リピカの箱庭
03

三歳児の身ではあるが、貴族というのは忙しいもので私とガイラルディアはすでに勉強の時間を設けられている。字の読み書きとマナー、楽器といったところだ。それを終えると遊べるわけだけど、今日はガイラルディアがお姉さまに捕まって着替えの練習をさせられているので私は遊び相手がいなくて暇だった。
ガイラルディアにがんばってねと声をかけてから庭に出る。庭師に挨拶をして、ぶらぶらと歩いていると人影が目に留まった。マリィベルお姉さまよりいくらか年下の少年だ。私は彼の名前を思い出して、あっと声を上げた。
「ヴァンデスデルカ!」
そう、ヴァンデスデルカである。ゲームだと黒幕でラスボスだった人物だ。とはいえ、レティシアの中では一緒によく遊んでくれる近所のお兄さんといった感じの立ち位置のひとだった。
「レティシアお嬢さま。お一人とは珍しいですね」
「ガイラルディアは、おねえさまととっくんなのです」
「特訓ですか?」
「おきがえのとっくんです」
「それはまた……」
ヴァンデスデルカは苦笑する。お姉さまの熱心さは彼の知るところでもある。となると、今は邪魔しないほうが賢明だと思ったのだろう。
「ねえヴァンデスデルカ、おうた、うたってください」
「歌ですか?」
「ユリアさまのおうたです」
「譜歌ですね。レティシアさまのお望みとあらば」
ヴァンデスデルカは頷いて歌ってくれた。ユリアさまの譜歌は特別で、ヴァンデスデルカの家の人にしか歌えないのだと説明されたことがある。ヴァンデスデルカは私がねだるといつも綺麗な声で美しい旋律を紡いでくれた。
最後の音が空気を伝って鼓膜を打つ。私が拍手をするとヴァンデスデルカははにかんだ。
「レティシアさまはユリアさまの譜歌がお好きですね」
「ヴァンデスデルカのおうたがすきなのです」
あの、ゲーム内でラスボスとして立ちはだかるヴァンデスデルカとはまるきり雰囲気が違うからだろうか。歌っているヴァンデスデルカに私はどこか安心した。ずっとこのままの彼でいてほしいと思う。
なぜヴァンデスデルカはあのような行動に出たのだったか。ホド崩落の未来にショックを受けすぎて思い出せていなかったことを紐解いてみる。
確か、ヴァンデスデルカはホドで行われていたレプリカの研究の実験体にされていたんだった。研究成果を流出させないためにホド崩落の原因の超振動を無理矢理起こさせられた、というのがあった気がする。
「ヴァンデスデルカ、さいきん、つらいことはありましたか?」
率直に聞いてみるとヴァンデスデルカは不思議そうな顔をした。多分まだ実験が始まっていないのだろう。
「つらいことですか?いいえ、ありませんよ」
「つらいことがあったら、いってくださいね」
「それでは、レティシアさまもつらいことがあったらヴァンデスデルカにお伝えください。お力になれることならなんでもいたします」
ヴァンデスデルカがそう微笑んだのに私はぱちくりと瞬いた。そんなことを言われるとは思っていなかった。たとえそれが仕える家の娘にかけた気遣いだとしても嬉しくなる。レティシアがもともとヴァンデスデルカに懐いていたせいもあるだろう。
「ヴァンデスデルカは、やさしいですね。うれしい」
「レティシアさまもお優しくていらっしゃる。さあ、ガイラルディアさまのもとへ行きましょう。そろそろ根を上げてらっしゃるころでしょうから」
「おねえさまはきびしいですからね」
「ガイラルディアさまを大切に思ってらっしゃるからでしょう」
「そうですね」
ヴァンデスデルカが手を繋いでくれるので二人で屋敷に戻る。部屋に向かうとやっぱりガイラルディアがべそをかいてお姉さまに叱られていた。
「ガルディオス家の跡取りたる者がこれしきのことで泣くものではありません。まったくもう」
「だってえ」
「マリィベルさま。今日はそこまでにいたしませんか?」
「あら、ヴァンデスデルカ。レティシアも」
お姉さまがヴァンデスデルカに気を取られた隙をついてガイラルディアはこちらに逃げてきた。シャツのボタンがいくつか外されていたので、私はガイラルディアに向き直って指を動かしてやる。
「ガイ、こうだよ」
「んん、やだあ」
「じゃあ、わたしがやるよ」
「やだあ」
「じぶんでやる?」
「んー」
ぐすぐすと鼻を鳴らしたガイラルディアは唇を尖らせてボタンをつまんだ。ぎこちない手つきで穴に通す。
「できた!」
「できたね」
「もう、ガイラルディアったらレティシアの言うことは素直に聞くんだから」
お姉さまはすこし頬を膨らませていて、ヴァンデスデルカが「まあまあ」となだめる。ボタンを留められたことで上機嫌になったガイラルディアはヴァンデスデルカに飛びついた。
「ヴァン!けんのれんしゅうしよう!」
「よろしいですか?マリィベルさま」
「仕方ないですね。レティシア、お前はどうしますか?」
「わたしも、ガイラルディアといっしょにいきます」
意外なことに私が剣の練習にひっついて行っても怒られたことはないのだ。ガイラルディアと一緒だからだろうか。まあ三歳児にできることなんて高が知れてるけど。
それはともかく、できる範囲で腕を磨くのは私にとっても悪いことじゃない。この後、生き残ろうと思うならなおさらだ。
もしかしたら譜術の勉強もしたらいいのかもしれない。そんなことを思いながらガイラルディアが手を引いてくるのについていった。


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