リピカの箱庭
65

屋敷に戻るとまず待っていたのはエドヴァルドだった。頭が痛そうな顔をしているが、私も似たようなものだろう。
「レティシア様、アレは何ですか」
ダアトに連れて行ったジョゼットとヒルデブラントの二人がいないせいでイオンとアリエッタを知る者が誰もいないというのも間が悪かった。エドヴァルドからしてみれば彼の知らないところで私が勝手に行ったことが露呈したわけで、それはもう機嫌も悪いだろう。エドヴァルドには後できちんと説明をしなくてはならない。
「詳しくは後で話します。事情が複雑ですから」
「では本当にレティシア様の知り合いだというのですか」
「ええ」
「……わかりました。早くどうにかしてください」
諦めた様子のエドヴァルドに頷いて、急いでアシュリークたちがいる部屋に向かう。ノックもそこそこにドアを開けた瞬間、「はい、ノイの負け!」と元気な声が聞こえてきた。
「くっ……、もう一回だ!」
「えー、ノイ弱いもん。つまんないからもうやだなあ……あっ、はくしゃくさま!おかえりなさい!」
イオンと向かい合って座っていたエゼルフリダが椅子から飛び降りて駆け寄ってくる。部屋を見回すと壁に呆れた顔でもたれかかっているアシュリークと、イオンの後ろで困った顔をしているアリエッタもいた。とりあえずエゼルフリダを受け止めて頭を撫でてやる。
「戻りましたよ、エゼルフリダ。何をしていたんですか?」
「あのね、ノイにチェス教えてあげてました。わたしがかったからノイは言うこと聞かなきゃだめなんだよ」
「そ、それは……」
イオンが口ごもりながらそっぽを向く。なるほど、だいたい想像がついた。イオンはまだ幼いエゼルフリダに負けるとは思わず負けたらなんでも言うことを聞くという条件を安易に呑んでしまったのだろう。屋敷に住むほとんどの騎士たちがこの手法の被害に遭っている。もちろんアシュリークもなので、彼は止めなかったのだろう。
「なるほど、ノイと遊んでいてくれたんですね。助かります」
「えへへ」
「いや、僕がそいつと遊んでやってたんだけど!」
「遊ばれてたの間違いだろ」
「うるさい!」
アシュリークが正しいと思うが、これ以上神経を逆なでするとイオンがヘソを曲げてしまうのでとりあえずアシュリークは黙らせておく。チェスセットを片付けさせてルゥクィールにお茶を準備してもらった。
「それで」
席についているのは私とエゼルフリダ、イオンとアリエッタだ。アシュリークは変なところで意固地なので勤務中だと言い募って私の横に立っている。
「アシュリーク、報告を」
アシュリークは慇懃に頷いた。いつもの砕けた調子ではないのはイオンを警戒しているからだろう。妙に演技派である。
「かしこまりました。街の巡回中、商店街で食材屋の店主がそこの二人が窃盗を働いたと主張し騒ぎになっているのを発見。一方そちらのノイと名乗る少年が自分はガルディオス伯爵の知り合いであるため伯爵にツケておけばいいと主張しておりましたので、騒ぎを収束させ事実関係を確かめるために身柄を確保、ここまで連行した次第です」
ふむ。だいたい想像通りだ。私はイオンとアリエッタに必要な物資は現物で支給して現金を持たせていなかったし、彼らも自分で自由に使える金銭は持ち合わせていなかったのだろう。まさか勝手に街に繰り出すほどの積極性があるとは思っていなかったし。
「エゼルフリダ、どうしてノイと遊んでいたのですか?」
「えっと、リークお兄ちゃんがノイをいじめてたから止めたんです。そしたらお兄ちゃんがわたしにノイとあそんでてねって言って、チェスであそんでました!」
「虐めていません。事情聴取をしておりました」
「ちがうよ、おこって大きい声出してたもん。大きい声出すのはいじめなんだよ。おかあさまが言ってたもん」
騎士というのは特権階級であり、貴族に仕えているのならなおさらその威をかざしてはならない。ロザリンドが言っていたのはそういうことだろう。ルゥクィールも言っていたが、アシュリークは頭に血が上って冷静さを欠いていたのではないかと想像できる。私の知り合いであるというのが嘘ならそれこそ信用問題につながるわけだし。あとイオンは気位が高くて扱いにくいのでどこかでアシュリークの逆鱗に触れたんじゃないかな。
「では、ノイ。あなたの話を聞きましょう」
最後にイオンに水を向ける。むっつりと黙り込んでいたイオンはしぶしぶ口を開いた。
「……買い物のしかたを、知らなかった。迷惑をかけたと思う」
驚いて、慌てて表情を取り繕った。イオンがこんなあっさりと非を認めるとは。いや、認めてもらわなくては困る場面なのだけど。
「だからそんなことも知らないっておかしいだろ。現金も持ってないし」
「アシュリーク。ノイは外に出たことがほとんどありません。彼の言っていることは事実です」
「……マジで?」
「マジです。が、彼の特権はもうありません。そのままでいてもらっては困ります」
それはイオンも理解しているはずだ。年を越した彼は預言に抗った事実を受け入れた、だから街に出たのだろう。つまり導師であったことを捨てたのだ。導師でないただのイオン、もしくはノイは人の営みの中で生きてゆかねばならない。そこのルールからきっちり教えていかないとトラブルを起こすのはこの件でよく分かった。
それと、イオンだけでなくアリエッタの教育も必要だ。イオンを止めるのは彼女しかいない――が、そこまで人としての常識を身につけさせられるだろうか……。すでに魔物の感性を持っているアリエッタを変えるのはイオン以上に大変そうだ。
「ノイ」
「……なに」
「今のは十分な謝罪ではありません。きちんと謝りなさい」
ぐ、とイオンが嫌そうな顔をした。アシュリークも嫌そうな顔をしている。ここはとにかく気が合わなさそうだ。
「……僕が悪かった」
「ちがうよ。ごめんなさい、だよ?」
不思議そうな顔でエゼルフリダが突っ込む。イオンはいよいよ覚悟を決めたようにこぶしを握った。
「…………ごめんなさい」
「アシュリーク」
「謝罪を受け入れる。だが、お前が迷惑をかけたのは俺だけじゃない。伯爵さまと店主にもだ。分かってんだろ」
「ガルディオス伯爵……」
「私には結構です。あなたたちへの説明が少なかったせいでもありますからね」
択ばせたのは私なのだ。エゴを押し付けて、彼を生かしてしまった。だから変わろうとしている事実だけで十分だ。アシュリークはどこか納得いかないという顔をしていたが、やがて諦めたように肩を竦めた。
「それでは、エゼルフリダ」
「はあい!」
「あなたに仕事です。いいですか?」
「うん!」
「ノイとアリエッタはこれからたまにここに来ます。そのときに遊んであげなさい」
「わかりました!」
どうやらエゼルフリダとの相性はいいようなので、情緒を育てるのは彼女に任せることにしよう。イオンがどういうつもりだと言わんばかりにこちらを睨んできたが、私にはこれから気の重い仕事が待っている。エドヴァルドへの説明だ。
どうやって、どこまで説明しようか。せめてヒルデブラントが戻ってくるまで待っててはくれないか――いや、それではダメだ。私はため息をついてイオンの視線を受け流し、紅茶を飲み干した。


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