よみもの



13.冬越えは厳しいのです




 最初は騒がしかった本日の夜勤も、今は静かです。ヴィルヘルム様は扉の隣で直立不動で立ち、私も少し離れたところで手を前で組んで立っています。あれからは会話もなく、ただ夜が無事に過ぎるのを待っているところです。

 と、なんだか外が騒がしいような気がします。

 ヴィルヘルム様に目をやると、やはり彼も異変を察知しているらしく、私と目が合うと小さく頷いて、インカムで騎士団の詰め所に確認の連絡を入れてくれました。

 インカムの向こうから、西区の劇場付近の住宅街から火が上がっているとの情報を貰いました。かなりの広範囲に延焼が広がっているそうで、警邏騎士や巡回兵が住民に避難指示を出しているところだそうです。

 そう報告を受けていると、寝室のドアが静かに開きました。中から顔を出したのはリィシン様です。マントを羽織っていることから、すでに出かける準備は出来ているようです。

「街で火事が起きてる。今ティナが報せに来た」

「はい、今私共もその報告を受けたところです」

「消火が間に合わないらしいから俺が直接消しに行く。野菊のことは頼んだぞ」

「畏まりました。殿下、お気をつけて」

「ああ」

 リィシン様はすぐにドアを閉めました。恐らく自室の方にいる侍官様に報告して、それから隣室でお休みのシオン様を警護している者にも声をかけてから出かけるのでしょう。今日はフェイレイ様は離宮を離れていらっしゃいますからね。街で大火が起きたとなると、必然的にリィシン様が出向くことになります。

「リィシン様が出向くほどの火が出ているのですか……」

 火の精霊ティナが直接報せに来たということは、本当に大きな火災のようです。

 窓の外に目をやりますが、ここからでは何も見えません。劇場近くですから、窓とは反対側ですね。私の実家がある方角です。もしかしたら避難区域になっているかもしれません。

「……マリオン殿のご実家は、西区だと伺っていますが」

 ヴィルヘルム様が心配そうに眉を寄せています。

「はい」

 頷き返して、息を詰めていたことに気づきました。力の入っていた拳を緩め、息を吐き出します。

「殿下も雨を降らせに向かってくださいましたし、きっとすぐに火は消えます」

 励ますような強いお声に、私は無理やり笑顔を作りました。

「そうですね、殿下が向かわれたのですから大丈夫ですね……」

 そう、大丈夫なのです。

 リィシン様が雨の精霊を召喚してくだされば、どんな大火もたちまち消し去ってくださることでしょう。そう、解ってはいるのですが。

 それまでに何人の方が巻き込まれ、怪我を負うのか。それともその業火に命を消されていくのか。そして、私の家族は。

 本当はすぐにでも家族が無事かどうか、確かめに行きたい気持ちはあります。気の弱い父に、優しい弟。小煩い母も、大事な家族ですから。

 ですが、私は離宮勤めの女官です。

 家族よりも第一に護らねばならない主人がいます。不安がっていることを態度に表してはいけません。

 気丈に見えるように微笑みを顔に張り付かせましたが、どこか歪んで見えるのでしょうね。ヴィルヘルム様の気遣わしげな視線が気になります。いけませんね。もっと感情を押し殺せるようにならなければ。


 気付かれないように静かに深呼吸を繰り返し、気持ちを切り替えようとしていたときでした。

 首筋にぴりっと、静電気のようなものが走りました。咄嗟に身構え、辺りに視線を走らせます。

「マリオン殿!」

 ヴィルヘルム様も剣を抜いて戦闘態勢です。この感じはやはり、侵入者!


 どこかで窓硝子の割れる音が聞こえました。同時に、インカムに侵入者を報せる声が響きました。リィシン様やフェイレイ様たちがこの城を離れているときにやってくるとは──狙っていましたね。もしや街の大火も侵入者の仕業でしょうか。

 ざわりと肌が粟立ちました。

 隠し切れない殺気が私を包み込んだそのとき、ノギク様の私室の窓を破って進入してきた者がありました。

 まさか、こんなところにまで賊が入り込んでくるなんて。

 そんな驚きもありましたが、私を包んでいたのはそれを凌駕する怒りでした。

 私の主を、家族を、大事な人を危険に晒す不届き者。

 一瞬だけ我を忘れて、侵入者に飛び掛りそうになりました。けれどそれよりも早く、ヴィルヘルム様が私の前に立ち塞がりました。

「マリオン殿、妃殿下を!」

「っ、はい!」

 危うく判断を間違うところだった私は、心臓をヒヤリとさせながらノギク様のいらっしゃる寝室のドアまで下がりました。そうして、そこで魔力を全開にして床に流し込みました。

 このお城にはいくつもの魔法陣が仕掛けてあります。今私が魔力を流したのは、主をお護りするための結界魔法陣です。これはリィファ様が創ってくださった魔法陣で、私のような者の魔力でも絶対防御の壁を創り上げることが出来ます。これで寝室全体を囲むことが出来ましたので、ノギク様の身は安全です。侵入者があることにも気付かずにゆっくりお休みいただけると思います。

 
 魔法陣に魔力を流し、私もヴィルヘルム様の加勢に向かいます。

 けれども侵入者は相当な手練でした。この城ではリィシン様に次ぐ実力者であるエーリッヒ様と対等に渡り合えるヴィルヘルム様を前にして、少しも怯んだ様子がないのです。

 鋭く踏み込んで斬りかかるヴィルヘルム様の剣を軽くいなし続け、隙を見て貫手で急所を突いてくるのです。私は援護するためにナイフを手にしたのですが、あまりにも速い攻防に手を出すことが出来ません。敵を褒めるのは癪ですが、さすがここまで侵入してきただけのことはあります。

「ヴィル!」

 控えの間側から飛び込んできたギュンター様も、扉のところで足を止めます。私と同じように助けに入るタイミングが見出せないようです。

 少年らしさが抜けないヴィルヘルム様に対し、侵入者はとても大柄です。剣を持つヴィルヘルム様相手に、長い手足を使って攻撃を繰り出してきます。拳闘士が使う魔力を使った身体強化術でしょうか。鋭い剣に生身でやり取りしているのに、傷ひとつつきません。

「く……」

 ヴィルヘルム様も健闘しているのですが、攻撃が嫌な感じに流されるので攻めあぐねているようです。これをどう攻略したら良いのか。私のナイフを持つ手にジワリと汗が滲んできます。

「ノギク様んとこに至急応援頼む!」

 混線しているインカムに向かってギュンター様が怒鳴るように叫びました。その時です。

 割れた窓から、新手が現れたのです。

 同じような黒装束を身に纏った賊は、ふわりと軽い動きで部屋に侵入してきたかと思うと、私に向かって突進してきました。

「マリオン殿!」

「お嬢ちゃん!」

 ヴィルヘルム様とギュンター様の声を聞きながら、私はナイフを構えました。向こうもナイフを構えて突っ込んできます。

「ふっ!」

 互いに繰り出したナイフが幾度かぶつかり合った後、侵入者は一旦距離を取りました。私は扉の前から動かずに、ナイフを三本、投げ放ちました。侵入者はそれをバック転でかわしながら移動していき、その先で部屋に入ってきていたギュンター様と遣り合います。

 ノギク様の居室は混戦状態です。

 ソファは倒される、飾り棚の硝子は割られる、天井のシャンデリアは叩き落される、絨毯は削られる。

 ここは、麗らかな日に差し込んでくる太陽の光のように、眩しくてあたたかな空間なのです。ノギク様を中心に、リィシン様がいて、シオン様がいて、そこに私たちも混ぜていただいて。みんなで笑い合える居心地の良い空間なのです。それをこんな風に土足で踏みにじって、穢して。

 赦されることではありません。

 ギリっと奥歯を噛み締めると、ギュンター様から侵入者を引き受けました。先程と同じように幾度かナイフで遣り合った後、下から拳を突き上げました。中指に嵌めている指輪に仕込んだ毒針を顎に突き刺してやるつもりでした。しかしギリギリでかわされます。身軽に後方宙返りして避けた侵入者。でも私も負けません。侵入者が足を床につける瞬間を狙って回し蹴りを繰り出しました。ブーツの先に仕込み刃がついているので、それを侵入者の肩に食い込ませることに成功しました。

 ここが攻め時。

 私はギュンター様とともに侵入者を追い詰めました。コイツを倒してヴィルヘルム様の加勢に参加しなくては。

 そう思ったのですが……更に新手が窓から飛び込んできました。傷を負った侵入者を庇うように前に出てきた新手に、私たちの方が後退を余儀なくされます。

 離宮勤めの手練たちが、こんなに侵入を許すなんて……他の職員たちはやられてしまったのでしょうか。では、今夜シオン様についている侍女さんと騎士様の安否は。そしてシオン様は!

 こんなところで時間を食っている場合ではないようです。

 私は意を決して、ドレスポケットに手を突っ込みました。そこに入っているかわいらしい袋を素早く開け、中の種を取り出します。

「お、お嬢ちゃん、それは……!」

 ギュンター様が顔を引きつらせました。

「お下がりくださいギュンター様! ヴィルヘルム様、こちらへ!」

 苦戦しているヴィルヘルム様を私の背後へと誘導し、そして私は敵を鋭く見据えながら、手を翳しました。

 これだけは絶対に使うまいと思っていたのに。使う日が来ないようにと願っていたのに!

 赤黒い色をした種を掌に乗せ、私は目を閉じました。

 嫌な記憶がフラッシュバックして、腹の底から何かが込み上げてきましたが何とか飲み込んで。

 ゆっくりと目を開いて、三人の侵入者を睨みつけると、ヴィルヘルム様と遣り合っていた手練がこの種の正体に気付いたのか、私に向かって手を伸ばそうとしました。

 その動きよりも早く、魔力を種に流し込みました。

 私の魔力を吸い込み、種は一気に膨らみました。土の中から盛り上がっていく様子を早回しで見ているかのように、みるみる成長し、あっという間に私の背丈を追い越しました。

 そして大きな実を『ぐばぁ』と嫌な音を立てて割り、そこから舌みたいな蔓をひゅっと吐き出しました。

「ひいっ!」

 侵入者のうち、二人が蔓に捕まりました。そして目にも留まらぬ速さで口のような大きな実の中に引きずり込みました。

「ヴィルヘルム様、耳を塞いで! 決して目を開けてはなりませんよ! ギュンター様、ヴィルヘルム様をお護りしますよ!」

「俺は見てもいいのかよぉ〜」

「一度見ているのですから耐性がついているでしょう!」

「つくかぁ!」

 なんて会話をしている間にも、大きな実がモコモコと艶かしく動いています。そうしながら、取りこぼしたもう一人に蔓を伸ばそうとして……叩き切られました。

「あっ?」

 私と、ギュンター様と、ヴィルヘルム様と。三人同時に声を上げました。侵入者の背中に、真っ黒な羽が生えたのです。

「魔族……! それも有翼種!?」

 有翼種は魔族の中でも早い時期からフェイレイ様に賛同して仲間になってくれているのに、その彼らが何故。

 蔓を黒い羽で切られた人喰い植物は、怒ったように更に蔓を伸ばしました。私でも捉えきれないくらいの速さだというのに、有翼種はまたしてもそれを切り捨てました。

「待て! そいつを止めろ!」

 侵入者が叫びます。

「いきなり襲い掛かってきてそれはねぇんじゃねぇかい?」

 ギュンター様は姿勢低く、剣を構えました。ヴィルヘルム様もです。

「違う。これは演習だ」

「……演習、だと?」

「……俺に見覚えがあるだろう」

 顔を覆っていた頭巾を取り払うと、赤い目が見えました。その色には見覚えがありました。整った顔立ちは冷酷そうで、無口な佇まいは人を寄せ付けない雰囲気がして。けれどもそれは外見だけのことであると、私は知っていました。

「クー様……!」

「はぁ? あんた、フェイレイ様のご友人かい? またなんだってこんな……」

「だから、演習だと言っている。俺たちが本気で攻め込んだら、どこまで護りきれるか見たかったのだ。……騙すようなことをして申し訳ないと、フェイレイもシンも言っていたが」

「で、では、西区の大火は……」

「そんなものはない。安心しろ」

 それを聞いた私は、足の力が抜けてその場にへたり込んでしまいました。

「マリオン殿!」

 ヴィルヘルム様とギュンター様が私に心配の目を寄越したので、大丈夫です、と情けない笑みで応えました。

「よ、良かった……誰も怪我はないのですね……城の皆様は……」

「まあ、大丈夫だろう。掠り傷くらいは負っているかもしれないが」

「演習、だってなら仕方ないな。運が悪いヤツは演習で命を落とすことだってあるんだからよ」

 剣を腰の鞘に戻し、ギュンター様は大きく息を吐き出しました。

「確かに、あんたらに本気で攻められたら危ねぇってのが解ったよ。今後、色々と警備に手が加えられるだろうぜ」

「ああ、それが狙いだからな。だから……それを止めてくれないか」

 クー様が指差したのは人喰い植物。もごもごと口のような実を動かしていた植物は、ペッ、ペッ、と飲み込んでいた二人を吐き出しました。……生まれたままのお姿で、どこか恍惚とした表情を浮かべています。

「きゃああああ」

 今更ながら、私は顔を手で覆いました。

「ま、マリオン殿、俺の後ろへ!」

 ヴィルヘルム様が頼もしくも私を庇おうとしてくださっています。でも危ないのは貴方の方ですよ。

「マリオンとやら、いいから早く魔力供給を断ち切れ」

 クー様が低い声でおっしゃいました。









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