夢のあとさき
62

久々に親父さんの手料理を味わった後、私はお母さんの墓の前に来ていた。墓前に手を合わせる。夜の風が冷たかった。
――お母さんは、いったいなぜイセリアの近くでディザイアンに追われていたの?
胸の中で問いかける。答えが返ってくることは決してない。
そうやってしばらく佇んでいると、後ろから誰かが近づいてくるのが分かった。この歩き方、息遣いはロイドだろう。天使になったせいで感覚は鋭くなり、こんなことも分かってしまう。
「……姉さん」
「ロイド」
ロイドが私の横に並ぶ。そしてぼんやりとお母さんの墓を眺めていた。
「――いつから」
苦しそうにロイドが呟く。私は弟の横顔に視線を遣った。
「いつから、感覚がなかったんだ?いや、それよりも前から姉さんは眠れなかったし、ご飯も食べられなかったんだろ」
「……食事が必要じゃなくなったのは、レネゲードの基地から逃げ出した直後だよ。あのとき私、倒れたでしょう」
「そんなに前から……」
ロイドも私の顔を見る。私よりも高い位置にあるロイドの瞳は沈んだ色をしていた。いつだっただろう、ロイドが私の身長を抜かしたのは。
「姉さんがレネゲードに捕まったのは天使化したらそばにいられないと思ったからなのか?」
「あのときわざと捕まったわけじゃない。でも、そういう考えはあった。あなたたちに迷惑をかけたくなかったから」
「迷惑って……迷惑なわけないだろ!姉さんがどんな状況かもわからないのに、助けられなかった!」
そうロイドは呻いた。そんな顔をしてほしかったわけじゃない。
ロイドの気持ちは分かる。私もロイドが天使化して、レネゲードに囚われたりしたらいても立ってもいられなかっただろう。一人でも基地に特攻していたかもしれない。
それでもロイドには仲間たちがいたおかげで冷静でいられたんだろう。みんながいてくれてよかったと心底思う。
「結果的にそれでよかったんだ。それにロイド、心を失ってたときの私は羽根で飛び回っていたんだよ。もしそれをクルシスが見つけたらどう思うかよく考えてみなさい。――私のエクスフィアは、エンジェルス計画の成功例なんだから」
「エンジェルス計画……。それで、狙われるかもしれないって思ったってことか?」
「あなたもだよ、ロイド。私のエクスフィアと似た環境でずっとあったものにクルシスが興味を示さないはずがない。旅を続けるためには、あの時の私はそばにいてはいけなかったんだ」
コレットのときとは状況が違ったのだ。私がそういうと、ロイドはかぶりを振った。認めたくないと駄々をこねる子どものようにロイドは私の肩を掴む。
「お願いだから……っ、そんなこと言うなよ!」
「……ロイド」
「分かってる!分かってるけど……姉さんが傍にいちゃいけないなんて言わないでくれよ……!俺、どうすればよかったんだ!姉さんを犠牲になんてしたくなかったのに!置いて行きたくなんか……なかったのに……!」
「私がそうしたんだよ、ロイド。……泣かないで」
肩を掴む手を下ろさせて私はロイドを抱きしめた。ロイドはぐすぐすと鼻を鳴らして、私の肩に顔を埋めた。
謝ることは出来ない。間違ったことをしたとは思ってないからだ。でも、ロイドをこうやって抱きしめて慰めることは私にも出来た。
「ねえさん……俺だって、姉さんがいなくなるのなんていやだって、言っただろ……」
「……うん」
「本当は、姉さんが旅立ったときも悲しかった」
「そっか」
「ちゃんと帰ってくるって言ったのに、約束破っただろ」
「……それは、ごめんね」
コレットには謝ったけど、ロイドには謝っていないことを思い出して私はロイドの頭を撫でた。それを拒まずにロイドは私の背に腕を回す。ぎゅっと抱き付かれて、いつぶりかなと思った。ロイドはいつの間にか私より背が高くなってしまって、剣だって強くなって、精神的にも成長して――私以外の仲間にだって頼りにされている。
まだ小さい頃、それこそ母が死んだばかりの頃に、両親が恋しくて泣いていたロイドは私の思い出の中だけだった。私はロイドの前では泣かないようにしていたんだっけ。お姉ちゃんががいるよと慰めていたのを思い出した。
大きくなって、イセリアに遊びに行くようになって。リフィルがやってきてからはことさら学校に真面目に通うようになったと思う。帰り道で怪我をしたロイドは涙をこらえていたけれど、私の姿を見つけると泣いてしまっていた。思えばロイドは反抗期もなく、私に懐いていてくれたのだった。
私は弟離れできていないと自覚していたけれど、ロイドもまだ私に甘えてくれるようだ。それが嬉しく感じてしまう。ロイドの腕の中は、私にとっても安心できる場所だった。
「ロイド。私、約束はもうできない」
「姉さん……」
「ロイドも同じでしょう。私たちは……ここまで来てしまったから」
命の保証はもうどこにもないのだ。作られたこの世界のシステムを打ち破るには、その覚悟を決めなければならない。
顔を上げたロイドの目元を拭ってやる。ロイドは涙に濡れた睫毛を伏せて表情を翳らせた。
「……でも、しばらくは一緒にいられるからね」
「そう……だな」
一歩下がる。ぬくもりが離れてしまったせいで夜の風がいっそう冷たく感じられた。
「そろそろ戻ろう。目、冷やしておく?」
「これくらい平気だよ」
二人で手を繋いで家に戻る。
幼い頃と同じように、明かりのついた家へ。


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