それすらわたしのひどい嘘





*こちらの本文を読む前に、『どこかの国の人々が小さな死と呼ぶその後に』を読んで頂くと嬉しいです。













「それなら、この手を、離して」


それがボクの最初で最後のアナタの為に出来ること




『…それで、お前は構わないのか?』

何を躊躇うことがありましょう。

『あいつの中の、お前の全部のデータ、メモリの一切が削除対象になるんだぞ』

それこそ今更なんです。
『いいんだな?』

初めから分かっていたことなんですから。
『それならもう俺からは何も言わんよ。…………最後にな、お前にこれだけ預けておく』

きっと喉が嗄れるまで叫んでも届かない、
山ほど言っても足りない言葉。

『ごめんなさい』

それでもボクは、
その手を掴めるのなら
他には何も要らなかった



ボクはアナタの為と偽って、ボクの為に嘘を吐く





***





だから、今日も同じ一日を、
変わらない挨拶を交わしましょう



「おはようございます、朝ですよ」
ケンジの一日はこの一言から始まる。
あの夏の一件から、ケンジはラブマシーンと共に過ごしている。常に彼の傍にいて、彼の成長を手助けする補佐の様な役目だ。ラブマシーンは一度解体され、削除されるは筈だった。だが、それを止めた存在がいる。彼の生みの親の侘助と、そうしてケンジの二人だ。侘助はラブマシーンの存在の稀少性、並びにその秀でた能力の可能性を示し、彼の存在の存続を嘆願した。渋る周囲に差し出した対価が彼の今後を決める事になったのだが。彼の対価、それは彼の記憶だった。
OZでの混乱を引き起こした彼のその能力の全てを集約し、記録した記憶。研究者、また開発者にとっては眉唾もののこれを差し出すことで、彼の存続は決まった。けれど、それだけではなかった。彼にはもう一つ枷とも言える負荷が付けられた。それは『声』だった。声は全てにおいて優先される。文字のそれより直接的な影響力の高い情報の媒体をも彼は差し出すことになった。彼から声を奪う事で制限を更に増やした意図は別にあったのだが。
そしてそれは、ケンジの願いの為でもあった。
「今日は侘助さんのところに行きましょう」
今の彼の姿はケンジよりも小さい子供のそれだ。一度解体されかけた影響で、彼の身体は元の姿に戻すよりも、このサイズにカスタマイズする方が手っ取り早かったのだと侘助は言った。
『だって、こいつはまだ本当に赤ん坊みたいなもんだからな。ただ本当に赤ん坊の格好をさせるのも可哀そうだろ?だからこれくらいでちょうどいいんだよ』
彼の姿はまだ混乱の残るOZの世界ではあまりに目立ちすぎる。きっとその辺りの配慮もあっての事なのだろう。声をかけると静かに頷いて起き上がり、ケンジのズボンの膝の辺りを掴んだ。じっと見上げてくる彼に微笑んで、まずはご飯にしましょうか、とケンジはその手を引いて歩きだした。



***



『で、どうだ、あいつの様子は』
「変わりはないですよ、いつも通りいい子でいます」
『シシシシ、いい子、ねえ』
「いけませんか?」
『いいや?いけないなんて言ってないさ』
今日はラブマシーンの調整の日だ。定期的にメンテナンスを受けることで少しずつ彼の機能を再構築していく。ラブマシーンにはここOZで仕事が与えられている。それはOZのセキュリティ管理の一端を担う事だった。先のOZの混乱ではそのセキュリティの高さが裏目に出る結果になった。その為、新たな防御の構築の布石としてラブマシーンの能力を買われたのだ。守り神なら既にこの世界には『ジョン』と『ヨーコ』の二人がいる。彼らの役目は侵入者に対してのOZの防護を務める事だが、ラブマシーンは感知と攻撃の両方の権利を得た。元々秀でている感知の能力に加え、侵入者に対しての攻撃を認められたのだ。攻撃、とは言っても、それはあくまで相手に対する絶対的な拘束力に対する意味合いが強い。彼はその機動性の高さから対クラッカー対策の先陣を切る役目を与えられた。侘助とのこの調整はその為の作動確認をも兼ねている。
『あいつも随分と大人しくなったもんだ』
彼の今の姿を作る結果の一端を担う事になった侘助の顔が僅かに歪んだ。
『…そんなつもりでアイツを作ったわけじゃ、無かったんだがな』
「彼は、その事でアナタに何か言う事は無かったと思います」
自嘲気味な侘助の言葉をケンジが遮った。
「彼は、アナタを恨むようなことはしません」
絶対に、と付け足してケンジは笑った。
「だって、アナタの事を、彼はとても自慢していたんですから」
それは、今はもうケンジだけが持つラブマシーンとの記憶。驚いたように固まった侘助にケンジは続けた。
「教えてもらったんです、彼の中で。自分を作ってくれたという侘助さんの話しを。まるで自分の事を話すみたいに、すごく嬉しそうに」
目を閉じて思い出すのはあの時の彼との会話。ラブマシーンは侘助の事を懸命に自分に伝えてくれた。彼が如何に自分を作ってくれたのか、楽しそうに話す彼の姿は素直に親を慕う子供のそれと変わらなかった。
「だから、大丈夫ですよ」
瞠目した侘助はそのまま静かに自分の顔を右手で覆った。
『…なあ、ケンジ、』
「なんですか?」
『お前は、いいのか?』
その問いには答える事が出来なかった。
ケンジの足元に何かがぶつかってきたのだ。慌てて下を向くと、ラブマシーンがケンジのズボンにしがみ付いていた。
「…っあ、終わったんですね」
一つ大きく頷くと、ラブマシーンの背後に大きなふき出しが現れた。そこに急いで文字が追加されていく。
(お腹、減った。帰ろう)
それを見てケンジは笑い、侘助は苦笑した。
『あんまり我儘許すなよ?』
「気をつけます」
ぺこりと頭を下げたケンジはラブマシーンと手を繋いで静かに扉から消えていった。

『…我ながら、馬鹿な質問したもんだ』

広い部屋には自分しかいない。思ったよりも響いた自らの言葉とその内容に口元を歪め、何かを振り切るように侘助は頭を振った。




***




自分の存在に対して疑問を持つ事は当たり前のことだ。
その意味を知りたいと願う事もまた罪ではない。
それらは何においても優先される自らの存在意義について。
ではそれより知りたい事が、手に入れたいものが出来たとしたら?

ラブマシーンは自分がこの世界にその存在を認められた時、自分の名前を知るよりも前に、『彼』の事を知りたいと強く思った。『彼』、とは今自分の目の前で自分の為に昼食を用意してくれている彼の事だ。彼はいつも自分の傍にいる。恐らく生まれる前から傍にいるのだと思う。そしてそれは間違いではないとラブマシーンは考えている。
「もうちょっとだけ、待っていてくださいね」
大きく頷いて見せると彼は嬉しそうに笑う。ラブマシーンは彼の笑顔が好きだ。ずっと見ていたいと思う。けれどそれを伝える為には多分自分には圧倒的に足りないものがあるのだ。まずは、そう、
「さあ、出来ましたよ、いただきましょうか」
彼の名前を知る事からだ。


彼には名前が無いのだと言う。そんなことは無い、と思ったのだが、自分の周りで彼の名前を話しているところを聞いた事が無かったため、それは本当なのかも知れないと最近思うようになった。侘助に尋ねてみれば、あの人の事だから知っていそうな気がしたが、また素直に教えてくれないだろう事も分かっていたので、自分で調べるしか今のところ有効な解決策はないようであると、人に聞くと言うその線は諦めている。
ラブマシーンが初めて目を開けた時に、最初に彼を見たのだ。その時彼は泣いていた。大きな瞳から零れる水がとてもきれいだと思った。
…あの時、彼の口が動いて確かに何か喋っていた事は分かっているのに、何を彼が呟いたのか自分は聞き取れなかった。その事を今でもずっと覚えていて、いつか彼に聞いてみたいと思っている。
「ゆっくり良く噛んで下さいね」
微笑む彼が自分の中の何かを掻き立てる。
(こんな時、)
声の出ない自分がひどく恨めしいと思う。
「ラブマシーンさん?」
呼びかけられて慌てて顔を彼に向ける。心配そうに自分を見る彼に何でもないと顔を横に振った。彼に心配はかけたくない。
(ご飯、おいしい)
ふき出しを呼びだして文字を加える。安心したように笑う彼にラブマシーンは目が離せなかった。


ご飯が終われば後は自由にして構わない、と彼から聞いた。今日は侘助との調整の日だったので、それ以外は何も予定はないのだそうだ。後片付けをしている彼の後姿を眺めた後、ラブマシーンは自分の部屋に急いだ。
彼と自分が今いるところはOZの管理塔の中でも誰にも知られていない空間なのだ、と聞いた。自分はこの世界の中でも独立した存在である人工知能であり、アバターとはまたその意味合いが全く異なる。それに自分にはやらねばならない仕事があるから外にはあまり出てはいけないと聞いた。その代わり、自分の部屋には世界のすべてが詰まっている。
軽い音をたてて開いた扉の中、そこには全能の宇宙の海だ。
『知りたい』、という欲求を満たすにはこれが一番手っ取り早い、と侘助が言った。その為自分の部屋にはこの世界の全ての情報が詰まっているデータバンク『全知の樹』に直接アクセスできる直結回路が組み込まれていた。この事は自分と侘助しか知らない。彼にも内緒だ。一見すると何の変哲もない普通の部屋だが、自分しかしらないアクセスコードを打ち込めば、そこには一面に情報ネットワークが広がる。以前、自分に与えられる情報はすべて篩にかけられていて、本当に知りたい事の一端しか掴む事が出来ないと侘助に零したことがある。侘助はあの時ラブマシーンのその言葉を聞いて、あの彼特有の笑顔を顔に広げて自分に言ったのだ。
『…分かった。ちょっと待ってろ。明日…、いや明後日か、面白いものをお前にやるよ』
その面白いものというのが今自分の前に広がる情報の海だ。侘助は誰にも内緒だ、という約束で自分にこれを与えてくれた。
『統制された画一的な情報程、悪質で陰険なものはないからな』
もっと自由に、知りたい欲求はそのまま自分の中で殺さず生かせ、それが侘助に一番最初に教わった事だ。
ラブマシーンはあらゆる情報の中から、今日も懸命に探していた。彼に関する事柄を。でもどうしても、後一歩のところで届かないのだ。海を泳ぐ魚の様に彼の情報はするすると流れてしまい掴めないのではないかと思う。けれど自分は諦めない。自分の知らない彼がきっとこの中にあると信じて、ラブマシーンは目線を周囲に戻した。


最近はご飯が終ると直ぐに自分の部屋に戻ってしまう。ラブマシーンが何かやっている事は気付いていたが、それに関してはケンジは探らないことにしている。そもそもの自分の立場を考えればそれは違反事項に当たる筈だが、ケンジにとってはどうでもよかった。自分は彼の『保護者』であり、そして『監視者』である。
だが、ケンジの優先は何より彼の存在そのものなのだ。研究者達がどうこう言ってこようと、侘助が上手くかわすだろう。
「…我ながら、どうしようもないですよね…」
侘助には感謝している。半分以上は彼のおかげで今、自分は此処にいる事が叶っているのだから。ただ一つ彼に対して不満があるとすれば、それは、自分の名前を『ケンジ』と呼ぶ事に対してだけだ。
その名はもうマスターと、そして『彼』に返している。だから今の自分にはそもそも名前など無いと何度も言っているのに、彼は聞かないのだ。


『呼び名が無いんじゃ不便だろう?』
『それならもっと色々あるじゃないですか、コード番号でもなんでも。…どうしてその名を使おうとするんです?』
『そんなの、決まってんじゃねえか』
『…なんですか?』
『お前は『ケンジ』だから、だよ』


答えになっていない彼の言動に振り回されるのは案外疲れる。侘助の言いたい事は湾曲していて、おまけにややこしく、そのくせ驚くくらい真っ直ぐなのだから性質が悪いとしか言いようがない。
「そういうところはあの人にそっくりなんですから…」
ふと零した自分の言葉にケンジは顔を歪めた。
「…馬鹿なのは、ボクだ…」
何時まで経っても、彼を求めてしまう自分の心の弱さに泣きたくなって両手で顔を覆った。
その手の隙間から零れた何かが床に音を立てても、それに気付き、また拾うものはその場にいなかった。


***



夢中で情報を追いかけているうちに気付けば随分と時間が経っていたらしい。ラブマシーンは忙しなく動かしていた手を止めて息を吐いた。
(…彼は、どうしているだろう)
そう言えば最近自分は彼の事を調べるばかりで、肝心の彼とあまり話していない事に気がついた。
(こういうのを本末転倒と、言うのか?)
慌てて起き上がり彼の元へ走っていく。いつもこの時間なら、おやつだと言って彼が何かしら持ってきてくれる筈なのに今日はそれが無かった。
(何か、あった?)
何か嫌な予感がして慌てて昼食を食べた後に分かれた部屋まで急ぐ。扉が開くのももどかしく、開いた少しの隙間から身体を滑り込ませ部屋に飛び込むと、彼の姿があってホッと息を吐く。
(…眠って、いる?)
音を立てずに静かに近づくと、彼はソファの隅で小さくなって寝息を立てていた。腕の隙間から覗く彼の大きな瞳が今は閉じられているのを不思議な気分で眺める。思えば彼の方が背が高いから、こうして自分が彼を見下ろす事は普段であればあり得ない構図なわけだ。だが、今ラブマシーンはこうして彼を眺めている事がどうしても初めての様な気がしなかった。
(…なぜだろう)
胸に落ちた疑問が波紋の様に広がっていく。誰かに聞いても、自分でいくら調べても、答えは得られないのだろうか。
そっと手を伸ばす。眠る彼の頬に指を這わせてみると、触れた先から電流の様にイメージが流れてきた。
(…っ!何だ?今の…)
彼に触れたことで今自分の頭の中に一瞬何かの映像が流れてきた。
(…夢?)
彼の夢の映像だったのだろうか。触れただけで相手の夢を覗けるだなんてそんな事が可能なのか?
ラブマシーンは知らない。彼が以前にケンジを取り込んで以来、彼とケンジの間には科学でも説明のつかない強い結びつきが出来ている事を。触れるだけで相手の思考を読めるのは、彼らのその結びつきの強さの現れだと言う事を。
(今なら、彼の事を知ることが出来る…?)
それはとても卑怯な事であるとラブマシーンは考えた。だが、それでも彼を知りたいと言う自らの欲求は日に日に膨れていくばかりで、もう破裂してもおかしくないぐらいになっている。ラブマシーンは一度だけ眠る彼の顔を見た。そして一瞬の躊躇いの後に彼の頬にもう一度触れた。


最初に見えたのは佇む彼の細い後姿。その直ぐ隣に自分と妙に似通った姿をしている人物が見えた。背丈は自分の比ではない。その大きな姿に圧倒されていると、二人の会話が耳に流れ込んできた。
『   、どうしてそんな顔をする?』
彼の隣にいる自分に似た誰かが、彼の名前を言った様に思えたが、何故か肝心のその名前だけは聞きとる事が出来なかった。
『…アナタには、分からないかもしれません』
『何故だ?』
『答えを、知って、それでアナタはどうしますか?…ボクは、』
『   ?』
『ボクは、…アナタが、』
そこから先は声が拾えなかった。ただ、彼が何かを呟いて、その言葉に隣の誰かが手を伸ばし彼を抱きしめたところまでを目の端で確認して逃げるようにリンクを切った。頭がぐらぐらしている。誰かの夢を覗くなんて初めてした事だから、その反動でこうなっているのかと考えたが、それだけではないと気付いていた。
(…あんな、顔)
彼があんなに切なそうに誰かを見つめるところを初めて見た。伸ばされた手は拒まれなかった。彼の小さな身体が、知らない誰かに抱き締められるところを見ていられなかった。
(…っ!)
知らず握りしめていた拳を壁に思い切り叩きつけたくなった。
(…知らない…っ、しらない…っ)
ずっと傍にいて、自分は彼のあの顔を一度も見た事がない。切なそうに細められた瞼も、静かに俯いた時に見えた細い首筋も、自分には彼は見せない。見せた事がない。
遣りきれない思いで彼を見下ろすと、彼の目が大きく開いて自分を見つめていた。
「…い、ま…、アナタは、」
その先の言葉を聞きたくなかった。何も言わず彼から逃げ出そうとした自分の背に彼の声がぶつかった。
「ま、待って下さい!ラブマシーンさん、」
少しだけ動きを止めたが、これ以上彼の声を聞いていられなかった。この場に居られなかった。
「ラブマシーンさん…っ!」
彼が自分を呼ぶ声を遠くに聞いて、そのままラブマシーンは扉から飛び出した。


***


『…ふん?なんだ、面白い事になってるじゃないか』
「ちっとも面白くなんてありません!」
『冗談だよ、そんなに怒鳴るな』
「…っ、すみません…」
『まあ、俺も調子に乗った。悪かったな』
侘助が素直に謝るなんて滅多に無く、寧ろ初めての事ではないかと思うくらい貴重なものだったが、今のケンジにはそれについてコメントを出来るほどの余裕は無かった。
「何処を探しても見つからないんです…元々ボクには行動にかなりの制限がかけられていますから、ボクの行けない区域にいかれたら、もう探す事すら困難になってしまう…」
ケンジの焦っている様子が画面越しに伝わってくる。侘助は目の前で青褪めるケンジを落ち着かせようと殊更落ち着いた声を心掛けて話を続けた。
『いいから、落ち着け。アイツも、まあまだ子供だが、危険な場所とそうでない場所ぐらいの見分けはもうつくくらいには成長している。それは傍で見ているお前が一番よく分かっているだろう?』
「…それは、そう、なんですが、」
『何だ、何かアイツが飛び出した事に関して思い当たる節でもあるのか?』
「…まだ、分かりません、でも、ボクの考え通りなら、彼は…」
『アイツが?』
「…ボクの、夢を見てしまったのかも、しれません…」
『…それは、お前、』
「あくまで憶測です。でもボクがさっき寝ていた時に、頬に何か触れていたような気がして…」
『それで、アイツが、夢を覗いた、と…?』
「だから、あくまで憶測なんです。そんな事出来るなんて分からないですし、それより彼が…」
『泣いてた、か?』
「…分かりません。でも、ボクは彼に酷い事をしました」
『夢を見てたってだけじゃ、それは悪い事にはならんだろう。寧ろ、アイツの方が、』
「彼だって!…彼だってきっと、悪気があった訳じゃなかったんだと思うんです…」
『それで、どうする?』
「もう少しだけ彼を探してみます。もうこんな時間ですし、何処かで迷っていたら…」
『その心配はないさ』
「…え?」
『俺の方で大体の目星はついてる。明日には帰ってくるだろうさ。だから、お前ももう帰れ。帰って休め』
「平気です。だから、」
『いいから聞け』
「…それは『命令』ですか?」
『どう取って貰っても構わない。今のお前じゃアイツは任せられない』
その一言にケンジの肩が僅かに跳ねた。それを確認して侘助はもうそれ以上は話す事は無い、と一方的に通信を切った。
「…っ侘助さん…!」
途端暗くなった周囲にケンジの声が吸い込まれていく。本当に自分ではもうどうする事も出来ないのだ、とケンジはその場に膝をついた。


***


『ほら、アイツは帰らせたぞ。さっさと出てこい』
ケンジを強制的に帰らせた後、侘助は別の画面を呼び出して声をかけた。
(…わびすけ…)
そこにはケンジの探していたラブマシーンがいた。蹲って画面越しの侘助を見上げている。
ラブマシーンの背後にふきだしが現れた。
(…彼、は怒っていた…?)
心底不安だという事を隠しもせず、ラブマシーンは侘助に尋ねた。
『怒っちゃいないさ。だが心配はしてたぞ。それこそ倒れるんじゃないかってくらい酷い顔してたからな』
(…っ!)
『お前はアイツに何をしたのか、自分で分かっているのか?』
(…わかっている)
『分かってないよ、お前は』
(……………何がわかっていないんだ?)
『それを俺が今お前に言うのはアイツとの約束に反する事になるから言えない。だがな、これだけは言っておくぞ、ラブマシーン』
そこで一息ついて侘助はラブマシーンの目を見ながら言った。
『アイツを疑うな』
侘助の一言にラブマシーンの目が揺れた。
(…別に疑った訳じゃない…)
『じゃあなんだ。何故逃げ出した』
(それは…、)
ラブマシーンは何故逃げ出したのか今までずっと考えていた。だが答えが導き出せなかった。彼の事を考えると今までは胸が温かくなったのに、今は彼を思い出せばあの夢で見た光景が蘇って自分を惑わす。彼が、自分の知らない誰かと一緒にいるその光景を思い出すだけで胸が焼ける様だ。
侘助ならば、この答えを知っているのではないかと思うが、何故か素直に言葉に出来ない。戸惑って動かなくなったラブマシーンに、侘助は言った。
『お前、アイツの夢の中で何を見たんだ?』
それを今聞くのか、とラブマシーンは奥歯を噛み締めた。
(言わないと、だめか?)
『お前の欲しがっている答えを、俺はお前に与えてやる事が出来るかもしれんぞ』
その言葉に勢いよく顔を上げたラブマシーンに向かって侘助はいつもの笑みを見せた。
『ギブ・アンド・テイクだ』
さあ話せ、と促されてラブマシーンはのろのろと口を開けた。


『………お前は、また…』
ぽつりぽつりと自分が彼の夢で見た事を侘助に聞かせると、その話しが終るか終らないかの間に、侘助の口から深い溜息が落ちた。
『見た目はこんな形なのに、中身ばっかり大人になっちまって、まあ…』
侘助が微笑ましいものを見るかのように自分を見る事にラブマシーンは落ち着かなくなった。
(…それで、答え、は?)
『ん?ああ、答えか』
侘助は笑いながら言った。
『それはな、嫉妬って言うんだよ』
(しっと…?)
『アイツが誰か自分以外の奴と居るのを見ると腹が立つんだろ?それで自分だけを見ていてほしいって思うだろう?』
(どうして…)
『そう言うのを嫉妬って言うんだ。今度辞書でも開いてみな』
(…わかった)
『さて、それじゃあ一仕事するか』
(…こんな時間に?これから何をするんだ?)
『ああ?決まってんじゃねえか』
そう言って椅子から立ち上がった侘助はラブマシーンを見て言った。
『お前の、カスタマイズさ』


***


ケンジは家に戻ってはみたがやはり落ち着く事が出来ず、ソファの上で膝を抱えていた。ひょっとしてラブマシーンが帰ってくるかもしれないと思うと、ベッドに入る気も起きなかった。
(どうしよう、彼が、もしあの時の事を夢の中で見てしまっていたのなら…)
夢までは自分の思い通りにはならない。何時かの彼との会話を夢の中で再生してしまった自分にケンジは泣きたくなった。
(どうして、ボクはこんなにも…)
思い出すのは、あの時の優しかった腕の温度。まわされた腕の中でケンジは胸が潰れそうな幸福感に包まれていた。
(…っ、ラブマシーンさん…)
握りしめていた手のひらをぼんやりと眺める。最後のあの時、彼と繋いでいたこの手は結局離されてしまった。それでも、と自分の我儘が今のあの彼の姿を作った。
(……多分、もう、駄目なんだ)
出来る事なら、あの時彼の代わりに自分の記憶が消されたのならば良かった。
零れる涙をそのままにケンジは眼を閉じた。



「…ん、あ、れ…?」
誰かが優しく自分の肩に触れている。薄く眼を開けたケンジは、部屋の明るさからもう朝になっている事を知った。その眩しさに一度目を瞑って、恐る恐る目を開こうとしたケンジの目の前で、誰かが陰になるようにして自分を覆ってくれているのが分かった。
「…だ、れ…です………っ!?」
靄がかかっていた頭の中が急に鮮明になって目の前の人物の姿をケンジの瞳に映した。
「…ラ、ブマシーン…さん…?」
自分の肩を揺すって優しく起こしてくれたのは、
日の眩しさから守るために自分の影になってくれたのは、
「どうして…」
それは以前の彼と変わらない姿のラブマシーンだった。表面上は取り乱さず、だが内面では混乱の極みに達していたケンジはただ彼の姿に目を向けたまま視線を動かす事が叶わない。
その時ラブマシーンの背後にふきだしが飛び出した。
(昨日は、ごめんなさい)
その文字を目で追って、やはり目の前の彼が、昨日まで小さかったあのラブマシーンだと分かったが、ケンジは口を開く事が出来なかった。今、迂闊に声を出したら、きっと自分は泣く、とケンジは必死で堪えていた。
(…怒っている?)
彼のふきだしの言葉に返す事が出来ない。ぶんぶんと首を横に振るケンジに、ラブマシーンは安心したように目を細めた。
「………っ」
その表情がいつかの彼のそれとまったく同じだったので、張りつめた糸が切れる様に、ケンジの涙腺は決壊した。
「ふっ…う、え…っ」
後から後から止まることなく流れる涙にケンジは自分を抑える事が出来なかった。無我夢中で手を伸ばして目の前の彼の首に抱きついた。言葉にならずただひたすら涙を零すケンジの背中に、初めは戸惑っていたラブマシーンの手が静かに回された。優しく触れる彼の手のひらを背中に感じて、ケンジはいっそう涙を零した。




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