リピカの箱庭
68

「伯爵様。こっちの坑道はもうダメですね」
「わかった。通行止めにしておこう。行方不明者は見つからなかったか?」
「残念ですが。あの障気の中を進むのは自殺行為なんでしょう?救助もままなりませんよ」
「そうか……」
薄暗い道を譜石のカンテラで照らす。鉱夫が戻ってきた道の先はそれでも真っ暗で見通せなかった。カンテラを持っていない方の手でポケットから別の譜石を取り出して道の先に放り投げる。簡単だが、シルフの力で流体に制御を施す封咒だ。ないよりは障気の漏れが少なくなるだろう。
「それって人も通れなくなるんですかい?」
「いや、あくまで障気の流れを阻むものだ。多少身動きが取りづらいだろうが、中で動けなくなることはない」
仮に生存者がいたとしても、だ。いないのは確定的だけれど。鉱夫たちが安堵の息をついたのを見て私は顔をそらした。
「次に行こう」
地図に印をつけてもらって別の道を進む。封咒を施すことで多少マシになっているが、坑道自体にも薄い障気が満ちていて視界が悪い。口元のスカーフの中で咳を押し殺した。

坑道から出ると待っていたのは不機嫌そうなアリエッタとこれまたむっつりと拗ねているイオンだった。着ていた作業服をアシュリークに渡して、わざわざ坑道入り口前に陣取っている彼らに声をかけた。
「今回はずいぶん遅かったが、何かあったんだな?」
「伯爵さま!ママが!」
ばっと顔を上げたアリエッタが必死の形相で迫ってくる、のをイオンが手で制した。
「そりゃもうね。仕事はもういいの?」
「アシュリーク」
「はいはい、残りは俺がやっとくよ。……ただ事じゃなさそうだしな」
アシュリークの言う通り、アリエッタの様子は尋常ではない。イオンとアリエッタには障気の出始めの頃に避難するよう伝えたのだが、なぜかそれは却下されてアリエッタの空を飛ぶ魔物を生かして物資の運搬をしてくれていた。今回は帰還が遅く、もしやと思っていたが。
場所を屋敷に移して応接室に通す。ロザリンドやエゼルフリダを含む使用人もすべて避難させているため、今残っているのは私と騎士達だけだ。その騎士達も、ほとんどが避難民の護衛に出払っているのだけど。
「それで、何があったのです?」
「ママが……ママが、殺されて、でも!イオン様は仇を討ったらダメだって言うんです!」
「アリエッタのいうママとは魔物のことですね、ノイ」
「そうだよ。ライガの女王、ライガクイーン。ライガの生態は知ってる?ちょうど繁殖期のところに住処の森で火事が起こってね。原因はチーグルによる発火だったらしいんだけど」
アリエッタは興奮して説明ができなさそうだったのでイオンに尋ねる。それにしてもチーグルか、懐かしい。イオンもローレライ教団の聖獣のチーグルには思うところがあるらしく、複雑そうな表情をしていた。
「で、住処を奪われたライガクイーンは南――エンゲーブ近辺の森に居を移した。そこがまたチーグルが生息してる森でね。ライガクイーンはチーグルを食べようとしたわけなんだけど、代わりに食糧を提供することでチーグル達は見逃してもらってたんだってさ」
「なるほど、その食糧はエンゲーブから?」
「そういうこと。人間の手でライガクイーンは討伐された。問題はやった相手だ。僕らはライガクイーンが殺されたところにいたわけじゃないから後から追いかけたんだよ。追いついたのはちょうどフーブラス川のあたりだったかな。」
イオンは眉をひそめた。声がワントーン低くなる。
「そしたら導師イオンがいた。しかもマルクトの軍人と一緒にね」
「ただ事ではありませんね」
導師イオンはローレライ教団の最高権力者だ。イオンも何か裏で動いていると察したのでアリエッタを止めたのだろう。賢明な判断だ、そこにいた軍人に勝てるとは思わない。
「だろ?あんたに心当たりは?」
「外交が絡んでいるでしょうね。その軍人の特徴は?」
「明るい茶髪、長髪、眼鏡、男」
「間違いなくカーティス大佐でしょう。皇帝の懐刀と言われる人物です。さしずめ、キムラスカへの和平の使者といったところですか。アクゼリュス救援の要請のためにバチカルへ向かっているのではないかと思います」
知ってたんだけど。とはいえ、導師とマルクト軍人のペアを見れば誰だって思い当たることだ。服装ももう少し目立たないようにすればいいのに……いや、正式な任務だしコソコソする方がおかしいか。
「しかし、エンゲーブから南下してフーブラス川にいたとは、ローテルロー橋を通らない理由があったのでしょうか。彼らは軍艦に搭乗していましたか?」
「いや、軍艦に乗ってはなかったね。走ってはいたんだけど。あとローテルロー橋が落ちたっていう話は聞いたな」
「では、カイツールを目指しているのでしょう。ローテルロー橋が落ちたのならそこから行くしかありません」
そういえばそんな話もあったな。ローテルロー橋が落ちるって実際かなりの損害なんだけど。流通が滞ることこの上ない。
「それともう一つ、向こうにいた男が妙だったんだ」
「妙ですか」
「赤い髪と緑の瞳。わかるだろ?しかもどう見ても貴族のお坊ちゃんって感じのさ。和平の使者にどう関わってるんだ?キムラスカの王族が」
イオンの持つ情報だけでは確かに謎が深まるばかりだ。ルークの存在はかなり事態をややこしくしている。とはいえ、彼は大した問題ではない。イオンを疑心暗鬼に陥らせる必要はないだろう。その考えは次の言葉に凍り付かされた。
「……しかも、あいつにそっくり」
――そうか。考えてみればわかっていたことなのに。
イオンはローレライ教団にいた。レプリカを作る過程でヴァンデスデルカと関わりも深かった。つまり、彼を知っていてもおかしくない。
「誰に、似ているのです」
「アッシュ。ヴァン・グランツ謡将の子飼いだよ」
「神託の盾騎士団の者ですか」
「まあね。でもアッシュがあんな演技できるとは思わない。別人――あるいは、レプリカだ。ヴァンのやつ、確かキムラスカのファブレ公爵に取り入ってたはずだ。どっちが被験者かは分からないけど」
イオンはそこまで推理していたようだった。私は少し目を閉じて考える。
「つまり、ファブレ公爵の子息と思わしき人物がマルクトにいた、と。誘拐でもされたのでしょうか」
「カーティス大佐とやらに?」
「いえ、ファブレ公爵子息がマルクトにいることは争いの火種です。仮に誘拐されたとしたら、カーティス大佐が誘拐犯から助けたと考えるのが妥当ですね。目的地が同じバチカルなら行動を共にしていても不自然ではありません。カーティス大佐は王家に恩を売れますし」
「たしかに和平の使者が放っておいていい人物じゃあないね。そういうことか」
「あくまで仮説ですがね」
実際にはその誘拐犯は彼らと行動を共にしているのだけど。メシュティアリカとルークの相性の悪さを思い出して微妙に胃が痛くなった。


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