺はあの性格だしねー、今更手を引けっつったって聞くような奴じゃないでしょ?どうしよっかー」

それまでの重い空気を一掃するかのように、露草は明るい声でそう言ってオーバーにうなだれてみせた。
ルキアは振り幅についていけずにただ戸惑う。

「てかごめんね私ばっかベラベラしゃべっちゃって。普段そんなおしゃべりキャラじゃないんだけどさーあははは」
「い、いえ…」
「苺の言った通りだ。私、ちょっとイラついてる」

もういこっかと露草は立ち上がり、ルキアの手を引いた。
そして戸惑うルキアに、クスリと笑う。可愛いなぁ、白哉くんと一緒で。

「…でもさっきのは、イラついて当たったわけじゃないから。私はこの休暇、このために来たんだ。」

―――最初から目的は、黒崎一護に死神代行を辞めさせることだった。

それがどんな人間だろうと関係なく。
そして一護という人間を知って…その思いは強まった。

何としても、この間違いを改めさせる。


露草の本気の目に、ルキアは小さく息をのんだ。



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