よみもの
イチゴ味の初恋
「ハア、疲れた〜」
放課後の教室で、プリントをホチキスで止めていたヴァンガードは、それを置いて大きく伸びをした。
今度行く遠足のしおりの作成なのだが、忙しそうな委員長たちを見かねて、
「僕、寮に帰ってもやることありませんし、やっておきますよ」
と、にこやかにその仕事を引き受けたのは彼自身だ。
だがそれは、飛び級で進学してきて、周りにいる年上の人間たちとうまく渡り合っていくために、愛想を振りまいたに過ぎなかった。
大抵、こうやって気を使い、かわいらしく笑っていれば、うまくやっていける。
「でも、さすがに疲れるよな〜」
毎日毎日、気を使って。
5歳も離れていると感覚も違うし、向こうも話しづらいだろう。そう思うと、何となく距離を置いてしまうのだった。
本当に心を許せる相手などいない。
勉強さえ出来れば、そんなものはいらないと、思っていたはずなのに。
放課後の教室にぽつんと一人で取り残されると、さすがに感傷的になってしまうのだった。
開いた窓から風が入り込み、カーテンとヴァンガードの水色の髪を揺らす。
校庭から聞こえてくる部活動に励む生徒たちの声を何となく耳に入れ、5月の優しい風に目を細めたとき。
教室の入り口で、カタン、と物音がした。
誰か入ってきた、と背筋を伸ばし、慌ててプリントを手にする。
そうしながら入り口に目をやると、ハニーブラウンの髪を左右でおだんごの形に結った、女子生徒が立っていた。
「あれ……貴女は」
確か、寮でヴァンガードと同室のフェイレイの幼馴染。
学園中が公認のカップルではあるが、フェイレイによると“そうではない”らしいという、隣のクラスの女子生徒は。
「ええと、リディルさん」
フェイレイがそう呼んでいたのを思い出し、呼びかけてみる。
リディルは翡翠の瞳をジッとヴァンガードに向け、少しだけ首を傾げた。
「あ、ええと。フェイレイさんのルームメイトの、ヴァンガードです」
「ああ」
リディルは無表情に相槌を打つ。
「ええと、フェイレイさんに御用ですか?」
リディルはコクリと頷いた。
「フェイレイさんは、さっき、バスケ部の主将に連れられていきましたよ。練習試合の助っ人ですって」
嵐のようにやってきたバスケ部主将に連れ去られるまで、フェイレイはヴァンガードの仕事を手伝ってくれていた。リディルのことを待ちながら。
「……そう」
やはり無表情にそう頷くと、リディルはヴァンガードの手元に目をやった。
「ひとり?」
「え? はい」
「そう」
まだ山のように積み重なっているプリントにしばらく目をやっていた彼女は、ふいに歩き出し、ヴァンガードの前の席の椅子をひいて、そこに座った。
「順番に、重ねていけばいい?」
「え? あの……」
「手伝うから」
リディルはそう言うと、並べてある順番の通りにプリントを重ねていき、トントン、とズレを直すと、ヴァンガードに差し出した。
「とめるんでしょ?」
「……ありがとうございます」
重ねられたプリントを受け取り、パチパチとホチキスでとめていく。その間にリディルは次のプリントに手を伸ばしていた。
「あの、ありがとうございます」
もう一度礼を言うと、
「別に、暇だから」
素っ気無い返事が返ってきた。
それからも特に会話はなく、ただ、プリントを集めていく音と、ホチキスの音、そして風の音が静かに通り抜けていった。
あの賑やかなフェイレイの幼馴染というから、同じように賑やかな人を想像していたヴァンガードは、この静かに流れていく時間が意外だった。
チラ、と視線を上げると、黙々とプリントを集める、無表情な翡翠の瞳が目に映った。
無表情だけれども。
大きな二重の瞳と、高くはないけれど筋の通った鼻、そして桜色の唇は、人形のようにとても綺麗だった。
「……どうかした?」
ふいに声をかけられ、ハッと我に返る。
「あ、いえ!」
見惚れていたことに気付き、ヴァンガードは慌てて手を動かした。
そうしているうちに、しおり作成は終わってしまった。
「ありがとうございました」
リディルにペコリと頭を下げ、席を立って全部重ねて職員室まで持っていこうとすると、かなりの重さだった。
(うわ)
ずしりと腕に圧し掛かる重さに少し驚きながらなんとか踏ん張っていると、リディルも席を立って、上の半分を持っていかれた。
「あ……すみません」
「うん」
どう見てもヴァンと同じくらいの細さしかない──身長は彼女の方が高いのに──リディルを手伝わせることに、少しだけ罪悪感。
けれど、少し、嬉しかった。
見上げると、また美しい横顔が見れた。
無事に職員室にしおりを届け、
「また何かあったら、お手伝いします」
と、先生にも愛想を振りまいて教室に戻ってきた。
だが、フェイはまだ帰ってきていなかった。
「フェイレイさん、まだですね」
「うん」
もうオレンジ色になった太陽の光は、風でふくらむカーテンと一緒に、柔らかく教室内に差し込んでいる。
「待ってるんですか?」
「うん」
リディルはゆっくりとヴァンガードを振り返り、ジッと見つめた。
何だろう、と少し心臓の動きを早くしていると、リディルはフェイレイの机の上に置いておいたカバンの中から、ピンクにウサギ模様の小さな巾着を取り出した。
「イチゴと、レモン」
「え?」
「……イチゴ」
独り言のように呟き、リディルは巾着の中から小さな白い包みをふたつ、取り出した。
「はい」
「え?」
「疲れてるとき、甘いの、いいよ」
「……」
もしかして、先程「疲れたー」と呟いていたのを聞かれていたのだろうか? ……恥ずかしさに少しだけ赤くなりながら、礼を言ってそれを受け取った。
それから、リディルはヴァンガードの水色の頭をそっと撫でて。
「あんまり、無理しなくて、いいんだよ」
と。
何故か、そんなことを言った。
「……え?」
少しだけドキリとしながら顔を上げると。
遠くの方から、怪獣のような足音を立てて誰かが駆けてくるのが分かった。
誰か、などと、問うまでもないが。
「リディルー!」
キュキュッ、と靴音を鳴らして教室の入り口で止まり、フェイレイが現れた。
その瞬間。
今まで無表情だったリディルの顔に、硬かった蕾がほろりと解けていくような、控えめだけれど輝かしい微笑が広がるのをヴァンガードは見た。
「ごめん、待った!? 急にバスケの練習試合に出させられることになって、知らせてる暇なくて!」
「いいよ。大丈夫」
静かにそう言うリディルは、やはりほんの少し、嬉しそうで。
何故か、ヴァンガードの胸はチクリと傷んだ。
「お、ヴァン。しおり終わった?」
「あ、はい。リディルさんに手伝っていただきましたので」
「そっか、なら良かった」
そう言うフェイレイに、リディルがタオルを差し出す。
バスケットの試合後、そのまま体育館を飛び出してきたのだろう。赤い髪が汗で濡れていた。
「ありがと」
笑顔でタオルを受け取るフェイレイに、ふわりと微笑むリディル。
「……僕、帰りますね」
ヴァンガードはカバンを持つと、さっと教室を出て行った。
「ヴァン? 帰るトコ一緒だぞ〜?」
「いいですよ。お二人で帰ってください」
少し硬めの口調で言うと、早足で歩き出す。
「付き合ってないなんて、嘘だよ」
あの2人の間に漂う空気は、幼馴染も、友達も越えたモノだ。それなのに、本人たちは気付いていないとでも言うのだろうか?
(もし、本当に付き合っていないのなら)
自分にも、まだ可能性があるのだろうか。
そんなことを思っている自分を不思議に思いつつ、リディルに貰ったイチゴ飴を口の中に放り込んだ。
甘く、ゆったりと広がっていくイチゴ味。
「……なんで分かったんだろう」
レモンより、イチゴの方が好きだって。
『あんまり、無理しなくて、いいんだよ』
その言葉と、フェイレイへ向けられていたリディルの笑顔を思い出す。
甘いはずのイチゴが、ちょっぴり苦く感じられた。
bkm
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