夢のあとさき
90

オリジンとの契約は問答があったものの無事に成立した。それはそうだろう、オリジンはミトスを信じて力を貸したのに、その力を誓いを破ってなお行使された上に四千年も封じられていたのだ。人に失望して当たり前だ。
だが、ロイドはオリジンに認められた。それはクラトスの説得もあってこそだろう。――かつて、同じくミトスの理想を信じていた者同士、きっとオリジンはクラトスの言葉を聞く気になってくれた。
「かつてあなたがミトスの理想に共鳴したように、私もそれしか手段がないと思っていた。しかしロイドは違う。何かを変えるためには自分が動かねばならぬことを教えてくれた。誰かの力に頼り理想に共鳴しているだけでは……駄目なのだと」
私はどうだろうか、と改めて思った。ロイドの理想は私の理想と近い。生まれたところ――コレットを救うためという動機がきっと同じだからだ。私はロイドの理想を信じているだけではなく、自分で自身の理想を持てているだろうか。いくらロイドが頼れるといっても、頼ってそれだけになってはいけない。間違いを正す、認める勇気というのはもしかしたら今後必要になるかもしれないものだった。
何はともあれ、オリジンとの契約は無事に済んだのだ。ホッとしたのもつかの間、ジーニアスの喜びの声が悲鳴に変わるのにハッと我に返った。
「やったね、ロイド……う、うわぁ!」
ジーニアスが手にしていたのはクルシスの輝石だった。それがロイドの体に憑りついたらしい。ひゅっと息を呑む。幽霊のようにぼやけたミトスの姿が見えて、ミトスのクルシスの輝石をジーニアスは持っていたのかと一瞬考えた。
「時間がない……おまえの体を借りる!」
「や……やめ……ろぉー!」
だめだ、ロイドだけはダメだ。このままでは乗っ取られてしまうことは想像ついていた。私はロイドに駆け寄ってクルシスの輝石を引っ掴む。
「ロイド!……ぐぅっ」
「姉さん!」
じわりと何かが侵食してくる感覚に冷や汗が噴き出る。そして口が勝手に動いていた。
「くそ、邪魔されたか!」
「ミトス!やめろ!」
体が自由にならない。クラトスを見て嘲笑するように唇が吊り上げられていた。
「クラトスは……本当にボクのことなんて理解していなかったんだ。この体は……おまえの娘は返さないよ」
だめだ、ミトスに体の操作権を完全に奪われている。天使化した直後のあの心をなくしていたときと同じ感覚だ。もどかしくてもどうにもならない。
「姉さん!?待て!姉さんを返せ!」
「あははは!知るもんか!ボクはこの汚らわしい世界から出ていくんだ!!」
ミトスが勝手に羽根を出してその場から離脱する。それを止められない自分がもどかしい。顔に笑みを張り付けたまま、ミトスは救いの塔へと真っ直ぐに飛んでいった。
どうするつもりなんだ。いや、この世界から出ていく、ということは――。がれきに埋もれた救いの塔の入り口を羽根で飛び越えて、ミトスはたやすく内部へと侵入した。
「どうするんだって?こうするんだよ」
私の疑問に答えるようにミトスは手を振る。途端に、何かが割れるような音が響いた。顔を上げたままの私の視界に、救いの塔の内部から亀裂が走っていくのが見える。咄嗟に口を開くと声が出た。
「救いの塔を……壊すつもりか!」
「そうさ。ボクはデリス・カーラーンへ還る。もうこの塔なんて必要ないんだ!」
ミトスが同じ口で応える。
亀裂の走ったところから救いの塔が崩れていく。雨のように落ちてくるがれきに一瞬このまま押し潰されてしまうのではないかと身構えたが、その前にミトスは転送装置で移動していた。視界がブレて、異様な空間に躍り出る。ここは、私の来たことのないデリス・カーラーンの一部なのだろう。
「無駄なことを」
「何が無駄だって?」
「ロイドはエターナルソードを使う資格を得た。救いの塔を壊したところですぐに追いかけてくる」
「さて、エターナルリングが無事にできればいいけどね?アルテスタは動けないじゃないか」
くすくすとミトスが笑う。ああ、気味が悪い。ひとり芝居をしているようで、居心地が悪い。
「シルヴァラントには親父さんがいる。ロイドは必ず来るよ」
「……」
ミトスは答えなかった。ぎゅっと中に押し込められるようで、いくら喋りたくても喋られない。気に食わなかったのか、単純に私の発言権を奪ったようだ。
こうなったら仕方がない。情けないがロイドたちが助けてくれるまでは抗ったりしないほうがいいかもしれない。
「もう抵抗しないの?」
それが伝わったのかミトスはつまらなさそうに呟いた。多分喋ることはできるだろうけどそれを無視するといらだたしげな感情が伝わってくる。
「つまらない女。あの女もつまらない人間だったんだろうね」
憎々しげにミトスが言う。あの女?と一瞬疑問に思ったが、すぐに母のことだと思い至った。
――さあ。お母さんが本当につまらない女だったのなら、何千年も動かされなかった父の心が揺らぐことなんてなかっただろうけど。
「……うるさいな」
思っているだけでも伝わるものらしい。ミトスは心底気に入らないと言ったふうに吐き捨てた。
哀れな人だ。四千年前のミトスは――クラトスが力を貸して共に戦ってきたミトスはきっとこんなふうではなかったのだろう。マーテルと共に、ハーフエルフが差別なく暮らせる世界を目指していたミトスは、きっと。
「お前に何がわかる」
私には何もわからなかった。当事者でないのだから、差別されるハーフエルフの気持ちは想像することしかできない。けど、コレットに宿ったマーテル自身が言っていたように、今のミトスがしていることはマーテルが望んでいたものではないことはわかる。そしてそれは四千年前のミトスが望んでいたことでもなかったはずだ。
「……ちがう!姉さまがボクを否定するもんか!」
したのだから、現実を受け入れてほしい。あなたの仲間はもう、あなたの目指すものと道を違えているのだと。
「うるさいうるさい!本当に、気に食わない女だ!」
じゃあ私の身体から出て行ってくれないか。私はあなたに協力することなんてできない。
私はミトスを理解することはできない。彼が求めるものはもうこの世のどこにもない。許容したくても、大いなる実りを持ってデリス・カーラーンごと去ってしまうというのは看過できないのだ。
あなたの犠牲が必要だ。コレットの命と引き換えに再生の旅を終えるように、クラトスの命と引き換えにオリジンの封印を解放するように、ミトスの命と引き換えに大いなる実りの芽吹きは達成されるのだから。
「あなたが手を取ってくれないのなら、私は戦うしかないんだ」
自分の顔が歪むのが分かる。ミトスが歪ませているのだ。そして急に視界が遠のく感覚に襲われた。
体の不調ではない、意識の不調だ。本当に奥の方まで押し込められているように感じる。ミトスはここまで精神を自在に操れるものなのか。
「――少し、黙ってなよ」
ひどく不機嫌な声が聞こえる。私の声が重ならない、ミトスの声そのものだ。
――そして私は記憶の泡に呑まれていく。


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