Lonsdaleite21
日本は平和そのものだ。二本足のロボットが街中で暴れた事件の事など海の向こうの話。昔の噂話より今の事件。時間がすぎれば誰も噂をすることもなくなった。
「平和だねー」
斎は何気ともなく言った。特に意味は無かったが、こうやる事が無いとそうしみじみ思ってしまう。といっても今はバリケードの洗車をしているため暇ではないが、平和なのには変わりはない。
〈反吐が出る〉
とバリケード。
相変わらず口の悪い車に斎は笑った。
斎たちがいる場所は広い庭だ。平に敷き詰められた庭石に苔石のモニュメント。池には鯉が悠然と泳いでいる。四方は高い壁で囲まれているが、その広さは一目するだけでは捉えられない。要するに斎の家だ。といっても斎と居候のバリケードの他には誰も住んでいないのだが。
「うんうん、まあ暇なのは私も好きじゃないよ」
最後に水を流して斎は洗車仕事を終えると、ボンネットを叩いた。
「はい終わり。後は天日干しして乾かしてね」
斎はさっさと片付けを始めるが、半ば投げやりに洗車を終わらせた彼女にバリケードは不満だった。
〈おい、手抜きは許さないぞ〉
「こんなに天気がいいんだからいいじゃん」
〈良くない!〉
「そんなにカッカしてれば水分なんて蒸発するでしょ。それに、私はバリケードの召使いじゃないんだからね」
〈…今はまだな〉
「おおっと、またその話ですか。バリケードさーん?」
ディセプティコンとオートボットの戦いはまた起こる。その時こそディセプティコンは勝利してバリケードは斎を手に入れるつもりだった。
「その話は聞き飽きたよ。それにまだ戦いは始まってすらいない…し?」
話している最中の斎だったが、あるものに気を取られた。目の前にいきなり現れた戦闘機にだ。斎にとって戦闘機なんか珍しくもないが、ここは日本。近くに軍事基地も無いこの場所に用があるといったら、ディセプティコンのアイツぐらいだろう。斎の前にいつの間にかトランスフォームしたバリケードが立った。
スタースクリームは斎の家の上空まで来ると旋回し、バリケードと斎の姿をその視覚レンズにとらえるとトランスフォームし着陸した。
〈バリケード、探したぞ〉
〈ああ…キューブを作っているはずじゃなかったのか?〉
〈問題が起きた。フレンジーが人間から奪ったキューブの情報は完全じゃなかった〉
〈ならどうする〉
〈何も考えなしにこんな小汚い星に来たわけじゃない。そいつだ。丁度いい事にお前が匿っているその矮小な下等生物に用がある〉
スタースクリームは斎を指差して言った。遠慮の欠片も感じない視線を彼女に投げかける。
斎は今まで自分とは関係の無いことだと思っていたが、自分に用があると言われて警戒心が募った。
「その矮小な下等生物に何の用ですかね?」
斎は少々棘のある物言いだが、スタースクリームはお構い無しだ。
〈まずは近くに来てもらおうか。バリケードは俺の部下だ。そいつの後ろにいても守ってはくれないぞ〉
スタースクリームは指をこっちへこいと言うように動かした。その動きは機械にしてはやけに官能的だった。
斎はバリケードの事を信用していないわけでもないが、かれの立場の難しさはよく分かっているつもりだ。それに家の敷地内で暴れられるのは嫌だし、穏便に済むのならそれに越したことは無い。彼女はスタースクリームの近くまで歩いた。だが、何かあった時に動けるぐらいの距離は一応空けてある。
〈キューブの解析をしたのはお前だな?斎・ロンズデーライト〉
「そうだよ」
〈お前の記したキューブに関するデータを奪取したが、その一部が破損していた。お前の記憶が必要だ〉
「そう」
〈お前の脳を摘出する〉
「それは困る」
スタースクリームが人間の言葉に耳を貸すはずが無く、斎の返事に関わらず巨大な手を彼女へ伸ばした。斎はスタースクリームの動きを予想していたのか、腰のホルダーから拳銃を取り出すと自身の頭へ向けた。
「記憶を盗まれるうえにむざむざ殺されるなんてごめんこうむる。それ以上近づいたら、大事な脳みそがボーンだからね」
斎は忠告をしながら後ずさって距離をとった。
〈斎、止めろ〉
バリケードが斎に静止の言葉をかけるが、斎の警戒はいまやバリケードにまで向かっていた。
「キューブの情報はきみたちにあげてもいいよ。ただし脳みそを取り出すとか、そういう命に関わることはしないでほしいかな」
〈ならどうするつもりだ?〉
スタースクリームは1歩斎に近づいた。斎が後ずさってとった距離はスタースクリームのその1歩で詰められてしまった。
「…キューブを作る場所があるんでしょ?そこで私がキューブの情報を直接入力する」
〈入力するなんて簡単に言うな。もし、できなかったらどうするつもりだ?〉
「あ、それよく悪役が言うセリフだね。そうだね、もしできなかったら煮るなり焼くなりお好きにどうぞって答えとこうか」
斎は不敵な笑みを零して言った。妙に自信のある様子の斎だったが、その一方でバリケードはこのやり取りに不満を感じていた。
〈こいつは俺のものだぞ、スタースクリーム。決定権は俺にある〉
その時のスタースクリームは溜息でもついているかのように排気して、呆れているのを隠そうともしていなかった。
〈ディセプティコンを率いているのはこの俺様だぞ?この虫けらを所有しているのが誰であれ関係ない。俺の命令以上の影響力があるものなど有りやしないからな。それともなんだ…バリケード?この小娘にたぶらかされて倫理回路がイカれたか?〉
〈そこまで落ちぶれちゃいない。…あんたが率いることになったディセプティコンの現状に比べたらな〉
〈どうやらただの喋るスクラップになったみたいだな〉
ああ、まずいことになりそうだ。斎は離れた。途端に巨人たちがつかみ合いの喧嘩をしだし彼女は次々と破壊されていく庭を眺めることになった。
飛石が吹き飛び縁側に大穴が空いた。さすがにいかがなものか。
「ちょっと、庭で喧嘩しないで」
斎が静止の言葉をかけるが二人の耳にはおおよそ届かず。まぁそうだよなぁ、と斎は縁側に腰をかけた。
灯篭が壊れるのはいい。石庭が踏みにじられるのもいい。それよりも斎の気に障ったのは池を踏み荒らされることだ。
「バリケード」
斎が名前を呼ぶとバリケードは瞬間動きを止め、先程の争いは波が引くように収まった。
バリケードは斎が池の方を凝視していることに気付いた。池の中には水生生物がいて、それを斎がいっとう可愛がっているをバリケードは知っている。水生生物に危害が加わるのを懸念して斎の表情はいつになく険しい。
「私、行ってくるよ。データを入力するだけなら簡単だもの」
〈俺も行く〉
「それはダメ。今家の人たちに暇出してるから留守番してくれる人がいなくなると困る」
〈そんなこと知ったことか〉
バリケードのワガママ頑固が始まってしまった。斎も相当だが、バリケードもおおよそ自分の意見を曲げない。こういうときは真面目に取り合わないのが一番なのだが。
「大丈夫だよ、バリケード」斎は微笑んだ。少し前の険しい顔が嘘のような柔らかい表情だ。
「私は大丈夫。それになんか面白そうじゃない?」
面白そう。斎の動機としてはそれだけで十分で、そこには理屈も何もない。理屈の通じない斎には何を言っても無駄なのはこの1年でバリケードは理解していたが、やはり快く見送るにはお互い頑固すぎた。
〈そうか。なら、好きにすればいい〉
バリケードは変形し車の姿になると徐行してそのまま姿を消してしまった。斎はバリケードの姿があった方をしばらく見つめながら、なにやら考えている風だったがふいにスタースクリームの方へ向いた。
「お待たせしたね。さ、行こ、うっ」
斎が言い終わらない内にスタースクリームは彼女を無造作に掴むとコックピットに投げ入れた。スタースクリームは変形し息をつく時間もなくすぐに飛び立った。
「どこに行くの」斎は乱れた髪の毛を手で整えながらスタースクリームに言う。
〈火星だ〉
「火星?人間って宇宙空間じゃ生きられないんだけど……大丈夫なの?」斎は突然不安になってきた。
〈問題ない。前に人間を乗せたまま大気圏を抜けて爆発させたことがあったが、今は改善した〉
「それって…」
斎はゾッとした。臭いを嗅いでみるが一応異臭はしない。肉片なんて転がっていたら堪ったものじゃない。
「ムリ、降ろして!」そう斎は頼んだが、冷たい機械のお友達は鼻を鳴らすような音をさせただけでぐんぐんと高度を上げていくだけだった。