夢のあとさき
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――記憶を見ている。
倒れている女性はマーテルだろう。そしてその周りにいるのはミトス、ユアン、――クラトス。これは……マーテルが殺されたときの記憶か。
「……よくも……姉さまを……!」
ミトスが言う。絶望に支配された声で。
「……人間!貴様たちは生かしてはおかない!」
ユアンが言う。怒りをはらんだ声で。
「……外道が。それほどまでにマナを独占したいか」
クラトスが言う。失望しつくした声で。
「もう許さない……!人間なんて……汚い!」
マーテルを抱きしめていたミトスは立ち上がった。……クラトスの言っていた通りだ。ミトスはきっとこのときから、マーテルの復活を願ってしまったんだ。そして分かりあおうとしていた人間への気持ちも忘れてしまったのだろう。
「……悲しいひと」
呟きが漏れる。それが誰に届くこともなく。

場面が切り替わる。映し出されたのは少しだけ見覚えのある雰囲気の里だ。
ミトスとマーテルはヘイムダールに生まれた。だが、彼らは迫害されていた。何かが起これば罪は姉弟になすりつけられる。弁明など聞いてはもらえない。
「おまえたちのせいだ!ハーフエルフなどがいるせいでこんなことが起きるのだ!」
そしてやがて、戦争が起き――その責任すらも彼らが問われることになる。ミトスとマーテルはヘイムダールを追われて旅に出るしかなかった。安住の地を目指して。

場面が切り替わる。映し出されたのは城壁のある街だ。そしてそこにはクラトスがいた。
恐らくテセアラの王都――ずっと変わっていないならメルトキオだろう。クラトスにミトスは必死に訴えかけていた。シルヴァラントの侵攻作戦の情報を掴んだ彼は誰かテセアラの上層部に伝えなければならないと思ったのだろう。
騎士団長のクラトスはそれを信じた。だが、国王は信じなかった。――ハーフエルフの証言だったからだ。

場面が切り替わる。炎に包まれた街が一面に広がっていた。
「……どうして。ボクたちの言葉にほんの少しでも耳を貸してくれていれば、こんなことにはならなかったのに」
王都は炎上した。シルヴァラントの侵攻作戦を食い止めることができなかったからだ。
「ヘイムダールでもそうだった。ボクらとは関わり合いのない事件も、全部ボクらの責任にされて、ハーフエルフが厄災の原因だって村を追われて……!」
苦し気にミトスが言う。四千年前の、ミトス。その姿は自然とリフィルやジーニアスと重なった。四千年間ハーフエルフの扱いは変わっていなかったのだと思わされる。
「シルヴァラントはハーフエルフを重用していると聞いて行ってみたけど、奴隷同然の扱い……!テセアラだって、他の国だって、みんなハーフエルフを追い立てる!」
ミトスの瞳から涙が零れおちた。拭ってやりたくなるような痛々しい涙だった。
「それならボクたちはどこへ行けばいいの!?」
炎上する街を背景にミトスはそう叫んだ。まるで、迷子のように。帰る場所のないハーフエルフである彼は必死だったのだろう。
「ねぇ、クラトス!教えてよ!あなたはハーフエルフでも、剣を教えてくれたでしょ!王への取り次ぎ方も教えてくれた!ユアンとの交渉の場を作ってくれたのもクラトスでしょう!」
すがるように言うミトス。それをクラトスは苦しげに見つめていた。
私の知っている彼らではない。クルシスを束ねる天使ユグドラシルと、その部下の天使クラトスではなかった。クラトスはテセアラの騎士団長で、ミトスは里を追われた哀れなハーフエルフだ。そんな彼に手を貸したクラトスは、ミトスにとっては一番といってもいいくらいに親しい「人間」だったのかもしれない。
「あなたはなんでもできるじゃない!何でも知ってるじゃない!」
子どものようにミトスが言う。事実、彼は子どもだったのだろう。ロイドよりもまだ年若い、そんな子どもだ。
彼を見ていたマーテルがゆっくりと口を開いた。ミトスの姉、マーテル。彼女はどんな人間だったのだろう。
「ミトス。クラトスにあたっては駄目よ。わかっているでしょう?こういうことはこれから何度でも起きる。私たちはそれを乗り越えなければならないのよ」
「……何度でも起こる……」
マーテルに諭されてミトスは呟いた。乗り越えなければならない、そう言うマーテルは芯の強い女性で――コレットに似ているように思える。そして厳しい現実が見えているからこそ達観しているリフィルのようでもあった。
「もう九百年以上前から人とハーフエルフの関係は歪みつつあった。これを変えることは簡単ではないわ」
ミトスの生きた時代のずっと前からハーフエルフは迫害の対象だったのか。四千年前、いや、五千年前から。気が遠くなるような時間だった。
「約束したわね、ミトス。絶望するなら、静かに暮らす道を選びましょうって」
マーテルは弟を宥めるように言う。その言葉は、マーテル自身の諦めなのだろう。つらい思いをする必要なんてないのだと、自分の心を守っていけるならそれだけでもきっといいのだと。そして弟への気遣いでもあった。
けれどミトスはマーテルの言葉には頷かなかった。絞り出すように彼は言う。
「……絶望……じゃない。ボクは……諦めない。誰かが声を上げなけなければ、何も変わらないもの」
諦めない。――絶望をしない。マーテルを殺されてこの世全てを見捨ててしまうまではミトスは正しく英雄で、勇者だったのだろう。
「……ミトス。私は先ほどのお前の問いに答える術を持たぬ」
クラトスはそんなミトスに静かに言った。「だが、」と続ける。
「おまえたちが安心して住める場所を作るための協力は惜しまぬつもりだ」
「……まさか……一緒に来るの?」
クラトスは静かに頷いた。それはまぎれもない肯定で、クラトス自身の意思だった。
「私は……守るべき主から、その任を解かれた男だ。騎士として失格の烙印を押された。だがそのような者でも、役に立てることはあろう」
「クラトス、考え直して。私たちと来ると言うことは、あなたは貴族としての特権も、人間としての保証も、すべて失うのよ」
マーテルが心配そうに言う。貴族としての特権、それは貴族だけが持ち得るものだ。だが、人間としての保証――ハーフエルフの持たない、異端者として追われることのないという保証。それを失うのがどれだけつらいことか彼女自身知っている。
私はまだ知らない。ハーフエルフのリフィルとジーニアスと旅をしていても感じたことはなかった。それはシルヴァラントではコレットという神子、テセアラではゼロスという神子と共にいたからだろうか。
いや、違うな。テセアラでは教皇に追われていたし、クルシスやレネゲード、ディザイアンにもずっと狙われていた。あれは差別とは違うかもしれないが、異端者扱いされていたことは多分事実だ。目的があったからだろうか、それともロイドたちが共にいてくれたからだろうか、つらくてたまらないとは思わなかったけれど。
それはクラトスも知っているのかもしれない。マーテルの言葉にも迷うことはなかった。
「私もテセアラにクラトスあり、と言われた騎士だ。私がハーフエルフと共にあることは、普通の人間よりも、影響があろう」
「……クラトス。本気なんだね」
ミトスがクラトスの瞳をじっと見つめる。信じていいのかと見定めているように。
「おまえが絶望しないと言うなら」
「……絶望なんてしない。どこかに道はあるはずだもの」
「ならば、おまえは私の新たな希望だ」
私は大いなる実りの間でのクラトスの言葉を思い出していた。なぜミトスに協力したのかという問いに、彼はこう答えた。
――ミトスは。私の剣の弟子でありかけがえのない仲間だった。それで……十分ではないか?
ああ、十分だった。間違いだとしてもそれがあなたの理由になった。
四千年前のミトスは、そういう少年だったのだから。


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