V


この庭は三月ウサギの庭だ。虚ろわず繰り返し開催されるのは気違いのお茶会。これまでもこれからもずっとそれは変わらないのだろう。咀嚼され呑まれるために生まれた私たちは今日もカップに注がれ、または皿の上に盛られ消費されていく。それを悲しく思ったことは無い。けれど、もし、なにかの拍子にそこから転げ落ちたらそれはそれは面白い景色が見れるだろう。

狩りの時間になると律儀にレウウィスは姿を見せた。約束をしたと言ってもこんな子供のわがままのような事に付き合ってくれるレウウィスに、斎は感謝すると同時に次第に疑問を抱いた。自分は、彼の理想の獲物なのだろうか。こんな手間暇をかけるほどの相手なのだろうか、と。

そんなおりだった。

「楽しいかい?私の昔話なんかを聞いてて」なんの拍子か、レウウィスは年寄り臭くうそぶいた。

「まぁそうだね。楽しいよ」

「……そうか。たまには趣向を変えてみるのはどうかな?私が聞くから、君が話すのは」

変わってる。相手の考えを読むときは相手の立場になって考えるものだが、それにしても理解できないと斎は図りかねた。自分だったら家畜の声に耳を傾けないだろう。けれど斎が今もこうして多少の不便はあるが悠々自適に生きているのも、彼が変わっているおかげなのは間違いない。きっとそもそも人間とは精神構造がだいぶ違うのだろう。

「いいよ。でも私、孤児院とここの事しか知らないからね。あんまり面白い話はできないかもよ?」

聞いたり読んだりするのは得意だが、話すのはどうにも苦手だ。斎は聞かれるなら好きな本の話とかならいいな、と思った。

「問題ない。ただ、これは私の個人的な疑問なのだ。面白おかしく話す必要はないよ。質問は一つだけだ。君は何を思ってこの世界を生きているのかね?」

「えー?難しい質問だね。別に何も思ってないよ。私は絶望もしてないし、希望も持ってないよ。ただ生きてるだけ。たぶん死ぬ時は『ああ、しくじったな』って思って死ぬだけだと思うよ」脳裏でルーチェに追いかけられている時の事を思い出しながら斎は言った。

「これだけ私から外の世界を知ることができたというのに、外の世界に想いを馳せることもないと?」

「そうだね。私はある意味現状に満足してるから。それに、死期が近くてもその分一生を楽しくできればそれでいいかな」

「君は、楽しく生きれているのかい?」

「たぶん、ね。これを言ったらきっとほかの子には変な顔をされるだろうけど、私は別に自分の境遇を嘆いてはいないし、それにね?孤児院で幸せに過ごしてたかと思いきや、いきなり怪物に襲われてこんな場所に放り出されるなんて、数奇な人生でしょ。暇じゃない。暇とか、退屈とか、私死ぬほど嫌いなの」

それに、と斎は付け加える。

「あなたと話すのは楽しいから」

何を言っているのか些か理解できずにレウウィスは黙り込んだ。人間の情緒が、斎の情緒がいまいち理解できない。楽しい。きっとその言葉に偽りはない。斎はいつも話を興味深そうに聞いていた。疑問に思ったことはすぐに質問し、何よりもいつも笑顔だった。人間は楽しい時あの顔をする。それはレウウィスも理解はできるが、やはり斎のことは理解できない。

戸惑いに近い感情に気もそぞろだったレウウィスは、森の方から1つの気配が近づいてきていることに気付いた。

「斎」

「え、なに?」

いきなり腕を掴まれてしどろもどろになる斎。そんな彼女にはお構い無しに、レウウィスは促した。手を引かれて斎は立ち上がる。

「あっちへ。真っ直ぐ進んで今日はもうここには戻らないことだ」

キョトンとした様子でレウウィスの指差す方を見る。

「うん、分かったよ。またね」

斎は深くは聞かなかった。レウウィスが意味もなくこんなことを言い出す訳がないからだ。

「走るんだよ斎」

レウウィスを疑う余地はない、と斎は走り出した。斎の手が風のようにすり抜ける。レウウィスは自分の手を見た。先ほどまで触れていた手に獲物の腹を破った時のような熱を感じる。そして高揚。脳に霞がかかるような錯覚を覚えたが、レウウィスはそれを誤魔化すように目の前に迫りつつある問題に意識を集中させた。


その場で待っていても仕方がないと、レウウィスは自分から気配の方へ歩みを進めた。誰の気配かは明白だ。

「大公」

進む先。青い茂みの先から現れたのは狩庭の主パイヨンだった。

「なにかね。狩りの時間にわざわざ会いに来るなんて珍しいじゃないか」

「たまには一緒に狩りを楽しむのはどうかと。昔のように好きなだけ狩れるというわけではないですが、最近あなたは一人でいることが多いようですし、どうですか?」

パイヨンの言葉の端が思考に引っかかる。

「ありがたい申し出だが、やめておくよ。ここには私の獲物はいないからね」

「そうなのですか?せっかく手下を置いてきたというのに」

「悪いね」

パイヨンに背をむけ、そして不意に悪い予感がしてレウウィスは足をピタと止めた。パイヨンは屋敷を出た時に確かに部下を2人連れていた筈だ。いつもの通り。屋敷に手下を置いてきたというのならなんら問題は無い。けれど置いてきた場所に寄ってはまずいことになる。

その時、レウウィスの悪い予感が確証に変わった。ほど距離の遠くない場所でパイヨンの部下の気配を感じる。その方角は斎を逃した方角に間違いはない。

「回りくどいことをするんだね」

「まあそう言わずにあの子の到着を待ちましょう。私はただ、あなたが心配なのですよ。1人の獲物に執着しているあなたが」

程無くしてパイヨンの手下が姿を現した。その腕には斎を抱えていて、腕の中の彼女は意識が無いようで重力に任せてすべてが地面へ向いていた。

「食べる前の肉に名前をつけて可愛がってどうするのですか。無駄な情が移る前に狩り取るべきです」

「私はこの子と約束を交わした。その果てに私はこの子を狩る。君に心配されるようなことはない」

「世界間の協定にすら大人しく従えない。そんなあなたが、守れるのですか?そんな矮小な存在との約束を」

「守れるとも。押し付けられたものではない。私自らの意思でそうすると決めたのだからね」

押し問答。レウウィスは狩りに並ならない拘りがあるのをパイヨンは知っている。これが彼の拘ったその結果なら自分がいくら説得しようとしてもおおよそ無駄なこと。馬耳東風とは言わないが、レウウィスは揺るがないだろう。

「……そうですか。わかりました。これ以上はなにも言いませんよ」

パイヨンが手下の方を見る。斎は不意に解放された。力無い体が無抵抗のまま地面に落ちた。

「後悔の無いように、くれぐれもお願いしますよ。この庭の管理者の言葉として念頭に置いてください」

パイヨンらはその場を後にしだした。レウウィスは彼らの姿が見えなくなるのを見届けて、斎の方へ向いた。

斎は地面に倒れたまま未だ動かない。うつ伏せになりながら微動だにしない斎を見て人形のようだ、と近ずく。背中が微かに上下している。レウウィスが近くにしゃがみこみその背中に手をやると、反発するように、波のように呼吸に合わせて手が押し返された。押されて、沈んで、押されて、また沈む。弱く脆い生き物であると訴えるような浅い呼吸。
だが、人は時に驚くべき力を発揮するのを知っていた。死を間近に感じた時、死からの忌避からか生への渇望からか、ともかく運命を自らに手繰り寄せるような力だ。おそらく人よりも遥かに長く生きている自分には到底、理解できないモノ。パイヨンの手下にあっさりと捕まってしまったようだが、レウウィスは斎にも同じ力があるのをまだ期待している。

さてどうするか、とレウウィスは考える。

狩りの時間はもう終わるころだが、このまま斎を放置していくのは些か偲ばれるような思いがした。レウウィスは斎の体の下に手を滑り込ませると、ゆっくり身体を仰向けにした。こんな時の人間の扱いはよくわからないからレウウィスは困った。思えば今まで命を奪う以外の接触をしたことがなかった。歯がゆいような、こそばいような。

その時レウウィスはパイヨンの言っていた「食べる前の肉に名前をつけて可愛がってどうするのか」という言葉を頭の中に繰り返していた。。パイヨンの言っていたことは一部外れている。これはまだ『肉』じゃない。『家畜』と言う方がレウウィスにはピンときた。なら『家畜』が病気を患ったのなら薬を与え、怪我をしたのなら治療してやるのが道理にかなっている。レウウィスは斎を抱えるとふらりと歩き出した。

斎を抱えながら何故かレウウィスは空腹のような感触を感じていた。ほのかに湿った血の匂いが立ち上ってくる。


なにか嫌な夢を見ていた気がする。そんなぼんやりとした思考で斎は目を覚ました。目を覚ましてすぐに夢の事などもう考えられないほどの体の不調に襲われて目を瞬いた。具体的に言うと、頭が痛い。外傷からの痛みだとすぐに分かって手を伸ばすと、傷んでる果物のような感触がした。

「なんだこれ……」そんな呟きを聞いているものがいた。

「斎」

名前を呼ばれて斎は視線を持ち上げた。黒い衣服が視界で飜る。

「レウウィス?」

正確な時間は分かっていないが、狩りの時間は終わってる筈だ。姿を見せるレウウィスに斎は疑問符を浮かべた。レウウィスはそばに近ずくと立ち上がろうとする斎の腕を引いた。

立ち上がった瞬間、船に揺られているような目眩がして斎は目を瞑った。チカチカした意識の中で耳に聞こえた明らかに重い吐息。

「……何かあったの?」

斎は不安げにレウウィスに聞いた。ゆっくり目を開くと視線があう。レウウィスの様子がどうにもおかしいことは斎にも何となく雰囲気で伝わった。そも、何も無かったわけがない。体に残っている傷がそれを示している。

「約束が危ぶまれた」

「そうなんだ」全然覚えてない、と斎は続ける。

自分は誰かに殺されかけたのだろう、とぼんやり。そして、ふとレウウィスが自分を助けてくれたのかとも考えた。変な感じがする。自分を助けてくれたのだろう、きっと。けれどそれでレウウィスの立ち位置がまずくなるようなことがあったらそれは何か違うような気がする。

頬に擦れた跡が残っている。固まった血が肌にこびりついていて生々しい。斎は確かめるように患部に触れて、そして顔をしかめた。手にぺたぺたとした感触が残っている。

「ああ、参ったな」

レウウィスは斎の仕草を見、そして顎を引いた。斎はおとなしくしている。まただ、とレウウィス。またあの空腹。風が流れて血の匂いが鼻腔をついた時、レウウィスはたまらなくなって、思わず斎の頬に舌を這わせた。口の中に甘味が広がる。犬や猫とはもちろん異なる舌。斎は驚いて一瞬動きを止めた。

「……食べたいの?」

それはただの疑問から発せられた言葉のようだった。その言葉からは捕食者を目の前にした恐怖のような感情は読み取れない。レウウィスは些か冷静になって斎から手を離した。

「そういうわけではない。ただ……」

「お腹すいた?」

「違うとは言い切れない」

「うんうん、わかるよ。だって甘いもんね、血」

斎は屈託のない笑顔で返した。


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