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あの邂逅から7日経っていた。怪物の襲来はあれから1回だけ。その間斎は怪物と全く接触していなかった。時折頭に浮かぶのはあの黒衣の怪物。いままでのらりくらりと生きてきた斎。いままで大きな怪我も無く命を繋いでいたのは明確に獲物と認識されて追われた事が無かったからだ。けれどいまは事情が少し変わった。斎がいるのは生命を脅かすほどの危機がずっとまとわりついているような場所だったが、ここまで明確に命の危険を感じる状態が続いているのは初めてだった。それもあの怪物のせいだと嫌でも意識してしまう。わざわざ殺されるのは斎は嫌だった。力の差もあの1回の対面でひしひしと伝わった。けれども相手がどんなに力のある怪物でもそもそも出会わなければ問題は無い。そして今日この晴れ渡る狩りの日、ひっそりと、小動物のようにささやかにティータイムが終わるのを待つことにした。

慌ただしくミジンコのように動き回っているような子供は怪物たちにとっては格好の的で、斎はそういう子供たちともなるべく距離をとっていた。それに悲鳴でも聞こえようものなら、知らぬ振りをする自分に罪悪感も感じるだろうから近寄りたくない。喧騒から離れた狩場の端。その木の上で寝そべり、投げ出した足を一定の間隔でブラブラと振っている。

街に置いてあった本を1冊持ち出して、手持ち無沙汰なのをそれで誤魔化していた。本はいい。狭い場所に閉じこめられている斎には唯一外のことを知ることが出来るツールだ。ページをめくる度に意識が本の中へ溶け込む。時間の経過も忘れ、風が葉を揺らす音も遠く、現実から意識が曖昧に揺らいでいく。史実や知識書も斎は勿論好きだが、ファンタジーにも惹かれる。

「やあ」

そのひと声で斎の意識は現実に引き戻された。本の続きが気になる。けれど目を離さないわけにもいかない。後ろ髪を引かれる思いでゆっくりと本から視線を移す。

声をかけてきた相手は隣の木の上に立っていた。いつの間に。と斎は素直な感想を抱いた。それほど自分は本に夢中になっていたのかもしれない。それか、相手が気配を獲物に悟られないとんでもない捕食者だからか。

「えっと……レウウィス、だっけ」

初めてレウウィスと遭遇した時のことが自然と脳裏を掠める。あの日の事を思うとやっぱりまともにやりあって勝てるビジョンというのは浮かんでこない。

「そうだよ。きみは斎だったね」

「うん」

「さて、私がきみを見つけたからには、分かるね?」

もちろん。っと斎は短く答えた。視界に捉えていた怪物のシルエットが動く。怪物と人間。出会ってしまえば血が流れる。それは摂理なんだろうと斎は思った。今まで四肢を保ったまま生き残っていた斎も今回は狙われた相手が悪かったと思うしかない。けれど、斎は死ぬにしてもただで転ぶつもりは無かった。

「待って」

喉を引き裂く手前。斎が発した言葉にレウウィスは動きを止めた。

「考えてたんだけど」

「……?」

訝しげな様子のレウウィスから目を離して斎は手元の本をぱたと閉じた。

「レウウィス大公、あなたは私を『狩るに相応しい獲物かもしれない』って言ってたでしょ?私はあなたが何を望んでるのかはっきりは分からないけど、もしね、私が無抵抗で殺されるのを選んだらどうする?」

反応を伺うように小さい顔を上げる斎。その顔には薄らと笑顔を浮かべている。命の危機を前にして人はそんな顔ができるものなのか。

「それは興醒めだね」

「うん、だよね。私もあなたの鼻を明かそうなんて考えてない。だからあなたの望む獲物とやらになってあげてもいいよ。でもね、その代わりに1つお願いをきいてほしいんだよね」


「話を聞かせて」

この怪物に目をつけられた時点で死からは逃れられない。斎は理解していた。どうせ死ぬならその前に少しは自分の望みを叶えたいと、ぼんやりと考えた結果がそれだった。斎は知りたかった。この世界の外の事。自分では知る由も無いいろんなことを。

レウウィスは斎の考えが読みきれずその様子を観察した。何か裏があってのことか。勘繰るが、斎は「どうかな?」と首を傾げるだけだった。

「命を奪われるという恐怖を前にしてヒトが無抵抗にそれを受け入れるとは到底思えないがね」

「なら試してみればいいよ。今すぐに私の体を引き裂けばいい」

冷酷に返してもまどろっこしい返事が返ってくる。煩わしい。けれど今すぐにでも狩りたくて我慢ならないわけでもない。気まぐれに、レウウィスは斎の提案を受け入れる気になった。

「いいだろう」

それは良かった、と斎は笑顔を見せた。


2人が交わした約束は単純で些細なものだった。期間は次の仕入まで。それまでレウウィスは斎の求める話を聞かせる。そして斎は仕入の時が過ぎたら狩られる。全力で抗って舞って踊って狩られる。

「で、具体的に何の話が聞きたいのかな」

斎が話を持ちかけたあの日から時は流れ、次の狩りの時間。レウウィスは椅子に腰掛けた。斎は用意周到だった。庭の端。ささやかな大きさの池の辺にテーブルと椅子を持ち出しセッティングしていた。子供の腕力では些か面倒な作業だった。

「何か飲む?紅茶しか無いけど」

斎は手に茶葉の入った瓶をチラつかせる。

「いや、必要ない」

「オッケー。で、話の続きなんだけど、話の内容は別になんだっていいんだ。ただし作り話じゃダメ。お伽話はもう間に合ってるからね」

そう言って斎は分厚い本を手にひらひらと降った。

「この世界のこととか。あなたの事でもいいよ」

「私のことかね?」

「うん。だって自分を殺す相手のことは知っておきたいでしょう?私、訳も分からないまま死にたくないし。それに面白そう」

そう言いつつ、斎はふと考えた。今まで多くの子供がこの場所で自分の置かれている状況を理解することもなく死んでいっていることを。それは悲しいことだ。けれど、知識を得ることで逆に苦しむこともあることも斎は理解している。知らない方がいいことももちろんあるだろう。けれど、どうしようもなかった。例え知識を得ることで、何も知らずに死んでいったものたちを羨ましく思うようなことになっても、もう止まることはできない。知ることができるチャンスを掴んでしまったからには。知りたがりの虫がどうしようもなく騒ぎ立てるから。

斎は紅茶に口をつける。その様子をレウウィスは興味深そうに眺めていた。人間は表情で多くを語る。顔を見ればその感情は測れるが斎はふとした瞬間に、自らが置かれている状況にふさわしくない表情を浮かべる時がある。例えば、死を間際にしたとき。死を目の前にした時どれほど頑なな人間でも本性が見えるものだ。

ルーチェの手下に殴りかかられたあの時、避けることを諦めた斎は武器を構えて微かに笑みを浮かべていた。それは諦めからの笑顔ではなかった。もっと原始的で野蛮な感情からのものだったと、レウウィスにはそう見えた。あの笑みに可能性を見出した。彼女なら自分を楽しませてくれるかもしれない、と。今レウウィスの目の前にいる斎は子供さながらの無邪気な笑顔を浮かべている。あの時とは正反対の笑顔。捕食者を目の前にして狂っているのか、相当に肝が座っているのか。

「君は外の世界を知りたいんだね」

「うん」

「構わないよ。ただ、世界が隔たれてからの人間の世界ことはよく分からない。それでもいいならいくらでも話そう」

「うん、いいよそれで。で、世界が隔たれてるって何?」

まずはそこからか、とレウウィスは多少の煩わしさも感じながら思った。


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