リピカの箱庭
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新年だというのに研究所では研究員たちが変わらず勤しんでいた。休むように言ったのだけど、「今いいところなんです!」と返されては仕方がない。
「我々は住民とは親密とはいえませんからね」
シミオンが手ずから淹れてくれたお茶に口をつける。相変わらず味がしない。結構いい茶葉を使っているはずなのだけど。
「地元の祭りには参加しづらいというのもあります。安心してください、全員がいるわけではありませんから。休んで祭りに参加している者もいるでしょう」
「ならよいのですが」
地元と親密ではないというのはしかたないにしても気にかかる。そりゃあ人体実験に手を出しているのだから当然だし、ついでに言えば機密漏洩の視点では距離があったほうが好ましいのだけど。ただ、環境としては双方にストレスがかかっているのではないかと思う。
「伯爵さま!いらしていたんですね」
「ルグウィン。あなたも休日出勤ですか」
顔を出したのはきっちりと白衣を着こなしたルグウィンだった。彼やシミオンはいつも清潔感のある格好をしているが、研究員の中にはよれよれの白衣を着ている者もいるので性格が出ると思う。
「来週は休みますよ。アシュリークと合わせてるんです」
「おや、それは悪いことをしました」
「気にしないでください。あ、そうだ。この間の件の経過観察なんですけど」
持っていたファイルをルグウィンが広げる。イオンの件かと思ったが、それはさらりと流された。
「ノイはもう心配いらないと思いますよ。ここで体調崩されたらたまんないから、食事と運動の指導はしてますけど。それよりこっちです」
「ああ、レプリカの義肢ですね」
「信号の伝達に多少難はありますけど、上手くいっていますよ。リハビリでどこまで取り戻せるかですねえ。一応理論上は再現可能なんですけど、どこが詰まってるのかまだ分かんなくて」
うーんと唸るルグウィンにシミオンは眉をひそめた。ルグウィンもガルディオス伯爵、つまりガランに対してかなり気安い方なので、シミオンはそこにいつも苦言を呈しているのだ。彼は彼で貴族を敬いすぎではないかと思う。元軍人だから上下関係には厳しいのだろうか。
「それでも接続して動かせたのなら大きな一歩です。この国には退役軍人も多いですからね」
「そうですねえ。それに」
言葉を切ったルグウィンは視線をさまよわせた。迷っているようではなく、むしろなんだか照れているようだ。
「すごい感謝されて、嬉しくなっちゃいました。やっぱり僕、ここに来られて良かったです」
ルグウィンは大学に進学するかこの研究所に来るかで最後まで迷っていたのだった。そう言われると誘ったかいがあったというものだ。
しかし、この成果で住民との関係も改善してくれればいいのだけど。何か怪しげな研究機関よりは人の助けになる研究を行なっていると分かれば印象もよくなるだろう。
「ノイも最近はちょっと話してくれるようになったんですよ。いやあ、感動ものでしたね」
ルグウィンの言葉に私はつい苦笑した。イオンはずっとアリエッタ以外の人間には頑なだ。よく会うはずのヒルデブラントにすら全く心を開いていない。あれはアリエッタを巡っての対抗心の表れでもあるだろうからまた話が別なのだけど。ようやくルグウィンと会話を交わすようになったのなら、人当たりのいい彼を主治医につけた成果とも言えるだろう。
「それはいい傾向ですね。ノイは今どこに?」
研究所に来た目的は挨拶もあるが、イオンに会いたかったのだ。無事に年を越せたということは預言と違う未来に行き着いたということだ。イオンがそれをどう受け止めて、これからどうしていくのか話し合わなくてはならない。
「朝は検査に来ましたけど、帰っちゃいました」
「おかしいですね。家にはいなかったんですが」
「祭りに行くって言ってましたよ」
なんと。イオンが街に出ているとは思わず瞬いてしまった。ヒルデブラントをつけたら警戒されるかと思ったが、こうなるならちゃんとつけておけばよかったか。ちなみに当のヒルデブラントはジョゼットとグランコクマに行ってもらっている。挨拶回り担当だ。
「先ほどまで巡回に出ていたのですが、すれ違いましたか」
「かもですねえ。でも、ノイって騒がしいところ苦手そうだからもう戻ってるかもしれませんよ」
「わかりました。もう一度のぞいてみましょう」
イオンは箱入りなので新年の浮き足立った雰囲気にはたしかに馴染めなさそうだ。アリエッタもしかりである。
しかし、なんだか嫌な予感がする。イオンが悪い方に考えていたら、という不安とはまた別のものだ。具体的に言うと何かトラブルを起こしていないだろうかという不安だ。なにせイオンはあの性格だし、そしてアリエッタもイオンといるときは特に人間社会の常識を持ち合わせていない。目立つような真似は頼むからやめてくれと祈りさえしたが、こういう予感だけは当たるものだ。
「伯爵さまー、やっぱここにいた」
「ルゥクィール、どうしました?」
研究所を出たところで呼びかけられて私はため息を飲み込んだ。ルゥクィールはそれに気づいてか、肩をすくめて私を見た。
「リークが呼んでるの。なんか窃盗容疑で捕まえた子が伯爵さまの知り合いだってうるさいから困っちゃって」
「はあ……」
「え、もしかしてほんとに知り合い?」
「その可能性が高いですね」
「じゃあ早く戻ろ。リーク、頭に血上ってたからキレちゃってるかも。エゼルが取りなしてたけど」
「エゼルフリダに何をさせてるんですか、アシュリークは」
もう事態が混沌としていることは予測が付いてしまい、私はもう一度大きなため息を吐き出した。


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