リピカの箱庭
67

受話器を置いて部屋を出た。外で待っていたアシュリークが物言いたげな瞳を向けてくる。
「陛下から直々に入電があるとは思わなかったよ」
「えっ、陛下から!?エドヴァルド様じゃなくてか?」
「エドヴァルドとも話はした」
というか、今はグランコクマにいるエドヴァルドが便宜を図ったのだろう。そうでなくては陛下もホイホイとこの通信網を使えないはずだ。一応盗聴の恐れはないはずだが、ことが事なので心配になる。どちらにせよ、彼らの旅路は一筋縄で行くものではないのだけれど。
「陛下はなんて?」
「マルクト側の街道が使えない以上、救助隊の派遣は無理だと仰っていた」
「じゃあどうしろってんだよ」
「キムラスカ側の街道を使うほかないな。その手はずを整えてくださっている」
アクゼリュスの坑道で障気溜まりが見つかったのはつい先日だ。広がる前にと急いでエドヴァルドをグランコクマへ報告に行かせたのだが、帰ってくるよりマルクト側の街道が使えなくなる方が早かった。キムラスカ側の街道を使うにしてもあそこは大人数の移動には向いてない。街の住民全員の避難には時間と人手がかかるだろう。
「……だが、あそこの道は許可制ではないからな。使ってはいけないという道理もあるまい」
「まあ、もう使っちゃってるしな。出稼ぎで来た人たちは全員帰すんだろ?」
障気が出ては採掘などと言っている場合ではない。少なくとも今年は無理だと判断して、私は出稼ぎ鉱夫たちに手当を支給して真っ先に帰すことにした。帰る場所があるのなら、そこに戻られるに越したことはない。今もジョゼットとヒルデブラントには彼らの護衛を任せている。結構数が多いので、一度にとは言えないのが厳しいが。
「あとは研究所を畳まないといけないからな。それについてはエドヴァルドに一度戻ってきてもらうように頼んでいる。陛下の意向がある以上、派手に動けないのが辛いところだ」
人手の動員だけならいざとなればホドグラドの騎士団くらいは動かせる。とはいえ、陛下はこの問題を利用しようとしているわけだし、目立つ動きはしにくいのが実情だ。研究員たちの避難もこそこそ続けるしかない。
アシュリークはどこか納得行かなさそうに首を傾げた。
「ここはマルクト領だろ。コソコソする必要あるのか?」
「外交上の問題だよ、アシュリーク。私がここにいる以上、キムラスカへの配慮も必要だ。形式上でもね。それに陛下はこれを政治の材料にしている。キムラスカにつけ込まれては困るんだ」
「戦争か」
「その発端になり得るということだ」
結局はそうなるのだが、きっかけを作るのがガルディオス伯爵であってはいけない。ガイラルディアの不利益になるから。私はポケットに手を入れたまま廊下を進んだ。
「だからアシュリーク、お前も忙しくさせてしまう。こちらには人手が少ないからね」
「俺は伯爵さまの騎士ですよ。エドヴァルド様もいない今、あなたのそばでお守りさせていただきたいんですがね」
これはエドヴァルドになにか吹き込まれたな。アシュリークに対してはどうにも気が緩んでしまうことを自覚している私はため息をついた。まあいい、エドヴァルドを遠ざけて自分の守りが手薄になっているのも事実だ。貴族としては誰もつけないわけにはいかない。
――でも、私のそばにいるということは最後まで危険に晒され続けるということだ。アシュリークをここで犠牲にはしたくない。いや、この街の住民全て、犠牲になる必要なんてない。
「ガラン?おい、顔色が悪いぜ」
「大したことはない」
肩を掴まれて私は緩く首を横に振った。一体、何をしているのか、自分は。ここはホドではない、けれど。どうして死ぬとわかっている彼らを逃さなかった。どうして、わかっていたのに何もしなかった。理由?体裁?そんなもの、どうとでもなったのではないか。
「ガラン!何か陛下に言われたのか?それとも」
「すまない。……部屋に戻る」
「……ちゃんと休めよ。倒れられちゃ、俺何していいか分からないから。ガランがいてくれないと困るんだよ」
アシュリークの声に私は頷いて、なるべくいつも通りの歩幅で部屋まで歩いた。今更後悔したって何になる。ドアを開けて、後ろ手で閉じる。サイドボードのぬいぐるみを抱き上げてソファに座り込んだ。
「ガイ」
もうはじまったのだろうか。ガイラルディアは今、マルクトに向かっているのかもしれない。私は瞼を閉じて、もう思い出せない彼の声を思い出そうとした。
そうだ、はじまったのだ。障気が出ないかもしれない、そんな傾向はないのだと目を逸らすことはもうできない。避難計画の準備は前から進めていたし、備蓄していたおかけまで物資は豊富にある。そう戸惑うことはないはずだ。あとは少しずつこの街から人を減らせばいい。第七音譜術士が少ないから、怪我にだけは気をつけさせなければ。
人が死ぬのは嫌だ。救える人を救う。ホドが堕ちた日に抱えたのと同じ願いを胸に抱く。
あと少しだ。あと少しだけ待てば、彼はきっとやってくる。そうして、私は役目を終えればいい。
「しんじてるから。待ってるから……」
柔らかい毛並みを撫でて、私はずるずるとソファに身を埋めた。


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