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木の上で斎は地面を見下ろしていた。その様子はフクロウが地面に歩くネズミを狙っている時のような。虎視眈々と獲物を狙っているようにじっと待ち構えているように見える。彼女の視線の先には数人の人間の子供と、そしてそれを狙う怪物が人間よりも沢山いた。斎はまず子供の方へ目を向けた。性別も年齢もまちまち。大小入り混じってより大きい方が小さい方の手を引いて走っている。彼らが一様に怯えているのは手に取るように分かる。次に怪物たちの方に目を向ける。こちらは山のように筋肉が盛り上がった大柄の怪物たち。どこか子供が練り上げた粘土の人形のようで不格好だ。そしてその怪物たちを従えている偉そうな、けれど一番小柄で非力そうな怪物に斎は注目し、そして狙いを定めた。静かに息をひそめて構えていた斎は一行が丁度真下を通過した時木から身を乗り出し、そして落ちた。

「ルーチェ」斎が落ちながら着地地点の名前を呼ぶと、その顔が上に向いた。

木の上からの躊躇無しのダイブ。その真下にいたルーチェの頭をクッション代わりに踏みつけた。

斎はルーチェを踏み付けると横に転がり地面に綺麗にとはいかないが上手く着地した。一方で踏まれたルーチェは斎の体重とその重力に負けて手下の腕の上から有無を言わさず落ちた。ひっくり返り足をだらしなく宙に向けて開いているルーチェの顔に斎はずいっと近づく。

「また弱いものイジメなの?」笑みすら浮かべてそうからかう斎。「名前呼ばれて素直に上向いちゃうなんて……すっごく痛そうだったね」

徐ろにルーチェは怒りを顕にして、それを見て斎はますます楽しそうな様子だ。

「おまえ……!おまえこそまた邪魔を!なんでいっっっつも邪魔ばかりするんだ!???」

刃物を振り回して怒るルーチェにピャっと斎は首を引っ込めた。

「そりゃあ、あなたの邪魔をするのが楽しいからだよ!それじゃ!」

ひらひらと手を振ると斎は一目散に走り出した。それを黙って見送るルーチェでは無い。彼の中にある面子がそうはさせない。先程まで狙っていた獲物も忘れて手下に発破をかけ、けしかけた。

「おまえたち!何をしてるんだ早く追いかけろ!」そう言いつつ自分も手下の上にまた座り直し追いかける。

斎は走る足を止めないでチラと後ろを見て追いかけてくる姿を確認した。

単純なやつ! 斎は心の中でそう笑って走り続けた。別に他の子供たちを助けたいとはそこまで強く思っていないが、やはりどちらが面白いかというと追いかけてくれる方だと斎は思った。分かってはいたがルーチェは斎の想像どおりに追いかけてきてくれて、本当に期待を裏切らない隣人だと彼女は感謝すら抱いた。


斎がここに来て数ヶ月経つ。最初のひと月はまさに地獄だった。陽が染みたまっ白なベッドと焼き立てのパンの匂いの中でぬくぬくと何不自由なくそれなりに幸せに生きてきたというのに、いきなり安寧の場所から放り出されてこんな場所に。友達もしくは家族といった間柄は少しずつ彼女の周りから消えていって、今はひとり。そのことで気が滅入ることもあったが生命とは逞しいもので、与えられた環境の中、思い通りにいかないことはもちろん多いがそれでもその中に楽しみを見出した。それは本を探して読むことだったり、美味しい茶の淹れ方を考える事だったり、あとは気まぐれにルーチェにちょっかいをかけたりだった。他の怪物たちとは到底鬼ごっこをしたいとは思わないが、ルーチェは人間である斎でも首を傾げるくらいに単純で行動が分かりやすく、そして運動能力もドべ。連れている部下はルーチェよりも怖い存在だが、それでも筋肉ダルマで動きは遅い。別に他の子どもを助けてヒーローを気どりたいと思ったことは無いが、ただ、彼女には気晴らしが必要だった。

「あ、疲れた!」思ったことがそのまま口から飛び出した斎。

「疲れたか!ならそのまま殺されろ!」

「い、や!」

更に走り続ける斎を見てルーチェはしめしめと思った。斎の行先にはノウスとノウマがいる。このままだと鉢合わせ。挟み撃ちにして殺してやる、と。

芝生を掻き分け飛び出した斎はルーチェの思惑通り2人組の怪物と出くわす。ノウスとノウマは斎の姿を見、そしてその後ろから追いかけるルーチェを見、そして斎を止めることなく見送った。ルーチェは狙い通りにコトが進展しないことに苛立ちを増した。見通しが甘かったと思うよりも先に失意が考えを支配してしまい、声を荒らげた。

「なんで止めない!」

それに対して2人は飄々としていた。

「今日は赤髪狙いなのよね。あのこはターゲットじゃないもの」

「自分の獲物は自分で狩れ」

ルーチェにとってまさかの裏切り。2人の言うこともあながち間違ってない。各々狩りを楽しむ場であって誰がどの獲物を狙うかは自由意志だ。早い者勝ちでもあり、殺さないという選択肢ももちろんある。斎はノウスとノウマのオーダーから自分が外れているのを知ると余裕の表情になった。

「だってさ。残念だったね」

いつの間にか戻ってきた斎はルーチェの横で呟いた。ルーチェはギョっとした様子で仰け反る。

「なんなんだおまえは!」

そうルーチェが叫ぶとまた斎は茂みの中に姿を消した。


後ろからちゃんと追いかけてくる気配を感じながら、斎はポケットから懐中時計を取り出した。時計の針は止まることなく規則正しく円を描いている。あと20秒。あと20秒でティータイムが終わる。斎は時計をしまうと心の中で数を数え始めた。

後ろをチラと見るとやはりいつも通りルーチェが顔を真っ赤にして追いかけて来ている。このやり取りは斎にも何度目かは忘れてしまったが、毎度毎度飽きもせずに追いかけてくれるのでその揺るぎない殺意に逆に感心してしまう。茂みを通ればいちいち怪物はもたつき、その上でルーチェは急かし叱咤する。それもいつも通りだ。その普遍さに安堵さえ斎は感じた。


15……


今回も特に問題なく生き残れそうだ。神には感謝しないが今夜の食事には感謝しておこう、と斎は口で呼吸しながら考えた。


10……


と、斎は何かにぶつかった。正確には生物。むしろ怪物の類のものだったが、斎はいきなりの衝撃に思考が一瞬停止して状況をすぐには飲み込めなかった。ぼうっとしていただろうか。斎は自問するが、そんなことはない。背後の気配に意識は持っていかれていたが、全歩不注意で障害物にぶつかるなんてヘマはしない。注意が散漫としていたわけでもないのに目の前にいきなり壁が現れた。危機を感じ、崩れた体勢を踏みとどまり横へ一足に飛ぶと、斎は自分が何にぶつかったのか確認した。その顔は先程までの陽気さはなりを潜めて真剣な面持ちになっている。

黒い帽子に黒い服、風に微かに揺れるマントが印象的な風貌で、そこまでなら人のようにもとれるが明らかに人ではない生き物。

見たことがない。初めて見る怪物を斎はまじまじと見た。すぐには襲ってこない様子だが、安心はできない。斎はここに来た時に先輩住人に怪物の話をされたのを思い出していた。狩場に来る怪物は手下を除いて5匹いたはずだ。バイヨンとノウスとノウマ、そして今やっと追いついてきたどんくさいルーチェ。あとひとり、斎は見た事は無かったがいた。

見つめ合ったままお互いの出方を伺っているような張り詰めた緊張の中、遠くの方で音楽が鳴るのが聞こえた。

不意に意識に割り込んできた重い足音。それがルーチェの手下のものだと認識するまでに些か時間がかかった。タイムアップしても止まらない殺意に斎が横を見た時には強く握った拳が向かってきていた。真っ当に殴られたらそれだけで致命傷だ。痣ができるどころの話じゃ済まない。このままじゃミンチ。そしてハンバーグへなってしまう。人類という長い歴史、進化論から逸脱して人間の進化の可能性を広げてしまう。斎が懐中時計の摘まみを引っ張るとそこから1本のしなやかな線が出てきた。仕込んでいたピアノ線。どこまで怪物に効くのか分からないが、相手が力いっぱい殴ろうというのなら都合がいい。怪物の力もプラスして、硬い皮膚も裂けそうな気がする。

接触する。その瞬間、斎は体を引かれて一瞬宙に浮いた。何が起こったのか。それを彼女が認識する頃には状況は目を見張るくらいに変わっていた。

斎は目の前に立つ黒い背中を見る。時間が止まっていたような気さえするが、そんなわけはない。とてつもなく素早い動きで斎と襲いかかる怪物の間に割り込んだ。目にも止まらない速さ。瞬間移動。まさにそれだ。

黒い衣装の怪物は斎に殴りかかったルーチェの手下を放り投げた。それを見て追いついたばかりのルーチェは声を上げた。

「レウウィス大公!」

非難するようなニュアンス。ルーチェは目の前で獲物に手が届くところを邪魔されて、内心穏やかではないだろうが、先程までのように感情を剥き出しに怒鳴ったりはしなかった。むしろ、だいぶ落ち着いた様子だ。

「私たちが作ったルールを私たちが破るわけにはいかない」

はて、と斎。レウウィスという名前は狩り庭の先輩から確かに聞いた名前だが、その人物像は聞いていた印象とは異なっている。サイコ野郎という意味が斎にははっきりとは理解できていないが要するにヤバいやつ、ということはなんとなく分かっていた。実はとてつもなく紳士で話の分かる怪物なのでは?っと思うほど殺意を感じない。

「あの、ありがとう」

ルーチェを伴い、狩り庭から立ち去ろうとするレウウィスに斎は声をかけた。

「礼には及ばないよ。ただ、わたしは自分の獲物を奪われたくなかっただけだからね」

「獲物……?」それをいったらここにいる子供たち全員が獲物になってしまう。

「この庭で力強く生きようとする人間は稀有だ。捕食者相手に物怖じしない君は、もしかしたら私の求めていた獲物かもしれない。次は君を狩りに行くよ」

聞く人によってはゾッとするようなセリフ。斎は立ち去る背中を見た。

「ヤバいやつじゃん……」

先輩のいう事に間違いは無かったと納得した。




  後書き

   時効だと思ったので以前イベントにて販売した小説本を手直しして長編にもってきました。
   丁度アニメも始まりましたしね。




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