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* * *
狼の遠吠えが聞こえる。
夜半過ぎ、菘は暗い廊下を燭台も持たずに歩いていた。
この里は随分と山奥にあるため、狼は珍しくないらしい。
しかし、狼の妖気ではない。
もっと禍々しいものがこの里に満ちている。
夜になる前、もし異変が起きたら彼の部屋に行く様に和葉から言われた。
里全体に張ってある結界が緩んだのを彼が屋敷を出て行った時に確かに感じた。
そっと彼の部屋の戸を開けるが、やはり誰もいない。
窓が閉まっているため、廊下と暗さは同じくらいだ。
暗さのせいだけではなく、この部屋から何かを感じて、菘は懐の短刀を握り締めながら室内に足を踏み入れる。
そっと辺りを警戒しながら部屋の奥まで行くと、不意に後ろから錫杖の様なもので羽交い締めにされた。
「・・・っ・・・誰っ!?」
しゃらん、と金属のこすれる音がした。
体格差と力の差を悟って菘は無駄な抵抗を止めた。
しばらくすると、頭上から少し小馬鹿にした様に「クッ」と笑う声がした。
「―――これは失礼。下手に騒がれると迷惑でしたので。私はあやかし屋が一人、蒼詠と申します。和葉様の部下で今回、あなた様の護衛です」
「護衛・・・」
その呟きに不満が含まれていた事に彼は気付いたのだろう。
発せられる気が少し刺々しい。
それと同時に彼もまた人ではない事に気付いた。
「まずは、その物騒な物をお離しください」
「では、こちらの錫杖もどけてください」
この暗闇で錫杖と判断した彼女に蒼詠は目を見張った。
「・・・私の事、ご存知なのですね」
祓い屋の人間として警戒されている。
当たり前だと分かってはいるが、少し心が冷えていく様な感じがした。
けれどあえて目を閉じて気付かないふりをした。
神経を研ぎ澄ますと、声なき声が響いてきた。
―――今だ、今だ。
―――あやかし屋はいない。
―――祓い屋の巫女だ。
―――巫女の血肉を喰えば・・・。
そっと目を開けて、菘は錫杖を振り払った。
「鈴姫様っ・・・!?」
驚愕する蒼詠を他所に彼女は部屋の入り口に向かう。
戸に手を伸ばした時、何かが空を切り裂いた。
「勝手に出られちゃ困る。廊下は式の残骸ばかりだからね」
少し不機嫌そうなその声には覚えがあった。
確か名前は―――。
「朔」
「姫さん。あんたに名前で呼んで良いなんて言ってないよ」
「姫・・・?」
引かれる鎌を横目に菘は首を傾げた。
姫と呼ばれる理由が分からない。
「あなたのその名は真名でしょう?我々にとって名前は何より大切なものです。故に我々はあなたを別の名で呼ぶ。ですが―――」
直ぐ横に錫杖が降り下ろされる。
見れば、そこに妖の骸が転がっていた。
「今はそれどころではありません。足手まといです。お下がりください」
冷ややかにそう言われ、菘は一歩下がる。
背後から伸びる影に彼女は気付いていた。
気付いて短刀に手を伸ばすよりも早く目の前を何かが横切った。
固いものどうしがぶつかる音が響いた。
「くっ・・・」
背後に庇うように立ち塞がり、錫杖で獣の爪を必死に防いでいる蒼詠の姿があった。
「蒼詠様っ」
「大丈夫です。・・・っ、しかし、ここまで多いとは」
一瞬怪我をした様に見えたが本人は大丈夫だと言う。
どうしようかと思ったが、背後から違う気配を感じて彼女はそちらに手を伸ばした。
「鈴姫様っ!!」
「姫さんっ!!」
妖気の熱に構わずに手を伸ばし、妖の首に手を添える。
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