ラーセオンの魔術師
04

さて、そんなわけで私は王都メルトキオのワイルダー邸にしばらく軟禁されることになった。
やることと言えばゼロスの言った通り、マナーの勉強、ついでにこの国の貴族の歴史なんかも学ばされることになった。
歴史の勉強は結構好きなので苦にはならない。教師がハーフエルフだったのもあるだろう。彼女は普段はサイバックの王立研究院で働かされている(ハーフエルフは研究院から出る自由もないらしい)ので、メルトキオのこのワイルダー邸に週に何度か来るのは気晴らしになっていいと言っていた。話も合うし、普通にお友達になってくれないものか。
一方でマナーの家庭教師(ガヴァネスというらしい)になった貴族の女性は最悪だった。ハーフエルフだからとか、二言目には神子さまにふさわしくない、だ。
「では女神マーテルにそのようにお伝えください。私は神託に選ばれただけですから」
イライラしたのでそう言ったらさらに厳しくなったのは理不尽だと思う。まあいじめまがいのことをされてもいざとなれば魔術で対抗できると思えば大したことはない。私よりも弱いのだし。
ちなみに私はメイドさんたちにも遠巻きにされている。年配の人はそうでもないが、若い人の中にはゼロスの「おこぼれ」にあずかろうとしている人もいるのだろうか、それともただ教育がなっていないのか。私の聞こえるところでヒソヒソと何やら言っているのが煩わしい。それを注意しようとは思わないので放っておいているけど。

で、くだんの神子さまことゼロスはどうかというと、ほとんど邸にはいない。噂によると神子さまは大変な女好きでいつも女性を侍らせているというのだから多分女の子と遊んでいるのではなかろうか。朝帰りとか普通にするし。だだっ広い食堂で一人で朝ごはんを食べているとゼロスがだらしない格好で帰ってきたことは一度や二度ではない。
私に好きな人がいるかと訊いたゼロスだったが、ゼロスこそ想い人の一人や二人いるんじゃないのか。一度気になって訊いてみたら「世界中の女の子が俺さまのハニーなのは当然だろぉ?」とか言われた。
「なになに、俺さまに興味シンシンなワケ?」
「……うん……。人それぞれでいいんじゃないかと思います」
「真顔で言うなっての」
「価値観が違いすぎて流石にびっくりしたので」
本気じゃないと思うけど。どちらにせよ私は今のところ彼の配偶者になるつもりはないので好きな子のひとりやふたりいたほうが健全……なのか……?
「価値観ねえ。そういうアンタも変わってると思うぜ?」
「そうですか?貴族と平民の違いではないですか」
「……普通のハーフエルフとも違ってると思うけどな」
「ああ、そうかもしれませんね」
歴史の教師のハーフエルフを通じて「普通のハーフエルフの感覚」を知りつつあった私はゼロスの言いたいことを理解した。
ほとんどのハーフエルフは差別されることに疲れている。一種の洗脳のようなものかもしれない。疎まれたことしかないハーフエルフたちはみんな気力がないし、自分がハーフエルフであることをそれこそ疎んでいると思う。
とはいえ私はハーフエルフじゃなく普通に生きた前世の記憶を持ってるので、わりとそういうのとは無縁だった。人が少ない環境で育ったのもあるかもしれない。ゼロスやマナーの家庭教師からすると不気味に思えるのだろうかと考えると少し笑えてきた。
「っ、ふふ。誰かと違うのなんて当たり前ですから」
マナー通り、お上品に口元を手で隠しながら笑う。ゼロスはなんだか目を丸くしたが、それは一瞬だったので見間違いかもしれなかった。

歴史とマナーのお勉強以外で私のすることと言えばもっぱら魔術の修行だ。あの忌々しい天使(ユアンというらしいけど、あのユアンかな。ゼロスが教えてくれた)を打倒するためにはどうすればいいのかという課題もある。騎士たちのような人間と違って魔術で不意をつけない相手というのははじめてなので対策を練らないといけない。
それに、なんというか……私はユアンのような格上をこれまで相手したことがなかった。勝てない相手、というのはあれほどまでに恐ろしいものなのかと思ってしまったのだ。この世界に転生してそれなりにシビアな環境を生き抜いてきたとはいえ、根本は平和な世界で暮らしてきた自分のままなのか、あの天使には屈辱と同時に恐怖も植え付けられてしまったらしい。それを克服するためには、そう!
「防御力を上げる!」
魔術のない世界なら何を言っているのかという感じだが、幸い私は魔術師だ。結界という防御力を持っている。問題は強度と、発動までの時間だ。
とりあえずイメージを掴むために紙にイメージを描いていく。この時は理論は考えない。理論から考えるとどうしてもガチガチになってしまって発想が生まれにくいというのが個人的な考えだ。
発動を早めるためにマナの消費量を減らすことだとか、それならば格子状にするかはたまたハニカムにするか、物理攻撃と魔術への対処は同じでいいのかとか。考え出すと止まらない。
お勉強の時間以外は部屋にこもってそんなことをしていると、不審に思われたのかある日突然ゼロスが部屋を訪ねてきた。
「レティシア、何やって……ってうわ!」
「へ?ゼロス?珍しいですね」
部屋の入り口に試しに結界を張ってたものだから、ノックしてすぐドアを開けたゼロスは結界にそのまま強かにデコをぶつけてしまった。少し待ってくれれば解除したのに。
「あでで、俺さまの尊顔に傷がついちゃったらどうしてくれんのよ〜」
「ちょっとぶつけただけですよ。なんなら治癒しますけど」
「いや、いいけどよ。てかほんとに何してんの?」
結界の案と理論を色々書いた紙を色々散らかしたままだったのでゼロスは不思議そうな顔で見下ろしてきた。不思議そうというか、まあ、不審に思ってるんだろう。
「結界の改良ですよ。そうだゼロス、実戦に耐えうるか確認したいので手伝ってくれませんか」
私はゼロスの腰に下げた剣を見ながら尋ねてみた。なかなかうまく改良できたと思うんだけど、魔術はともかく物理攻撃の耐性を確かめるのは一人では厳しい。
「え〜?俺さまが〜?」
「はい。ゼロスしか頼める人がいませんから」
「……仕方ねえなあ」
もうちょっと渋るかと思ったが、ゼロスは割とあっさり頷いてくれた。やった、とガッツポーズをしたら変な顔をされたけど。


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