木々が美しく色付き始めた頃。学食の帰りにスポーツクラスと特進クラスとを結ぶ廊下を歩いていた時、偶然見かけたユキヒロの姿に俺は我が目を疑った。
以前の優しげで柔らかい表情は鳴りを潜め、俯き周囲に怯えるような視線をさまよわせている。少し窶れた顔と赤く腫れた目元が痛々しく、白い肌は血色を失い青白い。それでも俺の姿を認めると気丈にもあの笑顔を作ろうとする姿に居ても立っても居られなくなった俺はユキヒロの元へ駆け寄った。
この短期間に一体なにがあったと言うのだろう。

「ユキヒロ…」

「あ…久しぶり」

ほんの数週間前に出会った時は逃げ出してしまったというのに、俺は意外な程あっさりとユキヒロの名を呼ぶことができた。
以前と変わらないはずユキヒロの嬉しそうな顔はどこか陰を帯びていて、痛々しい。赤く腫れた瞼から伸びる睫毛が小さく揺れていた。

「酷い顔してどうしたんだお前…。何かあったのか?」

「そんなに酷いかな…何でもないよ。ちょっと最近眠れなくって」

ユキヒロは咄嗟に伏し目がちになり、俺とは目を合わせずに歯切れの悪い返事をする。

―――嘘を吐いている。

あからさまに人と目を合わさずに話す時、ユキヒロは決まって嘘を吐いていることを俺は思いだした。
ユキヒロに拒絶された気がして、俺は言葉で言い表せない蟠りが胸に渦巻いていくのを感じた。ユキヒロから勝手に離れていったのは俺なのに、心のどこかでユキヒロはまだ俺のことを全面的に信頼しきっていると思っていたのかもしれない。

そうだ。ユキヒロだってもう俺の事なんか吹っ切って違う交友関係を築いているはずなんだから、今更俺が心配するのは余計なお世話なんじゃないのか?本人が眠れないだけだって言っているんだし……でも、寝不足ってだけで泣き腫らしたような真っ赤な目元になるんだろうか。ただの寝不足なら何であんなに怯えたような顔をしていたんだ?ああ、でも今になって俺がユキヒロに干渉するのは迷惑かもしれない。

頭の中で様々な考えがせめぎ合う。
今まで放っておいても平気だったはずなのにどうしてだろう。ユキヒロの言葉を信じてそっとしておいた方が良いはずなのに、久しぶりに見たその顔が俺の中の罪悪感を駆り立てた。新しい友人に囲まれた俺を遠くから見つめるユキヒロの悲しげな笑顔がフラッシュバックする。

“苛められたりしたら守ってやろう”

忘れたはずの思いが頭を過ぎった。


「なあユキヒロ、もう俺のことなんか信用できねぇかもしれないけど本当の事言えよ。誰かに…」
「ひっ!」

何の気なしに華奢な肩を掴んだ瞬間、ユキヒロは悲鳴をあげ身を竦ませた。予想だにしなかった反応に俺は思わず後ずさる。恐怖に満ちた顔のユキヒロははっと我に返ると、驚き戸惑いの表情を浮かべる俺に弱々しい笑顔を向けた。

「ご、ごめん、びっくりして…とにかく、俺は大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

そう言うとユキヒロは踵を返し逃げるように走り去っていった。初めて見るユキヒロの表情と行動に面食らった俺は廊下に立ち尽くし、去りゆく後ろ姿を目で追う事しかできなかった。

俺に触れられるのがそんなに嫌だったんだろうか。

これまでの事を考えればユキヒロに嫌われるのも無理はない、そうわかっていてもショックだった。




「なあ、タツキって童貞だろ?」

事の発端は浦川部長のこの一言だった。コーチの都合でたまたま部活が中止になった日、引退したにも関わらず部室に屯っていた先輩達が雑談に花を咲かせているのをぼんやりと聞いていた時のことだった。

「何ですか急に…」

「ほら、この高校って男子校だし生徒の外出にも厳しいチェックが入るだろ?当然女とヤる機会なんかねーじゃん。だから当然お前は童貞だと思って」

その言葉に周りで屯していた他の先輩がギャハハと声を上げ、俺は思わずムッとする。

「悪かったですね童貞で…そういう部長はどうなんですか」

「俺?俺は童貞捨てたの中学の時だし」

俺の中学生時代なんてグラウンドを走って一日が終わったというのに。
含みのある笑顔で俺を見る浦川部長の真意が図れない。別に童貞を卒業した事を自慢したくて俺に話しかけているわけではなさそうだ。さっきから先輩達全員が何か企んでいるような顔で俺を見ている。
嫌な予感しかしない。頭の中で警鐘が鳴り響く。ここにいてはいけない。

そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、浦川部長は強ばる俺の顔を楽しそうに眺めた後もったいぶるようにゆっくりと口を開いて言った。

「優しい先輩達がタツキにぴったりの童貞喪失の場を用意してやるよ」




半ば脅すようにして無理矢理連れられたのはグラウンドの隅、手入れされず伸び放題の雑草に囲まれた今はもう人さえ訪れない旧体育倉庫だった。

「え、何ですかこれ。何するつもりなんですか」

思わず足を止めた俺を浦川部長は苛立ったように扉の前へと突き飛ばす。

「いいから。見ればわかる」

錆つき立て付けの悪い扉が一人の先輩の手によってギギ、と耳障りな音をたてて開かれていく。

俺は一体どうなってしまうんだろう。こんなボロ倉庫なんかに連れてこられて何をしようっていうんだ。リンチされてしまうのだろうか。

怯え固まる俺の目の前、錆ついた古い扉が口を開けて餌を待っている。動かない俺に痺れを切らした浦川部長に背中を強く押され、よろめきながら中へと足を踏み入れた。
まず飛び込んできた黴臭く淀んだ不快な空気に顔をしかめていると、誰かの悲鳴のような呻き声と水音が聞こえてくる。備え付けられた小窓から差し込む光を頼りに薄暗い室内を見渡し、部屋の奥に広がる光景に心臓が跳ねた。

誰かが犯されている。
土埃にまみれ薄茶にくすんだ体操マットの上、まるで動物が交尾しているかのように俯せになった状態で男にのし掛かられている。上の男、あれは確かバスケ部の先輩だーーそいつが荒い息を吐きながら腰を激しく叩きつける度、下にいる男は泣き喚いた。

「何ビビってんだよ行けって」

「いや、でも…」

「行けって!」

いつの間にか倉庫内に入ってきていた先輩に膝裏を蹴られ、俺は転ぶように体操マットの元へ脚を動かした。そして男に組み敷かれ、貫かれている悲痛な声の主を見たとき失神しそうな程のショックに呼吸が止まった。薄暗い部屋の中、よく知った生白い肌が踊るように蠢いている。

そんな。そんな。何で、こんなのって。嘘だろ…?

「ユキ…ヒロ…」

絞り出した俺の声に反応して顔を上げたユキヒロは、立ち尽くす俺の姿に目を見開き絶叫した。


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