ラーセオンの魔術師
02

その神託というのはある日突然下されたらしい。
「おまえがレティシア・ラーセオンか。来てもらう」
街の食堂であたたかいご飯にありついていた時のことである。私は物々しく言ってくる騎士を見上げて、そしてスプーンを握り直した。熱々のグラタンを口に運ぶ。うん、ぷりぷりの海老がおいしい一品だ。
「聞いているのか!」
騎士が大声を出すが、聞こえているに決まっているだろう。迷惑だから静かにしてほしい。
「私は食事中ですので、後でにしてください」
「教皇騎士団に逆らうのか!」
逆らうも何も、ご飯を食べ終えてからにしてくれと言っているのだ。食べてる間は行儀が悪いので会話したくないし。無視してグラタンを味わっていると、騎士の手が伸びてきたのが見えたので私はとっさに魔術を発動させた。
「"バインド"」
「ぐ……っ!?」
騎士の動きが止まる。闇の魔術の一種で、相手の動きを封じるものだ。ご飯を食べ終えるまでは持ってくれるだろう。
「おい女!何をした!」
口だけは動くらしく、騎士がうるさい。私は気にしないようにつとめてグラタンを完食し、デザートのフルーツケーキに取り掛かった。ブランデーに漬けたドライフルーツの濃厚で味わい深い。この値段では上々だ。
「きさまはマナの神子の花嫁に選ばれたのだぞ!」
しびれを切らしたように騎士が言う。途端に静まり返っていた食堂がざわついた。いつの間にか野次馬が増えていたようだ。
「はあ、そうなんですか」
「そうだ。食事を終えたな?我々と来い」
私がフォークを置くのを待っていたかのように騎士が言う。我々ってことは、この人以外にも外にいるな。
「お断りします」
「なぜだ!」
「なぜって、マナの神子の花嫁とやらになる理由などありませんので」
のこのこついていくとでも思ったのだろうか。……思ってたんだろうなあ。私は荷物を持って席を立つ。出口の方へ歩いていくと面白いように人がはけた。モーセみたいだ。
食堂のドアを開ける。想像していた通り、物々しく騎士たちが食堂の前で待ち構えていた。
「その女だ!捕らえろ!」
動けないままの騎士が後ろから行ってくるのにざっと騎士たちが構える。そう簡単に捕まってたまるか。
「"ワープ"」
騎士たちの合間を縫って魔術を発動させる。ワープと言っても、縮地のようなものだ。短い距離にしか適用されない。
「"ブラインド"」
ついでに闇の魔術で騎士たちの視界を遮った。「どこに消えた!?」と騒いでいるのを尻目に私は逃げ出す。人々の目がこちらに向いてくるのでマントのフードを被って屋根に飛び上がった。
もう宿も取ってたんだけどな。お金が無駄になったことにため息をついた。

そうして逃げ出して、野営中に襲ってきた騎士たちからも逃げて。一ヶ月くらいは追われていたと思う。町に立ち寄っても指名手配されているらしく、私の人相書きが貼られていて呆れてしまった。とっとと諦めて私以外の人間をマナの神子の配偶者とすればいいのに、どこまでも神託にこだわる人たちだ。
――いや、こだわっているのは教皇騎士団ではないか。もっと上、クルシスのトップ。命令を出す側がこだわっているのだ。
この世界では再生の旅は長らく行われていない。それでも、マナの血族の管理は重要なことなのだろうか。
心休まるときが少ないのにそろそろ疲れていたのだろう。私はそのひとが近づいてくるのに気がついていなかった。
「……見つけたぞ」
はっと振り向く。そこにいたのは飽きるほど見た鎧姿ではなかった。背中からマナの翼が広がっている――天使だ。
「レティシア・ラーセオンだな?」
「……」
まさか、クルシスの天使までもが出張ってくるとは。私は杖を握って眉根を寄せた。
「あなたは?」
「私はクルシスの者だ。ついてこい」
「神託とかいうお話ですか?お断りします。私はマーテル教の信者ではありませんので」
「ほう?」
従う理由がないと言うと天使は面白そうに、しかし不快そうに笑った。
「そういうわけにはいかない」
天使が持っていた大振りのダブルセイバーを構える。話し合いできる雰囲気ではなさそうだ。正直、この天使に敵う気がしなかったが――無抵抗のまま連れ去られるのも癪に障る。
随分と重そうな武器だったが、天使はそれを軽々と振り回してくる。受ければタダで済むまいと少し焦りながら魔術を唱えた。
「"グレイブ"!」
突きでてくる土塊に天使は軽くバックステップしただけで避ける。そしてその羽根でふわりと宙に浮かんだ。
「っ、"エアブレイド"!」
「ふっ」
空気を圧縮して撃ち出しても天使はダブルセイバーで切り裂いて避ける。「この程度か?」と煽るように言ってくるのでかちんと来る。羽根で羽ばたきながら武器を振り下ろしてくる天使に続けて闇のマナを撃ち出した。
「"ダークスフィア"……"ブラインド"!」
「ぐっ、瞬雷剣!」
視界を遮ったはずだが、天使の狙いは寸分たがわない。魔術を切り裂いて迫ってくる刃に焦りつつ防御結界を張った。
「"バリア"!……あぐっ」
ガキン!と結界と刃がぶつかる音に足が竦む。どうにか一撃は防げたが、反動が激しくて私はよろめいた。詠唱破棄の連発も厳しい。
「変わった魔術を使うな。自己流か?」
ブラインドの魔術はすぐに解かれてしまったらしい。私はこの男がエルフの血を引いていることを確信した。この術はマナの操作ができる者ならば解くことはたやすいのだ。
しかも、先ほどの一撃は雷のマナをまとっていた。おそらくハーフエルフ、だろう。
「だが、威力が足りないな。エクスフィアをつけていない一般人にしてはよくやるが……」
「……エクスフィア?」
訊き返しても天使は答えてはくれなかった。代わりに素早く距離を詰めてくる。
流れるように振り回されたダブルセイバーを咄嗟に杖で受け止めたが、衝撃に耐えきれずに吹っ飛ばされてしまう。風のマナを集めてある程度は緩和させたが、手にしびれが走って杖を握っていられなかった。
「戦い慣れてもいないな。この程度に手こずるなど……」
「っぐ、っあああ!」
ぱちん、と天使が指を鳴らすと雷のマナの気配がする。結界を張ろうとしても間に合わず、私は電撃を浴びさせられていた。
視界が霞む。天使が近づいてきているのがわかったが、どうすることもできない。
「戦のない世界では仕方あるまい……」
最後に天使がそう呟いたのが聞こえて、私は意識を手放した。


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