ラーセオンの魔術師
03

目がさめると知らない天井だった。
なんだかありきたりのことを考えながら天井を見上げる。私はふかふかのベッドに寝かせられていて、腕を持ち上げると天使との戦闘で負った怪我の手当てもされていた。
「目を覚まされましたか」
声をかけられて体を起こす。節々が痛んだが気にしないふりをした。
振り向くとそこにいたのは、メイドさんだった。ミニスカとかじゃなくて、ちゃんとした使用人のメイドさんだ。そんなに若い人でもない。
「神子さまがお待ちです。体を清めさせていただきます」
「……ふろ」
「ええ、お風呂です」
「わかり、ました」
喉の渇きで掠れた声で応えると、ベッドの横に置かれていた水差しからコップに注いでくれた。疑うのも悪いし、私はたぶん「神子の嫁」としてここにいるのだから毒を盛られているということもないだろう。素直に水を飲み干す。少しだけ残しておくけど。
案内された風呂では他のメイドさんたちが待ち受けていて、体を洗われそうになったが断固拒否した。「魔術で拘束しますよ」とまで言ったらさすがに無理矢理入ってくることはなくて安心した。だってどんな羞恥プレイだって話だよね。銭湯で他人と風呂に入るのと体を洗われるのじゃ話が違うし。
ひさびさの風呂は気持ちがよかったけれど、その後にドレスを着せられたのは最悪だった。動きにくいしコルセットが窮屈だ。
しかも鏡を見るとものすごく似合っていたのが癪に障る。エルフというのは大概美形で、エルフの血を引いているハーフエルフも美形が多い。そんなわけで転生した私の顔はなんとなく前世の面影を残しながらも我ながら整っているので、装飾過多なドレスも着こなせてしまっていた。
嫌だなー、神子とやらに気に入られでもしたら最悪だ。神子の血族に神託が下るのは遺伝子を掛け合わせてよりよい器を作るためなので、配偶者に選ばれてしまった私は子作りをしなければならない。私に乱暴するつもりなのね!エロ同人みたいに!ってちょっと思ってしまうのも仕方ないだろう。
そんな頭の悪いことを考えながらついに神子の元に案内されてしまう。私はまとめられたくせに横だけうっとおしく下ろされた髪を耳にかけながら部屋に入った。
部屋にいたのは何人かの騎士たちと、ひとりの青年だった。燃えるような赤い髪が目立つ長髪の彼は遠慮もせずにジロジロとこちらを見てくる。
「神子さま、お連れしました」
「おう」
気さくに青年が応える。メイドさんはそのまま下がってしまって、私はどうすればいいのかわからず視線をさまよわせた。
「あんたがレティシア?」
「……あなたの名前は?」
神子さま、としか知らないので尋ねると青年はゆっくりと瞬いた。それから応える。
「ゼロス。ゼロス・ワイルダーだ」
「年齢をお聞きしても?」
「十九だ」
年下か。もう少し上に見えたけどそんなものか。
「で、レティシア。あんたは俺の婚約者ってことになるワケだけど」
「婚約者、ですか」
「そ。好きなヤツとかいたの?」
「いませんし、あなたのことも特別想ってはいないです。なので特に結婚などする予定はありません」
私の言葉にゼロスより先に騎士の人たちが反応した。ザッ!と音がして刃が突きつけられる。
「無礼者!まだそんなことを言うのか!」
まだって言うか、ここに来たのもあの天使に拉致られたからだし。あ、思い出したら腹が立ってきたな。あの天使、一度絶対にぶちのめしたい。
ゼロスは私の言葉に呆気にとられたようで、そして俯いて額に手を当てるとくつくつと喉を鳴らして笑い始めた。
「なーるほどね。おまえら、一旦下がれ」
「神子さま!この者はハーフエルフです!御身に危険などあれば……!」
「いいから、命令だ」
ぴしゃりと言ったゼロスに騎士たちはしぶしぶ刃を下ろして、そしてドアから出て行った。最後にこちらを睨んでいたのは気のせいではないだろう。
私とゼロス、二人きりになってしまう。ゼロスはソファに座って優雅に脚を組むと、私にも向かいに座るように目配せした。
「神託が下ってから随分時間がかかったなと思ったが、あんたが拒んでいたからだとはね」
「……いきなり神託で神子と結婚しろ、などと言われても困ります。私はマーテル教の信者ではありませんから」
「へえ?でも俺さまも困るんだよな。神子の役割ってのもあるワケだし」
おや、ゼロスは自分の結婚に関してはそんなにこだわっていないらしい。そのようなものだと諦めているのだろうか。
「ゼロスは、神子として生まれた以上神託に従い結婚するべきであると考えているんですか?」
「そりゃ当然でしょ」
「そうですか。私は自分が好いてるわけではなく、私のことを好きでもない人と結婚するのは嫌です」
「ふーん。じゃあ逃げるワケ?ハーフエルフのあんたが?タダで済むとは思わねえけど」
ハーフエルフ、その言葉には確かに侮蔑の響きがあった。――このテセアラではごく当たり前のことだ。
ハーフエルフは差別されている。犯罪を犯せば即死刑という人権のなさっぷりだ。人もエルフも、その狭間であるハーフエルフを受け入れていない。受け入れられないらしい。
私は目の前のゼロスという人間に少し失望していた。私自身、ハーフエルフということにこれっぽっちも劣等感を抱いてなどいないが(むしろ魔術を使えるからラッキーって感じ)、生まれを蔑むような人はどこにでもいるのだ。それはこのマナの神子として生まれた青年も例外ではないと思われる。
「そのうち逃げますが、今は逃げても無駄でしょう。しばらくはマナの神子の婚約者をやりますよ」
「……あんた正気か?」
「この上なく。私は諦めが悪いので、忘れた頃に思い出させてあげますよ」
にっこりと微笑んでみせた。実際、今逃げてもまたあの天使に捕まるのが関の山だろう。天使から逃げ切れる実力をつけるか、ゼロスをどうにか懐柔して婚約という形を維持したまま自由に行動できるようにするか。すぐに結婚ということではなさそうなのが救いだろうか。
「で、婚約者になったら何をすればいいんですか?個人的には近接戦闘の訓練などしたいのですが」
「……マジで逃げる気だな。まあいいや、とりあえずマナーとか勉強してもらうってところだな」
本気にしていないのか、それとも本当に「どうでもいい」のか。ゼロスは肩を竦めたものの、軽く言った。
「しばらくはこの屋敷から出られねえよ。そこんとこヨロシク」
「衣食住の保証がされているならば、しばらくは我慢します」
軟禁状態というわけか。まったく厄介なことに巻き込まれたものだ。きっとゼロスも厄介な女に神託が下ったのだと思っているのだろう。お互い大変ですね、と言いたくなる。言わないけど。


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