ルピナス ようやく実ったダイエット心も、腹の虫がひとつなる度、シュルシュルとしぼんでしまい、動かなくてはと思いつつ、面倒が先立つ。 「あんた次第で、マッチの一生が決まる」 苦々しいヒッキーのメールに目を通し、渋々、ジョキングに出掛ける。 近所を一回りして、息、絶え絶えのところ、またヒッキーからメールが届く。 「あんた、本気出している? 走るってよりあれじゃ歩いているに等しい」 何で知っているんだ? 慌ててキョロキョロしだす私に、ヒッキーが数メートル離れた場所から手を振って見せる。 「何してんの?」 「何って、見張りに決まっているでしょ?」 「ずっとそこにいた?」 「うんや、今来た」 この野郎と思いつつ、ヒッキーがいる場所まで移動してきた私へ、にやりと携帯画面を見せる。 「やっぱ実録は必要でしょ」 「いつの間に」 目をぱちくりさせていると、どこからともなく、ヒッキーの姉、広川秋穂登場に、私の目は更に大きく見開かれる。 「なんか横綱が、面白いこと始めたって聞いたから」 にやにやしながら言われ、私はヒッキーを睨んだ。 「おおこわっ」 おどけてみせるヒッキーの横で、秋穂がゲラゲラと笑い出す。 「いいわ。横綱、癒されるわ」 「ふざけないで下さい。わりと本人、大真面目なんです」 「ごめんごめん。分かっている。分かっているけど、笑える」 涙を流して笑っている秋穂の横で、一人真顔になったヒッキ―が思いがけないことを言い出した。 「悪い。私、当分あんたのサポートできんから、サボんなよ」 「どういうこと?」 笑い終わった秋穂が、微妙な表情で、私とヒッキ―の顔を交互に見る。 それだけで何を意味しているのか、私には分かった。 「沖縄、行けるの?」 「そのために入って来る」 「みんなには何て言う?」 「風邪をこじらせて、家でサボっているとでも言っとけば」 「ヨッちゃんは?」 「あ奴には言わんでいい」 「どうして?」 「昨日、絶交したから」 「またそんなことして」 「良いの良いの。このまま自然消滅っていうのも楽でいい」 私は何も言えなくなってしまった。 「じゃ、そう言うことで」 姉の言葉に促されるように、ヒッキ―は踵を返す。 この瞬間が私は嫌いだ。 初めてヒッキ―の中に秘められているものを知らされた時、私は自分が恥ずかしくて、涙が止まらなかったことを思い出す。 マッチにもヨーデルにも教えていない秘密。 「絶対、沖縄、皆で行くんだからね」 ヒッキーは振り返ることなく、右手を振り上げて見せた。 ヒッキーは、小さい頃から入退院を繰り返している。内臓に疾患を抱えているそうだ。詳しい話はしたくないというから、私は一度も追及をしたことがない。お見舞いも、行って良いものかどうか分らないから、一度、秋穂を介してから行くようにしている。たまに面倒で、メールで本人に直接聞くが、決まって返って来るのは、ブヒブヒブッブーだ。調子が悪すぎるから、来るんじゃねーという意味らしいけど……、それでもこっそり私は病院に行ってしまう。 だから今回も……。 「横綱、アウト。あんたは躰が大きいから目立つんだよ」 弱弱しい声に振り返ると、一段と顔色が悪いヒッキ―が力なく笑って見せる。 「みんなはどうしている?」 「マッチは相変わらず、口を利いてくれない。ヨーデルは、私の実録を必死で撮って、ブログアップしているよ。ヨッちゃんは」 そこまで言って、私はヒッキーの様子を伺った。 「言っちゃだめだからね」 「でも、凄く落ち込んでいたよ」 「仕方がないよ。あ奴も若い。青春しているのも夏まで、後は受験に精を出さなきゃ。明るい未来に嫌われちゃうでしょ」 語尾が微かに途切れ、私は息を飲んで俯く。 「それより、告白した?」 唐突な言葉に、えっと顔を上げるとぱしゃりとシャッターを切られ、ヒッキ―はにやけた顔で文字を打ち込んで行く。 それはすぐさま、ヨーデルのブログへ添付されたのは言うまでもない。 この野郎。本気で心配しているのに! 「鼻息荒く、ただいまダイエット中って。一応、私もうら若き乙女なんですけど……。鼻の穴を大きくした顔なんか撮っているんじゃないよ。それにヨーデルにどう説明すればいいのよ」 「そこは抜かり有りませんぜー旦那」 「誰が旦那なんじゃい」 きっちり、熱でダウンしているところ押しかけられて、大迷惑。母が用意した大福見せたらこないな顔をした。と注釈が入れられてあった。 「いつか、逆襲してやる。その為にも、早く出て来い」 そう言い残して、私は病室を後にした。 「躰、きついくせして、無理すんな」 呟きと共に、涙が零れ落ちる。 病院から家まで、二時間かけて、歩いて帰った私は、ヨーデルのブログを読み返し、一人、泣き笑いをした。 ヒッキ―、私頑張るからね。 ルピナスの花言葉・・・あなたは私の安らぎ。空想。貪欲。母性愛。 戻る ×
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