「…つまりは、どう言う事なんですか?」
『ありきたりな質問なら、答える義務を放棄するぞ』
「義務じゃないです」
『あ?』
「…脅迫です…!」
ああ、こりゃ本気だ、と分かって、なお込み上げる笑いを抑える事が侘助には出来なかった。


あの後、ケンジは前後不覚になるくらいに泣き通した。ようやっと落ち着いて顔を上げるころには、瞼が腫れて大変な事になっていた。慌てて冷やすものを、と水で濡らしたタオルを持ってきてくれたラブマシーンに礼を言ってケンジは顔に当てた。
(…気持ちいい)
熱を持った瞼にその温度は丁度よかった。冷たいタオルの隙間からちらりと彼の様子を窺った。純粋に自分を心配しているのだろう、真剣な眼差しで彼が自分を見ている。その瞳にケンジの頬は赤く染まった。
(…っお、落ち着け、落ち着け…)
伏せた顔がタオルから上げる事が出来なくなりそうだと思ったケンジは、懸命に心を落ち着けようと深呼吸をした。
「…有難うございます、もう、大丈夫ですよ」
彼を安心させるために笑顔を見せる。まだ頬が赤いかもしれないとケンジは思ったが、彼がそれに気付かないでいてくれる事を願った。
(…だいじょうぶ?)
「ええ、大丈夫ですよ」
彼の言葉に繰り返しそう答えると、彼の身体が動いた。
(…よかった)
「(ってわあああああ!)…ラ、ラブマシーンさんっ!?」
心の中で悲鳴を上げてケンジは彼の名を呼んだ。ラブマシーンがケンジを思い切り抱き締めたのだ。動転して言葉が出てこないケンジの前に、ラブマシーンの背後からまたふきだしが現れた。
(侘助に聞いたんだ)
その言葉を目で確認したと同時にケンジの顔から色が抜けた。
「………き、聞いたって、何…を…?」
侘助から何を聞いたのか聞くのが怖かったが、ここで止まっても答えは得られない。免罪符が与えられるのか、その逆か、ケンジが覚悟してその先を待っていると、ふきだしがそれに答えた。
(嫉妬、だって)
「…え?」
何の事だ?とケンジが理解出来ないでいると、ラブマシーンがケンジを抱きしめる力を更に込めて続けた。
(昨日、アナタの夢を勝手に見たとき、アナタが夢の中で会っていた知らない誰かにワタシは嫉妬したのだと、侘助にそう教えてもらったんだ)
それから辞書で調べた、とラブマシーンは言った。
(自分が愛している人や、心を惹かれる人の愛情が他の人に向けられる事を恨み、憎む事だ、と書いてあった)
ラブマシーンの言葉がケンジにゆっくりと浸透していき、理解が及ぶ段階になって顔の熱が更に上がった。
「ラ、ラブマシーンさん。」
(まだ、よくわからないけれど、)
(たぶん、それが一番今の自分に当てはまる言葉なのだと、そう思った)
(それで、侘助が、)
「侘助さんが…?」
何故ここで彼の名前が出てくるのか、という疑問がケンジの中で浮かんだが、それを尋ねる前に彼が続けた言葉にケンジは固まった。
(『そんな形じゃ、何にも出来ないだろう』って言って、ワタシの身体をカスタマイズしてくれたんだ)
「は、」
(何も出来ないって、何をするのだろう?確かにこうしてアナタを抱きしめる事が出来る様になったのは嬉しいのだが、こういうことを侘助は言ったのか?)
「…………と、とりあえず、あの、お願いがあるのですが、」
(なに?)
「一度、離してくれませんか…?」
(…あ、ああ)
俄かに残念そうにラブマシーンの腕が外される。ふう、とケンジは息を吐いた。彼の話しから、大体の全容は見えた。後はこの現状を導いた彼に、問い詰めなけらばならない事がケンジの気を重くした。
「…朝ご飯、食べたら、侘助さんにいくつか質問があるので、彼と連絡を取ってもいいですか…?」
(侘助に?分かった)
「有難うございます」
後は相手がのらりくらりとかわすだろう質問を、どうやって投げ込んで且つ逃がさないように出来るのか、に頭を悩ませる事になった。
そして、冒頭の科白に戻る。
『どういう事も、こういう事も、ないと思うが?』
「…分かっているのでしょう、そんな答えは望んでいません」
『なんだ、何が悪い?俺はアイツの望みを叶えるための手助けをしただけだぞ』
「何が手助け、ですか?!何故こんなことしたんです、彼の姿は、ここでは目立ちすぎます!アナタだって、それを気遣って、彼の姿を子供のそれにしたのではなかったのですか?」
『俺は、な、ケンジ』
侘助が自分の名前を呼ぶ時は、ラブマシーンが傍にいない時だけだ。今、彼には別の部屋で待っていて貰っているから、今この場には、自分と侘助のみしかいない。
『アイツの身体は、どの道、元に戻すつもりだったんだぞ』
「え…」
『アイツを以前のあの身体に戻すには、ある条件が必要だったのさ』
「条件?」
『まあ、簡単だ。クイズの景品みたいなもんだ』
「ますます分からないのですが…」
『以前の、生まれたばかりのアイツに俺は言ったんだ。俺の出す問題に答えられたら、お前の好きなパーツを組み合わせて身体を作ってやるってな。お前と出会う前のアイツは初め実体が無かった。ただの情報の集合体みたいなもんだ。俺がアイツに知りたいって欲求を植え付ける上で、もっとも効果的だと踏んだのは、万物を対象に興味を持たせるって事だった。その興味をもっとも惹かせる形態として、俺は次々にクイズを作った。アイツにそれを答えさせ、それに見合う景品を渡してきたんだ。アイツは見事にそれに応えたさ。俺の想像を超えて、な。最終的には3つのアルゴリズム組み込んで完成した訳だがな』
「………………」
『俺がアイツに出した問題は全部で108問。その分アイツの身体を望むように弄ってやった。あの面のデザインは俺だ。中々いい趣味してるだろう?それで、だ、アイツの身体はそうやって、アイツ自身が自ら望んで作っていったものだった。つまりはアイツのアイデンティティそのものだ。だがアイツはそれらを一度全て放棄した』
「………っ」
過去の彼との記憶がケンジの中で蘇る。全てを差し出した彼の後姿が目の奥に映った。
『その為、今のアイツには過去の一切の記憶が無い訳だから、元だろうとなんだろうと、以前の身体に戻してやるには条件が必要だったんだ。それがアイツ自身の意思、だ』
「それじゃあ、彼は…」
『望んだんだよ。必要不可欠だった、ヤツ自身の意思ってやつで、な』
他でもないお前の為に、とは胸の内で呟いて、侘助はケンジに言った。
『淵ぎりぎりの所まで水が入ってる花瓶にいきなり花を突っ込んだら、当然水が溢れるだろう?だから俺は待っていたんだ。アイツが受け入れる器を大きくするまで、な』
「っで、でも、彼の姿は…」
『お前の心配はもっともだ』
一端そこで区切って、だがな、と侘助は続けた。
『どの道いつまでも隠し通せる訳でもない。それこそ奴にとっては何の意味もない。アイツは此処で存在すべき正当な権利を得た。そのアイツが何故隠れていなければならない?これからヤツがOZの中でこなしていく仕事は多くが人目につくようなものだろう。最初こそ中傷や妨害はあるだろうさ。だが、それでも此処がアイツの生きる場所なんだ。…乗り越えてかなきゃならんだろう?』
「…すみません」
『お前が謝ることじゃない』
「有難うございます」
『礼を言われる所でもないんだがな』
彼特有のあの笑い声が聞こえて、ケンジは肩の力を抜いた。
「…侘助さんは、ボクなんかよりもっと彼の事を考えているんですね」
『そりゃ、生みの親だからな』
子供の面倒を見るのは親として当たり前だろう?
『お前だってそうだろうが』
「…え?」
『自分を過小評価するなよ?そういう所は本当に健二君そっくりだな。…お前だってちゃんとアイツの事を考えてやってくれているだろう』
「…ボ、ボクは、」
『お前がいるから、アイツは消えずに済んだんだ。…有難うな』
「そんな、の、」
全然僕なんて役に立ってなんていないのに、とか、それこそお礼を言われるような事じゃない、等、ケンジは言いたかった。だが言葉にするより先に涙が零れてしまった。
『こら、泣くなよ、お前を泣かせたってヤツに知れたら…』
その瞬間、物凄い大きな音と共に扉が蹴破られた。はっとして二人が振り返ると、ケンジの背後の扉の入り口に拉げた扉の残骸と明らかに怒っている雰囲気のラブマシーンの姿が確認出来た。
『おっ前、物は壊すなよ…』
がくりと肩を落として侘助が声を零すと同時に、ケンジの身体はラブマシーンの腕の中に閉じ込められた。
(侘助…彼を泣かせたのか?)
その背後のふきだしの文字と、ラブマシーンの面をつけていても分かる憤怒の形相に、声がない分迫力が増して余計に怖い、と二人は思った。
『誤解するなよ、俺は泣かしてなんか…』
慌てて言葉を紡ぐ侘助を途中で遮ってケンジは言った。
「ラブマシーンさん、ボクはもう泣いていませんよ。そもそも最初から泣いていませんから」
(…そうなのか?いや、でも確かに…)
「気のせいです」
『そうだ、気のせいだ』
二人交互に畳みかけられ、ラブマシーンは言葉に詰まった。
(……そうなのか…)
「そうですよ、だから離して下さい」
ケンジがラブマシーンに向けてそう言うと、嫌だ、というふきだしが背後に浮かんだ。
(侘助がずっとアナタを占有していたんだ。ワタシもアナタを占有する)
「え…って、ちょ、っと待って下さ…!」
『おーい、お前ら、こんなところで盛んなよー』
気の抜けた侘助の声がケンジに更に追い打ちをかけた。
「侘助さん…?!何を言っているんですか!」
『何って…ナニ?』
(…ナニ?…ナニってなんだ?)
『何だ、知らんのか?あのな…』
「黙って下さい!二人とも!」
ケンジの叫び声があたりに響いたが、その場の二人を止める効力にはならなかった。



***



出来る事ならば、あの日に時間を戻して下さい


『どうして、ですか。何故、彼だけなんです…!』
『俺じゃない、決めたのは上の連中だ』
『そんな、それなら、ボクを!ボクの中には彼とリンクしていた時の記憶メモリが全部あります!これを差し出せば、あの人たちだって…!』
『それをな、アイツが拒んだんだ』
『…それって、どういう…』
『今は言えない。訳は後で…機会があったらな』
『侘助さん…!待って下さい…!』


伸ばした手をぼんやりと見上げてケンジは呟いた。
「…夢、だ……」
ベッドの中から自分の手を見つめて、あの日この手で掴もうとした何かを思い出そうとして、ケンジはもう一度目を瞑ろうとした。だが、扉の開く音がそれを遮った。寝た姿勢のまま視線を扉に向けると彼が立っていた。
(おはよう)

また、今日も一日が始まる。


***


あの日、ラブマシーンの姿が以前のそれに戻った翌日から、OZの管理棟の一番目立つ場所に一つのふきだしが上がった。それは今後のOZのセキュリティシステムに関する事項だった。目を留めた者はそこに書かれた内容に一様に目を剥いた。それには、OZのセキュリティに関する権限を一部譲渡する旨、その渡されるべき相手が、あのラブマシーンであると言う事だったのだ。そこに至るまでの経過、現状のラブマシーンの仕事内容など情報は多岐に渡り、最後にこう締めくくられていた。
『彼の今後の活躍を信じ、導き、そして見守る事を、此処に宣誓するものとする』
情報はすぐさま波に乗りOZ中に知れ渡った。反発をするもの、関心を示さないもの、何かの冗談なのではないかと言うもの、反応は様々だった。だが、そのふきだしが現れてから数多のアバター達が、ラブマシーンの姿を目撃するようになる。最初こそ、その姿を見るだけで逃げ出していたアバター達だったが、次第に彼の傍に近寄っていく者が増えてきた。彼は何も語らなかった。彼のその仕事に対しての誠実さ、有能さが知られるようになるまで、そう時間はかからなかった。



ラブマシーンは管理棟の真上でOZの世界を見つめていた。ここに居れば何処で何が起きたとしても直ぐに対応出来る、という理由で、彼は一日の大半をここで過ごしている。今、彼は彼独自のネットワークを張り巡らせながら、この仕事を任せられた時の事を思い返していた。
『外』で仕事をするようになると言われたあの日、侘助は自分にこう言ったのだ。
『お前の事をやっかみ、中傷を投げかけてくる奴が多くいるだろう。だがな、お前はそれに対して受け止めなきゃならない理由がある』
(…理由?)
『お前の知らない、以前のお前が此処にいた。そいつがこの世界でやらかした事件は多くの人間、アバターが目撃しているんだ。その事はお前は知らない。だが、知らないからとそれで通せる訳でもない』
(…ワタシが以前にやったこと…?それは何なんだ?)
『これは教えられても理解できるものではない。お前でもな、きっと納得がいかないと思う。お前にはアイツと同じある制限がかけられているからな』
(…彼と同じ…?)
『それを渡す事で、お前は俺達と取引をしたんだ』
(それは何だ?)
『教える事は出来ない。お前の中でそれに関する情報は全て、理解出来ないようロックがかけられているから、例え今俺がそれを教えたとしても、そしてお前がそれを見つけたとしても、知らずそれは無かった事にされる』
(どうしてだ)
『それも取引だったから、だ』


(ワタシは過去に一体何をやったのだろう…)
ここ最近のラブマシーンの思考を埋めていたのはその事だった。聞いても、調べてもそれが無かった事にされるのであれば、自分は今までもそれに触れる機会がいくらでもあった訳なのだろう。だが、それに気付く事は出来ない。以前の自分がした取引。そこにはきっと彼も関係しているとラブマシーンは考えている。
(きっと、それは間違いではない筈だ)
以前、彼の夢の中を覗いた時に見たあの光景が甦る。あの時見た彼の傍にいた今の自分にそっくりなあの人物は恐らく過去の自分だったのだろう。
(彼に聞いても、答えは同じだ)
調べる事は出来ない。手だてが無い。その閉塞感にラブマシーンは押しつぶされそうになっていた。だから、佇む彼の背後から何か話しかけられて、それに応えてしまったのは、ある意味無意識下の事であった。

「あんたはさ、まだアイツと一緒にいるのか?」
それを後で酷く後悔することになるとも知らず。


***


ケンジはラブマシーンが外で仕事をするようになってからは極力彼の傍にいないように努めていた。彼の仕事の邪魔になりたくなかったという理由と、後一つは己に関する事、この二つの為にだ。ラブマシーンがその存在をOZで認められるようになってきた事で、逆にケンジは自分の存在が曖昧になってきてしまった事に気付いていた。彼を見守り、傍にいる事。その為の努力はしてきたが、彼自身の自立の為にはそれは余計な事であるとケンジは考えた。今の彼には庇護は必要ない。寧ろ妨げになる。ケンジはその事を誰よりも早く自分自身で理解した。
「…分かっていた事なんですけど、ね」
ぽつりと口から零れた言葉の意味に眉をしかめてケンジは外に顔を向けた。
「…もう、時間が来たのかな」

この手を、離す日が来る事を、

「…ラブマシーンさん」

忘れた事はありませんでした。


***


「だから、さ、アイツだよ、アンタの傍にいるあの大きい耳のヤツ」
「そうそう、アイツ。アイツがアンタを唆したんじゃないのか?」
「あの時も、誰かの指図だったんじゃないの?」
口々に語りかけられているその内容が半分しか理解出来ない。彼らが指す“アイツ”とは、恐らく彼の事なのだろう。だが、他の言葉が理解出来ない。あの時とは、何の事だ?
(…すまない、意味が分からないのだが)
「あ、そうか、アンタ以前の記憶消去したって書いてあったっけ」
「それじゃあ分かんないよなあ」
「知りたい?以前のアンタにアイツが何をさせたのか?」
その問いにラブマシーンは頷いた。
侘助はひとつ言い漏らしていた事があった。ラブマシーンには、あの夏の事件に関する事柄は外部からの影響その他を受け付けないようにプロテクトが掛けられている。だが、それはあくまで“正しい”情報に関してのみに限られた。偽りを交えた客観的な憶測に関してはそれは削除対象にならない。彼が今までそれに気付かなかったのは、侘助が与えた彼の部屋に繋がるネットワークに、ラブマシーンに気付かれないよう侘助の防護用プロテクトが掛けられていたからだ。その為彼はケンジに、夏の事件に辿りつけなかっただけだった。また彼の周りはケンジと侘助、幾人かの研究者しかいなかった。彼は触れる事の出来る情報があまりに狭かった事を知らなかった。


***


扉が開く音がして、ケンジは振り返った。いつものようにおかえりなさいと声を掛けようとして固まった。彼の纏う空気が張り詰めている。何かあったのか、と尋ねようとしたが、その前にラブマシーンが動いた。
音もなくケンジの前に進んだ彼は、ケンジの目を見てこう聞いた。
(…アナタがワタシを唆して、この世界にあんな騒ぎを起こしたのか…?)
ケンジは一瞬何を聞かれているのか理解出来なかった。彼の目を見て、そして握られた大きな拳を見てから、ケンジは彼があの夏の事件を誰かから聞いてしまった事を知った。それも、どうやら自分に対して悪意のあるような情報であったらしい。ラブマシーンと違い、ケンジの事は一切が伏せられたままである。元マスターの健二の件に関しては、誤った情報であったと、謝罪の報道も成されていたが、ケンジにはそれがなかった。ケンジは自らマスターとのリンクを切ってしまった、所謂逸れアバターであり、OZの中では権限など一切ない。これまでケンジがラブマシーンと共に在れた理由は全てが彼の為、という大義名分があったからに他ならない。

…ああ、そうか、
「…アナタはそれを聞いて、どう思ったのですか?」
きっと、
(…分からない、分からないんだ。アナタがそんな事をワタシにさせたなんで信じられない、信じたくない…)
ボクの為に、
「…でも、アナタはそれを信じたんですね」
(…本当なのか…?)
「アナタの、思った通りですよ」
ケンジの言葉を聞いて大きく目を開けた彼にケンジは言った。
「今まで黙っていて、ごめんなさい」
そのまま動かなくなったラブマシーンの横をすり抜けてケンジは外に出た。

「これで、良かったんですよね」

見た事もない神様が、ボクの願いを叶えてくれたのだとそう思った。


***


『お前、なあ…。そこは否定しておけよ…』
「いいんです。彼がそう信じたのなら、それが正しいことなのだから」
『そうやって、逃げるのか?』
「逃げてなんて、いないですよ。ただ、もう時間なんだろうと思っていたから」
『お前…』
「これで良かったんです」
あの後ケンジは侘助の元へ向かった。彼には全てを知らせなくてはならなかった。一通り話を終えて、ケンジは侘助を見た。
「…怒らないで下さいね」
『誰に言ってやがんだ…』
苦く笑う侘助にケンジは笑って見せた。
「だいじょうぶ、ですよ」
侘助の深い溜息が聞こえる。些か申し訳なかったかな、とケンジは思ったが、彼の今までの件を考えてこれで帳消しにして貰おうと勝手に考えた。
『…それで、いつ』
「早いうちに、明日にでも」
『…少しだけ待ってくれるか』
「何か不都合な事でも?」
『ああ、…まあ、俺が直接関わる訳じゃないが、どうしても待ってもらいたい理由がある』
「…分かりました。いつまで待てばいいですか?」
『明日、明後日には連絡する。それまでは此処にいろ』
「分かりました」
そのまま終ったものだと通信を切ろうとしたケンジの耳に侘助の声が入ってきた。
『…ケンジ、』
「なんですか?」
『……なんでもないよ』
「侘助さん?」
『早く寝ろ』
そのまま一方的に切られた会話にケンジは首を傾げた。
彼は何か自分に言いたかった事があったのではないかと思ったが、結局その日にそれを聞く機会は訪れなかった。


***


夢を、見た。
彼がいて、
自分がいた。
それだけの夢だった。
それだけで、とても幸せだった。



『お前に会いたいって奴がいるんだ』
会ってやってくれないか、次の日に侘助にそう言われたケンジは、彼の指示のあった部屋で一人待っていた。
「誰ですか?」
『会えば分かるさ』
彼はそう言って自分には何も教えてくれなかった。
(…誰だろう、ボクに会いたいなんで言ってくれる人…)
その時静かにログインの音がして、ケンジは顔を上げた状態で固まった。
「…あ、あなた、は…」
『久しぶり、だね、…ケンジ』
そこにはあの日、自分からリンクを切ってしまった筈の元マスターである健二が、あの黄色の栗鼠の姿でそこに立っていた。
「どうして、ですか…」
茫然と口を開くケンジに健二は言った。
『侘助さんから、全部聞いたんだよ。君の事も、…彼の事も』
侘助が誰か言わなかった理由が分かった。健二が相手だと知っていたら、自分はきっと会おうとしなかっただろうから。
「ボクは、アナタに謝らなければならないんです」
きっとこれも何かの罰だとケンジは自分を納得させて健二に言った。
『…謝るって、何を?』
「ボクが、アナタとのリンクを勝手に切ってそのまま何も言わずアナタの元から去ってしまった事を」
その言葉に黙ってしまった健二にケンジは頭を下げた。
「本当にごめんなさい…今までずっとアナタの傍にボクはいたのに、酷い形でアナタを裏切ってしまいました。謝っても許して貰えないのは分かっています、どんな事でも甘んじて受けます」
『ちょ、ちょっと待って!』
ケンジの懺悔を、健二の大きな声が遮った。
『僕が今日君に会いに来たのは、そんな謝罪が欲しかった訳じゃないんだよ』
「…え…?」
『約束したって、聞いたんだ』
思い出すのは彼との最後。小さな彼が叫んだ精一杯の約束。
『僕と、ケンジと、君と、…彼と、4人で会おうって、約束』
覚えてる?と首を傾げられてケンジは言葉に詰まった。
忘れるわけがなかった。でもそれは自分は叶わないものだと諦めてしまっていた。
でも、君は違った。…諦めなかったのだ。
『ここに彼がいないのは、とても残念だけれど、仕事じゃ、しょうがないよね』
健二の顔がまともに見れなくなってケンジは困った。最近馬鹿みたいに涙が止まらなくなるのは、自分の身体が何処か壊れてしまったからではないかと本気で考えた。
「彼は、ケンジ君は、」
『絶対諦めてなんてやるもんかって、ね。凄かったよ、僕が手を出す前に侘助さんとコンタクトを取っていたなんて』
僕はマスターなのに知らなかったんだ、と複雑そうに健二は笑った。
『君との約束を絶対に守るって、頑張ったんだ』
「…ご、めんなさ…っ」
『本当はもうちょっと時間を空けたかったんだけど。無理やり早めて貰ったんだ。本当だったら、ケンジもこの場にいるはずだったんだけど、僕はそこまでの権限持ってないから、アバター同士のチャットに割り込む事は出来なかったんだ。それでケンジの身体そのまま借りてる。残念だけど、時間が無いみたいだったから……侘助さんに聞いたよ』
もう全部知っているのだとケンジは気付いた。零れる涙をそのままに健二の顔を見た。
「出来れば、知ってほしくなかったです」
『そう、言うと思ったよ』
だから来たんだ、とそう言われてしまっては、ケンジの逃げ場は無かった。
「分かっちゃうんですね」
『当たり前だよ、だって、君だってちゃんと僕だったんだから』
そう言って小さな手が自分の頬に流れる涙を優しく拭ってくれた。


「…今日は有難うございました」
『僕こそ、楽しかったよ』
あれから二人で色々な話をした。お互いの近況から、ケンジと、キングカズマの事も、陣内家の面々の事も色々と。時間はあっという間に過ぎて、もう別れの時間が差し迫っている事に健二は気付いた。
『…もう、帰らなきゃいけないけれど、』
「…マスター?」
『君にまたそう言って貰える事がとても嬉しいよ』
だから、と健二は続けた。
『また、絶対にまた、会おう。今度はちゃんと4人で、誰一人欠けることなく』
その言葉にケンジは息が止まった。健二は全て知っているはずで、それでもなお、自分に言ってくれているのだ。
『その時はひょっとしてもっと人数が増えているかもしれないけれどね。…約束だよ、ケンジ』
自分の返事は聞かず、健二はケンジの目を見てその後ログアウトした。



「…どうして、かなあ…」
諦めようとする自分を掬いあげようとしてくれる手がある。
「どうして、かなあ…っ」
自分の存在を認めてくれる人がいる。
「……どうして…っ」
その事にこんなに胸が押しつぶされそうになる。
「……っ」
でも一番に自分を認めてほしかった人は、もうその手を自分から離してしまった。
これが最後だ、とケンジは泣いた。
彼を想って泣くのは、これが最後だ、と。


***



『お前、こんなところで何してやがんだ』
(…侘助…)
『鬱陶しいから、そんな陰気な顔すんのはやめろ。なんだ、何があった?』
(…彼から聞いていないのか…?)
『どの彼だよ』
(…知っているのだろう…)
『それを知っていたとして、それで何だ』
(何だ、とは、)
『お前はどうしたいんだ』
その答えを、
(………分からない)
自分は求めている。

(彼がいない)
『そりゃあ、お前が追い出しておいて、いないもクソもないだろうが』
(そんなつもりで聞いた訳じゃない…!)
『じゃあどんなつもりだったんだよ』
(…分からない)
『さっきからそればっかりだな、分からないって、それでなんだよ、お前は何をしたいんだ?』
(…何、を?)
『アイツがいなくなって、それでお前はどうしたいんだ』
ラブマシーンが目を開いて侘助を見た。
(…ずっと、考えていたんだ)
『答えは出たのか?』
当たり前に傍にいた彼。
どんな時も自分を見ていてくれた彼。
手のぬくもりがあたたかいという事を教えてくれた彼。
何も知らない自分を導いてくれた彼。
(…侘助に以前言われた言葉を、ワタシは何処かに落としてしまっていたんだ)

『アイツを疑うな』

(………もう、落としたくない)
『…気付くのが遅いんだよ、お前は…』
(侘助?)
『…アイツはな、』

今日、『消去』される。

(な、……)
余りの事に言葉が出ないラブマシーンに、侘助は淡々と続けた。
『ある条件が満たされると、アイツの中で、あるプログラムが実行されるようになっている』
(…何の条件だ )
『存在の否定、さ。アイツの存在はそもそも通常では有り得ない。アバターであるアイツがマスターという絶対主を無しに存在するのは色々無理があるんだ。その為に俺が無理やりつくったプログラムを埋め込んだ。だがそれにも条件が要る。俺はその条件が簡単には破棄されないようなヤツを選んだ筈だった。
…特定の誰かに存在を認められる事。それが消失した場合、アイツの存在は自ら消える様、自身がそれを実行するよう設定してある。それ以上は、恐らく無理だからだ』
(…まさか…)
『…分かったか、ラブマシーン、お前の意思でアイツは生かされていた』
(…何故だ…?何故ワタシを…)
『それ以外アイツを生かす道が無いって言った時、お前がそうしろって言ったんだ』
見え隠れする過去の自分。
彼を、自らの元へ連れて行こうとしているのか?
(どうすれば、いい…)
『お前はどうしたい』
静かなその言葉に、ラブマシーンの中である意思が生まれた。純粋な誰にも譲る事の出来ない絶対的な決意。
(…彼を、もう、二度と、離したくはない…!)

それがきっと、最初から自分が持っていた答えだった。

『本当に、お前は気付くのが遅いよ』
場違いなくらいに朗らかに笑われてラブマシーンは戸惑った。
(侘助…?)
『アイツの消去プログラムの解除用コード、俺が作っていないとでも思ったか?』
その声は、自分には正に天啓だった。


***


『そのまま、そこで待機していなさい』
「はい」
ケンジは今OZの中心の更に奥、研究機関が主に活動している場所の一角にいた。
結局どうしたって、自分にはこの道しか選べなかった。
ケンジは自分の手を見た。そこにいつかの彼の温度を思い出そうとして失敗した。
「…約束、守れなかったな…」
健二とケンジの二人に『ごめんなさい』を言えなかった事だけが、心残りだった。


***


その日OZの管理棟近くにいた者は普段は出さないようなスピードでOZの管理棟内部を風の様に突きぬけていく一つの影を見ただろう。またその影を見たとしても、その正体まで気付けたものは何人もいなかったに違いない。
ラブマシーンは急いでいた。時間が無い事は侘助に聞いている。後は自分次第だと言われた。

『アイツの解除コードはな、お前が持っている』
(ワタシが……?)
『簡単なようで、難しいがな』
(それは、何だ?)
『声と、名前だ』
分からない、と焦る自分に侘助は言った。
『お前が呼んでやるんだ。アイツの名前を』
(だが、ワタシには声は無い、彼の名前だって、自分は知らないのだ)
『お前の中に消されずに残っている記憶がある。それを紐解くのは簡単な事じゃないだろうがな、こればかりは俺が教えても意味が無い。お前が思い出さないといけないからだ。…声はな、以前のお前が差し出した事になっているが、本当はそれは嘘だ。喋れないよう、お前のプログラムにちょっとした負荷をかけているだけなんだ』
(…どうしてだ?)
『そうでもしなきゃ納得できないお偉方がわんさかいたのさ』
だから、
『呼んでやれ、お前の声でアイツの名前を。それが解除コードだ』


だが、今こうして彼を必死で探している間に思い出そうとしても、何かの意思が働いているのではないかと勘繰るくらい彼の名前を思い出す事が出来ない。時間が無い事と未だ彼を探し出せない事に余計焦りが生まれる。ラブマシーンは逸る気持ちを抑え必死に探した。彼の姿を。
その時、目の前に以前見た事のあるアバターの姿を見つけた。懸命に自分に向かって何かを叫んでいるように見える。傍に寄ってみるとそれは黄色い、恐らく栗鼠のアバターだった。
「あの人を探しているんでしょう?」
(知っているのか?)
何故、と疑問に思う前に口が勝手に開いた。
「ボクの友達が教えてくれました。ここから行けます!」
そう言って彼が一歩引いたところに周りからは気付かれないような入口があった。
(すまない!)
「ちゃんと連れて帰って来てください!」
お願いします!という声を背後に聞いて、ラブマシーンはその入り口に飛び込んだ。




『時間です』
静かな声が辺りに響いた。
ケンジは手の中に握っていたあるものを取り出した。それは侘助から以前に渡されたものだった。
(『…最後にこれをお前に渡しておく』)
それは侘助が作った、ケンジの中の記憶、存在全てを無にする為のプログラムが入ったカプセルだった。これを飲めば自分は消える。後の後始末は侘助がやってくれるだろう。心配することは何もない。
頭の片隅で彼の姿がちらりと浮かんだが、それを抑え込むようにケンジはカプセルを飲みこもうと口を開けた。
その瞬間、轟音が辺りに響いた。
『何だ!?』
周りのざわめきの中で、ケンジの目がある一点を見つめる。
「…ラブマシーンさん…!」
それはラブマシーンだった。さっきの轟音は彼がその手で入口を壊した音だった。
ケンジは慌てて彼の傍に行こうとして途中で遮られた。ラブマシーンもそれに気付く。二人の間にはガラスの壁があり、そこから先に行く事が出来なかった。
彼のふきだしが浮かぶ。
(許して貰えなくても構わない)
(どうかここに来た事を、)
(アナタが認めてくれるのなら、)
(どうか、)
ガラスに手をつけてケンジは笑った。彼に向って。
「許すも、許さないも、」
そんな事、どうでもよかった。
「ラブマシーンさん、最期に聞いて貰えます…?」
彼の動きが止まった。ガラスを破ろうと打ちつけていた手を止めてケンジを見る。ケンジの口が開いた。


「アナタが、好きです」


その音をラブマシーンが拾ったと同時に、ケンジの手が素早く動いてカプセルを飲み込んだ。







「ケンジ…っ!」









彼が自分を呼ぶ声を微かに聞いて、ケンジの視界は閉じられた。











***



「…それで、二人は今どうしているんですか?」
「ああ、ケンジは今家に軟禁してある。アイツがぴったり傍を離れないでくっついてるから大丈夫だ」
「…思えば随分酷い事、してませんか?」
「ああ?何が酷いって?」
「ケンジが飲み込んだカプセルの事ですよ」
「ああ、ありゃ嘘だ」
「は?」
「あれは何の効果もないただのカプセルだよ、中に何か入っているわけでもない」
「………開いた口が塞がりません」
「こうでもしなきゃ、あいつら分からないだろうからな」
「何をですか」
「分からないか?」
「…やっぱり侘助さんは侘助さんですね」
「シシシ、褒め言葉として受け取っておこうか」
「…これから、どうなるんでしょうか」
「『愛されないということは不運であり、愛さないということは不幸である』、アルベール・カミュ」
「え?」
「恋愛するなら、気のきいた言葉の一つでも言える様にならないと、夏希に呆れられるぞ、婿殿?」
「わわわ侘助さんっ!」
「大丈夫さ」
「あいつらもこれで懲りただろうしな?」

そう言って侘助はいつもの顔で笑ったのだ。














………………
(初出091101 再録本収録100813)サイト掲載120711

…ラブケン三部作(笑)の最初の話。
ラブケンの可能性を模索していた当時の私のふりきれっぷりがすごい。
溢れんばかりの愛を込めすぎてまとめ切れずに苦悶していたのが懐かしい。
初めて書いた長い話なので色々残念なところもありますが、読んで下さって有難うございました。
あと二本続きます。

 








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -