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心臓の音が耳にうるさい。
俺はこれからどうなるんだろう―――。
唾を飲み込む音が自分の中でやけに大きく響いた。
けど―――

「でさ、ちーくんの好きな子ってどんな子なの?」

と、智紀さんは俺から離れると大きく伸びをして湯船につかりなおした。
人一人分ほど空いてしまった距離に拍子抜けする。

「……え、は」
「好きだった従妹ちゃん。どんな子?」
「……えっと……男嫌いだったんです。幼稚園の頃、男の子にいじめられて……それでトラウマになって男が苦手になって」
「へぇ、可哀想に」

さっきまでの熱があっという間に霧散していくようだ。
結局智紀さんは、もうなにもしないということにしたんだろうか。

「……でも俺だけは平気だったんです。だから……俺は彼女のナイト気取りで……」

智紀さんは真面目に俺の話に耳を傾けていて、だから俺は少しづつ鈴のことを話していった。
話すたびにどんどん心が落ち着いていく。
どんどん、冷静になっていく。
そうすると初対面の智紀さんとこうして風呂に入っているという事実が改めておかしいと気づかされて、さらに冷静になる。

「そっか。ずーっと好きだったんなら、なかなか忘れられないよね」
「……」

もう諦めた―――違う、俺は鈴の幸せを願って、だから俺の気持ちはもう終わらせたんだ。
だけど簡単に忘れられるはずもなく、だから答えきれない。
黙っていると智紀さんが立ちあがった。
視線を上げると笑顔で、

「あがろうか」

と促された。

「……はい」

一緒に連れ立って上がるのも微妙だったから智紀さんが先にあがって、俺は少しして上がった。
もうすっかり俺の身体は落ち着いてしまってる。
やっぱりもうシないんだろうな。
俺ももうそういう気分じゃなくなってるし。
脱衣所で身体を拭きながらため息をつく。
少し……残念な気がする、なんてどっか俺おかしくなったんだろうか。
きっと男同士なんて未知の世界に足踏みこもうとしてたから少しまだ変に気分が高揚してるのかもしれないな。

「……あ、どれ着よう」

綺麗に身体を拭いて、そしてどうしようかと迷った。
バスローブ、パジャマ……。
いやその前にこのままここに泊まるんだろうか。
いやもうシないなら帰る、とか?
でも智紀さんの服はそのまま置いてあってバスローブが一着減っていた。
それにならって俺もバスローブを手にする。
えっと……それで下着……。
当たり前だけど風呂に入る前脱いだものしかない。
それを履いていく、よな?
履かない方がおかしいよな?
なんで俺はこんなことで悩んでるんだろう。
本当にどこか頭のねじが一本飛んでしまったんじゃないのか。
自分に呆れながら結局下着をつけバスローブを着て部屋に戻った。
だけどそこに智紀さんの姿はなくて寝室に向かう。
開いていたドアから中を見ると棚みたいなところを開けてなにか出しているようだった。

なにしてるんだろう。
寝室に足をそのまま踏み入れて、目に入った大きなベッドに緊張する。
でも、きっともうなにもない―――よな?
智紀さんは俺が入って来たのを気づいていないようだ。
髪から水滴が頬を伝ってきて、髪を乾かして来ようかとバスルームにまた戻ろうとした。
だけど手を掴まれる。

「ちーくん、どこ行くの?」

気づいていたのか。
智紀さんが音もなく俺の傍に立って目を細める。

「えっと、髪乾かそうかなと思って」
「別に濡れたままでもいいんじゃない? 濡れ髪もなかなかそそるよ?」

……そそるって。

「そうそう。それでさっきの続きになるけど」
「……つづき?」

動揺する自分を宥めながら問い返す。
首を傾げた智紀さんは―――妖しく目を光らせた。

「ちーくんはさ、その従妹ちゃんをオカズにシたことある?」
「―――」

その問いに、
その意味に、
一瞬で頭の中が真っ白になった。
そしてゆっくりと手を引かれてベッドに座らされる。

「忘れるのって、痛いよね。傷じゃあないけど、まぁでも傷みたいなものなのかなぁ? 膿を出すのも痛い、って知ってる?」
「……え。あ、あの」

智紀さんの手が俺の頬をかすめる。
いや、そうじゃなくて。
視界が遮られる。
暗くなる。

「膿んでひどくなるとさ、傷口にメス入れてぱっくり開いて力任せにしごいて膿みだして、って相当痛いよね。思わない?」
「と、ともき、さん」

俺の目につけられた、たぶんアイマスク。

「まあでも出してしまえばすっきり治るの待つだけだし、ね?」

肩が押されて、ベッドに倒される。
柔らかなスプリングに身体が沈む。
一層、頭の中は白んでいって、戸惑う俺の両手が頭上でなにかに、縛られる。
それからバスローブの襟元に手が触れて、小さく身体が震えた。

「ちーくんは、大好きな彼女でシたことある? 俺に教えてよ」

甘い、けれどそれはまるで、命令。

「……あ、あのっ」

ようやくの思いで声を発したけど。

「俺のやり方、でいいんだよね?」

笑う声がして―――やっぱり、俺はとんでもない人に捕まったんだって再認識した。



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