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White Day【加筆訂正版】その1


 二〇〇〇年三月八日(水)一一三〇時。
 悪夢のような第三次防衛戦勃発から、一年が過ぎた。
 尚敬高校、その一角に間借りする五一二一小隊プレハブ校舎は、相変わらずどうにか崩壊することもなく小隊の基地として活用されていたが、良く見ると、その雰囲気は以前といささか趣をことにしているようにも思える。
 と、プレハブ校舎の一角、一組教室と呼ばれるあたりで何かをたたく音と叫びが聞こえた。
 教室の中へと目を転じると、滝川が頭に手をやってしきりにさすっている。その前に立つ本田が、あきれたような表情を浮かべていた。
「滝川、授業中に堂々と寝るとは、まったくオメーもいい度胸してやがるな、ええ? これでちったぁ目も覚めただろ」
「ってぇ〜……、先生、だからって、いくらなんでも出席簿の角はないっすよぉ」
「何を言ってんだか。そういう台詞はな、もちっとしゃんとしてから言いやがれ。おら、続きを行くぞ?」
 一見、どこにでもあるなんでもない授業風景だが、だからこそどこか違和感があった。かつては普通の授業においても、どことなく張り詰めた一種の緊張感が見え隠れしていたものだが、今は完全にとは言わないが、ほとんどきれいに拭い去られてしまっている。
 やがて、柔らかなチャイムの音が響き、本田は教科書を閉じると一同を見渡した。
「おし、んじゃ、今日はここまで。明日はこの続きからやるから、教科書に目を通しておけよ」
『は〜い』
「それと、午後はいつものとおり出撃だ。今日は菊池市中心部。ちっと時間がかかるから、早めに準備しておくように」
『は〜い』
 どことなく気の抜けた一同の返事に、本田はかすかに苦笑を浮かべた。
 ――なーんか、すっかり気が抜けちまってんな。ちっと気合を入れっか?
 一瞬そんなことを考えもしたが、あくまでそれは思考の一隅に一瞬ひらめいただけであり、なんら行動に移されることはなかった。以前ならいざしらず、今はむやみに彼らにサブマシンガンをお見舞いすることもめったになくなっていた。
 ……そもそも、そんなものを出すな、という話もないではないが。
「オメーら、ぐーたらして怪我でもすんじゃねえぞ?」
『は〜い』
 だから、実際に行動に移したのはこの程度であり、それで十分でもあった。
 やがて小隊の面々は階下へと降りて行き、それぞれに軽く腹ごしらえを済ませるとロッカールームへと向かった。そこで彼らはウォードレス――には着替えず、自衛軍お下がりの、あるいはそこらの工事現場でよく見かけるような作業衣に身を包み、午後の予鈴が鳴る頃には、再びプレハブ校舎前に集合していた。
「司令、五一二一小隊総勢二一名、全員揃いました」
 若宮の申告に、小隊司令たる善行は小さくうなずくと、一同に視線を向けた。
「それでは、これより菊池市に向けて出撃します。本日の作業は道路の補修ならびに周辺建築物の補修、作業時間は本日一九〇〇時までを予定しています」
 メンバーの何人かがわずかに、あるいはもっと盛大に眉をしかめて見せたが、表立って何か言う者はいなかった。善行は何事もなかったかのように言葉を継いだ。
「作業手順は通常規定のとおり。事前に良く確認しておくように。周囲の安全に十分留意してください」
 作業衣に安全靴、五一二一とステンシルされたヘルメットといういで立ちの善行は、小隊司令というよりは、どこかの工事現場の所長といったほうがふさわしかった。もっともそれは今並んでいる小隊の面々も似たようなものであり、一見したところでは、これが生徒会連合九州軍の最精鋭戦闘部隊とはとても見えなかった。
「それでは若宮戦士、頼みます」
「はっ。……安全唱和!!」
 がなるような若宮の声に、一同すばやく自分の服装を確かめると背筋を伸ばす。若宮は一同を見回し、頃合いをはかり、そして再び口を開いた。
「ヘルメット!」『よし!』
「あごひも!」『よし!』
「服装!」『よし!』
「安全帯!」『よし!』
「足元!」『よし!』
 全員の唱和が続く中、若宮が締めの言葉を放った。
「本日の作業も、ご安全に!」『ご安全に!』
「五一二一小隊、出撃」 
 いつもの儀式が終わったところで善行が軽く手を振ると、彼らは一斉にハンガーにむかって駆け出した。やがて複数のエンジン音が聞こえ、裏門から複数の車両が現れたが、やはり先ほどと同じようにいささか違和感は拭えない。
 これもかつて見慣れた光景といえばそうだが、先頭の指揮車を除けばそうともいえなかった。後に続く一〇トントラックやトレーラーには士魂号ならぬ数々の建設重機が搭載されており、それらにもしっかりと五一二一の文字がステンシルされている。
 やがて彼らは砂埃だけを残し、ゆっくりとした速度で町の向こうへと姿を消した。

 熊本は今、平和だった。
 そう言って悪ければ、平和へつながる階梯を一段一段着実に上りはじめた、と言い換えてもいい。
 少なくとも無辜の市民がなんの理由もなく財産と人生を奪われたり、年端も行かぬ少年少女が戦場に引き出され、陽炎よりもはかなくその命を散らすといった光景は、少しずつ過去のものとなり始めていた。
 こうなった経緯には、少々説明が必要かもしれない。
 一九九九年四月二七日に九州、いや、世界のほとんどの者が知らぬうちに行われた人類と幻獣との最終決戦。五一二一小隊や尚敬高校の女生徒たちだけが見守ったこの戦いに、速水と舞が操る士魂号複座型がからくも勝利を収め、かの者を赦しえた結果、すべての戦いは鉈で断ち切ったように終結していた。
 突如として訪れた「平和」を、当初ほとんどの人は信じる事ができなかった。
 その日から幻獣の活動は一切なくなったのだが、自然休戦期にはまだ間があったことから、それは幻獣の一時的後退、あるいは停滞とみなされ、通常と変わらぬ警戒態勢のまま人類は自然休戦期に――実際にはもう、そんなものはなくなっていたのだが――突入した。
 皆が異変に気がついたのは実に三ヵ月後、いつもなら休戦期が終わる九月のことだった。休戦期は終了したはずなのに幻獣の活動らしいものがまったく観測されず、それが二日から三日、やがては十日になるにつれ、人々の間にもしや、という疑念と期待が生まれた。
 泳げぬ者が水中に入る時のように、おずおずとした調子で九州中部戦線全域の調査が行われ、その範囲が徐々に九州全土、そして海外へと広げられていき――
 少なくともアジア・極東方面において幻獣が消滅した事実が確認されたのは、まもなく一〇月に入ろうか、という頃であった。
 当然のことながら、一般市民から政府にいたるまで、なぜこうなったのか理由はまったく分からなかった。かの「決戦」を戦い抜いた当人たち、そしてその戦いを目に収めることのできた者たちが一様にその事実を語ろうとしなかったのだから無理もない。
 噂の形で事実を知った何人かが当事者たちから真相を知ろうとしたらしいが、その試みはことごとく失敗していた。
「話しても理解してはくれまいし、この戦いはむやみに語っていいものではない」
 と、事情を聞かれたある者は答えたという。
 ともかく、真相はまったく分からぬながら、死の恐怖と戦いから逃れる事ができた、ということがようやく認識した人々の反応はすさまじく、まるで今までの鬱憤を晴らすかのようなお祭り騒ぎが繰り広げられ、ことに学兵や自衛軍の残存部隊はまるで英雄のような扱いを受けた。
もっとも、自分たちの力で平和を勝ち取ったわけではない彼らは、それに素直に和する事はできなかった。
 彼らは確かに市民を守るために戦ったが、その戦いのほとんどは敗北と後退の繰り返しだったし、なぜこうなったのか理由が分からないのは一緒であった。
 特に学兵にしてみれば、誰が自分たちを戦地に送り込んだかを忘れてはいなかったから、政府が誇らしげに人類の勝利と学兵達を褒め称えるコメントを発表した時など、ほとんどの者は殺意に近い嫌悪感を抱いていたと言われている。
 もっとも、その時に併せて功労金と休暇が全軍に対して支給されることになったのだが、それを断る者もまたほとんどいなかった。
 彼ら・彼女らはこの二ヶ月で充分現実的な物の見方を覚えさせられたのだと言っていいだろう。
 ともかく、祭りの時間が終わりを告げれば、現実は否応なしに戻ってくる。我にかえってみれば、前途は多難というのも莫迦莫迦しいほどに問題が山積していた。
 幻獣の脅威は去ったものの、その爪痕はいまだに厳然と残っていた。特に主戦場となった九州中北部、完全に幻獣の制圧下に置かれた九州南部においては、復興を始めようにも市民は離散しインフラは完全に破壊され、一体どこから手をつけたらいいのか見当もつかないほどである。
 それでも人間については、一度は疎開した市民が帰ってくる事である程度補いはついたものの、やがてあらゆる面においての物資不足・設備の不備が目につくようになってきた。
市民たちの自助努力はたいしたものであったが、それでもいかんせん個人の力には限界がある。企業も次々と打ち出される復興計画に参画してはいるが、それだけではとても追いつかない。今必要なのは組織され、技術を持った労働力と資材であった。
 そのうち資材は、各地の廃墟から回収された廃材を、軍需用の生産から徐々に転換が開始された工場群で再生することである程度目処が立ったが、人間の方はそういうわけにいかなかった。
 結局、再び学兵たちに目がむけられ、彼らに武器の代わりに再建用の装備と資材を与え、とりあえずの復興が完了するまで引き続き徴用を続ける事にしたのだ。
 かくして、銃をつるはしに持ち替えた学兵たちは、戦時に倍する勢いで東奔西走、新たなる「戦い」に投入される事になったのだった。
 そして、それからほぼ五ヶ月が過ぎた――

   ***

 既に日はとっぷりと暮れ、あたりは宵闇の気配に包まれていた。星たちが東の空でいくつか輝き始めている。
 しんと静まり返っていたハンガーに動きが生まれた。作業に出ていた車両群が次々戻り、車両整備用に改装された整備台についていく。一時の混雑と喧噪がおさまると、ハンガー内にほっとした空気が広がった。
 ひところは戦闘出撃よりきついと言われた復興作業も最近は一段落し、深夜までおよぶような作業はほとんどない。仮にあったとしても、幻獣を相手に戦うよりははるかにましであったから、そのことについての文句はほとんど出なかった。
 それよりも、復興が完了に近づくにつれ、そろそろこの小隊も解散・全員除隊になるのではないかという噂もちらほらと流れ始め、そちらの方が皆の気分をよほど騒がせていた。
 もっとも、整備台にいる速水・舞の両名にとっては、それはたいした問題ではないのかもしれない。彼らは小隊配備のブルドーザー――民間会社の中古放出品だ――の整備を滞りなく済ませようとしていた。一部に発生していた不具合は修復できたが、それには少々時間が必要だった。すべてが終わる頃には、周囲には誰も残っていなかった。
「全点検項目異常なし、と……。舞、そっちはどう?」
 油で汚れた手をぬぐいながら訊ねると、エンジン関係を見ていた舞が、
「少し待て……。よし、OKだ」
 整備パネルを閉じながら、満足そうな笑みと共に答えた。
「じゃ、作業完了っと……。この小隊も、なんだかすっかり施設科みたいになっちゃったね。みんな板についてきたというか、なんと言うか……」
 タオルを渡しながら、思わず苦笑がもれる。
 確かに周囲を見回せば、ブルドーザーにパワーショベル、ロードローラーにバックホー、奥にはラフタークレーンまである。施設科というよりはちょっとした建設会社といったほうが正しいかもしれない。
「まあ、そうだな。だがろくに訓練も受けない者を戦場に駆り立てていた、あの頃に比べればだいぶマシであろう」
 同じく手をぬぐいつつ、舞が答えた。すでに自分たちがヴェテランの兵士扱いされていることにはあえて言及しない。
「……そうだね」
 自分たちも含め、下手をすると労働基準法に引っかかりそうな子供たちまで働かせているという事実はこの際無視されていた。少なくとも明日の命も知れないということはないし、復興自体が急務であることに変わりはなく、人手は足りない。言っても仕方のないことというのは、確かに存在するのだ。
「それより、もう片付けは済んだのか?」
「うん、大丈夫。……あ、そうだ。舞、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「なんだ? 手短に言うがよい」
 舞は工具を元に戻しながら、顔も上げずに先を促した。
「実は……」

   ***

「なんだと? もう一度言ってみろ」
 舞はおもむろに顔を上げると、速水をじろりと睨んだ。その気迫に多少気おされたようだが、速水は笑顔を絶やさないまま最初から繰り返した。
「う、うん。だから、今度の日曜に遊びに行かない? ってことなんだけど。……一四日にはちょっと早いけど」
「一四日?」
 舞はしばし考え込み――はっとした表情を浮かべた。唐突に何か気がついたらしい。
「そ、そそそそそれはつまり、もしや、あの……」
 いつの間にやら彼女の顔には赤みがさし、声がいささか上ずってきている。発汗機能まで調子が狂ったのか、しきりに手の甲で額の汗をぬぐっていた。わずかに残っていた油が変な文様を描いたが、それにも気づいていない。
「うん、ホワイトデーのプレゼント、ってことで、なんだけど。……どうかな?」

 ことの起こりは約一ヶ月前。
 二月一四日。言わずと知れたバレンタインデーであるが、この日、速水は初めて舞からチョコレートをもらったのだ。
 誰に教えてもらったのかは知らないが、おそらくは手作りであろう、少々いびつなハート型をしたチョコレートに、これまた何度もやり直した跡が歴然としたラッピングを施されたそれを、舞は戦場に突撃するがごとくの勢いで突っ込んできたかと思うと、いささか乱暴に速水に手渡した。
 そのときのショックで更にいびつになったという説もあったが、そんなことなど速水にとってはどうでもよかった。
 他に懸絶する技能「天才」を持ちつつも、こと家事になるとからっきしな彼女が、彼のために慣れない腕をふるい、この難題に取り組んだことが分かったからだ。
 最近はかなり改善されたとはいえ、菓子作りは普段なかなか挑戦できるわけでもない。結果、多大な材料と膨大な時間、そして数限りない失敗と試行錯誤が存在したであろう事は想像に難くない。それは手渡すときに見た舞の手――ここしばらくでようやく見ることのなくなっていた、数多くのバンソウコウや火傷の跡――を見るだけでも明らかだった。
 付き合い始めてから一年近くが経ち、当たり前のようにお互いの家に泊まりあうような仲だというのに、いまだに人前ではそのような素振りすら見せず、手をつなぐ事すらよしとしない彼女が、一体どれだけの勇気と決意をもってこの行動に及んだのか……。
 速水は舞が不器用ながらも示してくれた愛情に、心が温かいものに満たされるのを感じていた。
 ……ただし、それが昂じたあまり思わず抱きしめてしまい、アッパーを食らったのはまったくもって自業自得である。
 それはともかく、かくも貴重な想いを見せてもらったからには、なんとか彼女の努力に応えてあげたかった。
 かくしてホワイトデーのお返しを考え始めた速水だったが、そこまで思考を進めてからはた、と考え込んでしまった。
 自慢ではないが、速水は結構家事が得意である。いや、得意になったというべきかもしれないが、それはさておき。
 その中でもお菓子作りはサンドイッチ作りと並んでかなりの腕前を持っており、キャンディだろうがクッキーだろうがホワイトデーで必要とされる菓子ならばさして苦もなく作り上げてしまう。それも市販品にも負けない程度のものを、だ。
 だが、それではおさまらないのは舞である。ただでさえ普段から速水の料理にはいわれのない(こともない)コンプレックスを抱いており、そのようなものを渡せばまた一悶着起こりそうなのは目に見えている。舞にとって家事の克服は、相変わらず最重要課題であると同時に最難関でもあるのだ。
 だからといってわざと手を抜いたり、市販品を渡したりしてもたいして結果は変わらない。いや、むしろより悪くなる可能性のほうが高かった。
 恋人として付き合っていくなかで、舞は速水の腕前は嫌というほど熟知している。そんな小細工などすぐに見破ってしまうし、第一そんな物は速水のほうが渡す気がしなかった。
「となると、どうしようかなあ?」
 あまり困っているようには聞こえない声をあげながら、速水はなおも思考を進める。実際、口元は笑っていたのだから何をかいわんや、である。
 どうせプレゼントをするのなら気持ちよく受け取ってもらいたかったので、彼はその点について考えに考えた。そしてたどり着いた結論が「プレゼントはやめて、一緒に遊びに行こう」というものだった。
 形に残るものだけがプレゼントではないのだ。
 あいにく一四日は休日ではないが、その直前(一二日)が日曜であることだし、実行するにさして問題はない。
 一応の結論を出した速水は、さっそく行動に移した、とまあこういうわけであった。

「ホ、ホワイトディ……か」
 舞はそう言ったきり、赤くなった顔を俯かせる。よくは見えないが、額には深いしわが刻まれているようだ。
 予想外の沈黙という反応に、速水は困惑するしかなかった。人前であるからさすがに諸手をあげて喜ぶような姿は見せないだろうが、もうすこしこう、明るい返答を期待していたのも確かである。
 なにか地雷でも踏んでしまったのか。その思いが彼をして矢継ぎ早に言葉を繰り出させた。
「そ、そう。本当なら何かお返しするのが普通だろうけど、たまには、たまにはこういうのもいいんじゃないかなって思ってさ、それで……」
「もうよい!」
 どこか行きたいところがあれば……。と続くはずだった台詞は、突然の大声で断ち切られた。
 ――やっぱり、気に入らなかったのかな? それともいささか気を回しすぎたかなあ?
 脳裏の隅でそんなことをちらりと考えつつ、速水は呆然と立ちすくんでいた。ついでに、この後訪れるであろう自らの被害レベルをすばやく算出し、脳内電話帳で一番近い救急病院の電話番号を確かめる。
 だが意外なことに、舞は自分が大声を出したことに驚いたのか、ばつの悪そうな表情を浮かべているではないか。
「あ、いや、その……。すまぬ。怒鳴るつもりはなかったのだ。まあ、そのように長々と言葉を継がんでも大体のところは分かった。……で、どうすればよいのだ?」
 最後の問いは、蚊の鳴くような声だった。
「え?」
 思わず間抜けな声をあげる速水。それには構わず舞は言葉を続ける。
「いや、私が小耳に挟んだところでは、ホワイトディなる日には男性が女性に菓子を手渡すものだと聞いていたので少々驚いたのだ。そのようなやり方があるとは勉強不足であった。許すがよい」
 どうやら、今回は珍しく正解に近い知識を仕入れていたようだが、それが彼の提案と合わなかったので必死に整合性を取っていたらしい。
 ――ホント、こういうことになると応用力ってどっかにいっちゃうんだねー。
 ともあれ、最悪の事態は回避できたようだ。速水が安堵しているのに気がついたかどうか、舞は重ねて質問を放った。
「で、わ、私は、ど、どのようなことをすればよいのだ?」
 声が面白いくらいに裏返っている。そのまま放っておいたら爆発しそうな舞に、速水は安心させるような笑みを浮かべ、中断させられた提案を繰り返した。
「あ、うん。もしどこか行きたい所があったら聞いておきたいな、と思ってね」
「ふむ、つまり目的地と旅程の選定を行えばよいわけだな?」
「旅、旅程……。う、うん、まあ、そういうことかな」
 ――どこまで行くつもりなんだろう?
 ちらりとそんな事を考えたが、顔には出さなかった。
 賢明な判断といえる。
「ふむ、よかろう! まかせるがよい!」
 なんだかいつもより、その瞳にも全身にも、やけに気合が入っているように速水には感じられた。
「そなたの心遣いに感謝を。それを無にせぬためにも、私は完璧なる旅程を作成してみせよう! ゆえに、この回答についてはしばし待つがよい」
 燃えている。
 はっきり言ってなんだか見当違いの方向に燃えている気もしなくもないが、この降ってわいたような事態に、舞は明らかにどこかのスイッチを刺激されたようであった。
「そ、そう? じゃ、決まったら教えてね?」
 あまりの意気込みように、速水のほうがかえってちょっと腰が引けている。言った側がそんなことでそうするともいえるが、今の舞を見れば無理もないかも知れぬ。
「無論だ! そうと決まればこうしてはおれん。すまぬが先に帰るぞ!」
「え? ちょっと、舞?」
 突然の行動についていけず、速水が呼び止めようとしたときには、舞は既に彼方へと駆け出した後であった。
 一体、どこへ行くつもりなのやら。
「舞っ!? あの、準備もあるからなるべく早めに……。って、ああ、行っちゃった……。舞ってば、晩御飯一緒に食べようって約束したのに……」
 これはいわゆる「すっぽかし」というやつらしい。速水は、ちょっぴり不機嫌なままコンソールにカバーをかけ、ひとり寂しくその場を後にした。
 そのせいか、誰もいないはずのハンガーに人の気配があったことには、ついぞ気がつかなかったようだ。
 気配はなおもしばらくその場に残っていたが、やがてふい、と姿を消し、本当の静寂が訪れた。

 まったく余談ながら、その夜、速水の声らしき遠吠えが尚敬高校に響いたとか響かなかったとか。


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